慈濟傳播人文志業基金會
人間(じんかん)菩薩の責務
路は遠くに行くほど、
この世には苦難に喘ぐ人がまだまだ多いことが分かります。
人間菩薩は責務を担い、人心を落ち着かせ、社会を安定させています。
 
 
この時期になっても毎日のように新型コロナウイルスが話題になっています。世界各国が防疫のために鎖国状態に追い込まれ、都市封鎖を徹底したため自由に出入りすることができなくなり、人と人との距離は遠ざかっています。今になっても多くの国々は正常な状態に戻っていません。
 
科学技術の発達に感謝しています。花蓮から数万、数千キロ離れていても数秒間のうちにネットで繋がり、同時に何カ国もの慈済人と会話ができるのです。彼らははっきりと私を見ることができ、私もまた皆の家から家へと渡り歩くように互いに交流し、心を通じ合わせています。
 
ネットで繋がることで私はより広く大きな領域に接し、遠方にいる慈済の人々が責務を担っているのを感じ取ることができます。彼らは積極的に苦難の人々に配付をし、医療従事者が最も必要としている防護用品の買い付けに尽力しています。今回の感染症で、大仁、大勇、大慈、大悲を持ったこの世の菩薩の姿を目の当たりにしました。
 
フィリピンの慈済人は、禁止令や規則を堅く守りながら様々な困難を乗り越え、優先的に第一線の医療現場に防護用品を送ると同時に、貧困者ケアのために配付の数を増やし続け、既に十万世帯に米を届けてきました。タイとインドネシアの慈済人も、様々な方法で失業者や食糧が途絶えた人たちを支援しており、当座をしのぐに充分な食糧を届けました。物資を受け取った人たちは安心し、暫時生活に憂いがなくなったことで、笑みを浮かべていました。
 
疫病が深刻に蔓延する中、五月中旬に台風1号「ヴォンフォン」がまたもフィリピン中部を襲い、災害をもたらしました。ボランティアが緊急支援にかけつけた時、無残に壊れた多くの家を見て、この世の苦難に感じ入りました。慈済のあゆみは半世紀を過ぎましたが、この五十年間、いつもそのような光景を目にしてきました。時代が移り変われば苦難に喘ぐ人も減ると思いたいのですが、その道をこれほど遠くに歩んできても、途上には変わらず苦難の人が溢れていたのです。
 
 
ミャンマーの慈済ボランティアは五月から六月にかけて、失業者約二万世帯に白米と食用油を配付しました。オンライン視聴会議を行った時には、「米貯金」に呼応した村長たちや「米貯金」をしている会員たちが現場に来ていました。慈済から種籾を援助してもらった時の話になり、米を使い切ったあとも、袋に書かれた静思語が彼らを大いに感動させ、壁に貼って座右の銘にしている人もいました。
 
彼らも善行に応えて、毎日一握りの米を貯えており、毎月ボランティアが集めにくる米貯金は約三千キロにもなり、村の独り暮らしや困窮者の生活に当てられています。数年来、毎月寄付されているお米は彼らの日々の食事に影響に及ぼすことがないばかりか、村に善の気風をもたらしているのです。慈善をする心を絶やしてはならず、彼らが必ずや続けていくことに期待しています。
 
辺鄙な村落に住んでいるウヤトアンは行動が不自由で、普段は占いをしてチップを稼ぎ、妻は日雇いの仕事をしています。この人は一握りの米が人を救えると聞いて妻に言いました、「一食でも食事にありつければ、毎食一握りの米を寄付し、自分たちよりも貧しい人を助けよう。以前私達が困っていた時に慈済が援助してくれたように」と。
 
ウヤトアンは四肢に力が入らず、手で掴める米は多くありません。「私の手で掴めるのはこれだけです」とボランティアに言いました。「あなたはその手の力を功徳の海に込めたのですから、この一握りの米は須彌山(しゅみせん)ほどもある大きさなのですよ!」とボランティアは感謝しました。
 
物資の豊かな現代社会では、消費の気風が流行っており、物を買ってはすぐに捨て、「上げり」ですが見る習慣が身につき、顔を下に向けて社会の暗がりを見る人はあまりいません。遠くに目をやれば、他の国にはまだ援助を必要としている貧しい人がどれほど多いかが分かります。貧しい人の中にはゴミの山に生活を依存し、三度の食事も含めて必要とするものをゴミの山から探している人もいます。どうしたらいいかは想像できないほどです。
 
「無縁大慈、同体大悲」とは、たとえ縁故がなくても、苦難に喘ぐ人がいれば縁のある人を探して愛の力を合わせ、困っている人を助け、社会が安定するようにすべきだということです。慈済ではいつも「慰撫(いぶ)」と言いますが、苦しんでいる人がいれば近寄って優しく撫でて慰めるのです。「人が傷つけば我痛み、人が苦しめば我悲しむ」というように、相手の体が傷ついているのを見て自分の心が痛むというのが菩薩の心なのです。一人ひとりにこの身が切られるような痛みと大愛無私の心があれば、たとえ社会の中で貧困や病気に苦しんでいても、優しい施しに出会い、人生を変え、その上他人の手助けをすることができるようになるのです。皆さん、心して励みましょう。
(慈済月刊六四四期より)
NO.284