感染リスクのあるコミュニティに赴いて衛生教育を施すのは怖くないわけはないが、ただ慈済の一員として感染防止に尽力し、地域社会を守る責任があるとボランティアが言った。防疫活動はすればするほど専門性が高まった。
二〇一九年、アフリカ東南部の沿岸に位置するモザンビークは猛烈な熱帯性サイクロン・イダイに襲われた。二〇二〇年に大地にやっと新緑が現れると、人々は次第に元の生活を取り戻し、学校の授業も再開することができた。しかし、図らずもこの時期に、世界中が新型コロナウイルスの蔓延という危機に直面し、モザンビークも再び打撃を受けた。
三月二十日、南アフリカで感染者数が急増したため、モザンビークのフィリペ・ニュシ大統領は感染者が出ないうちに一連の感染防止対策を打ち出した。そして、四月一日から三十日間の緊急事態に突入した。
その期間中、物資の供給や公共衛生などの必要な場合を除いて、国内の人の移動及び出入国を制限した。そして直前に入国した人や感染者と接触した人を強制隔離し、公的私的な集会を禁止した。前倒しに対策を講じたにも関わらず、三月二十二日にモザンビーク初の感染者が確認された。国内は検疫能力が限られていたので、五月中旬迄に感染者の数は徐々に増加し、百人を数えた。
限られた医療体制の崩壊を食い止める
二〇一九年、モザンビークの一人当たりの平均国内総生産(GDP)は世界ワースト七番目で、最も貧しい国の一つになっている。もし新型コロナウイルスがこの国に蔓延したら、対応できないだろう。
人口約二千九百万人に対して呼吸器は僅か三十四台しかなく、医療設備の不足は目新しいことではない。中部のベラ市中央病院は国内で二番目に大きな病院で、中部四省に住む約九百万人の健康を守らなければならないが、副院長のチェボラ医師は「病院に二台しかない人工呼吸器は既に壊れており、新型コロナウイルスに対応できるかどうかとても心配しています」と言った。
三月中旬時点でベラ中央病院に残っていた医療用マスクは百個足らずで、緊急に支援を要した。またソファラ州のニャマタンダ郡立病院の医師によると、これまでずっとマスクなしで診察していたため、ベラ中央病院に支援を求めたが、ベラ中央病院自身も助ける余裕がなかった。医療関係者の感染予防物資の不足状況を聞いて、同じ医師である私は心が痛んだ。
モザンビークでは医療従事者が深刻に不足しているが、もし医療従事者が看護に倒れたら、まさに災難が追い討ちをかけることになる。そのような状況を知って、ボランティアは慈済が海外で調達した医療用マスクを十二の病院と二つの検疫センターに贈った。先ず医療従事者の健康を守って初めて、民衆の健康を守ることができるのである。
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●衛生当局の要請に応じて、モザンビークのボランティアたちは、感染予防キャンペーンの即戦力となった。彼女らはコミュニティに赴いて語りかけ、やってみせ、新型コロナウイルスの症状と感染予防の知識を伝授することで困惑と恐怖心を克服するよう導いた。 |
灰で手を洗う習慣
現代は一人一台のスマートフォンを所持し、軽く指で触れれば、世界中のニュースが入手できる。しかし、モザンビークの多くの家には水道も電気もなく、テレビやラジオ、携帯電話などはとても買えない贅沢品である。地域の住民、特に老人は世界で新型コロナウイルスが蔓延していることさえ知らないのだから、感染防止対策など論外だろうと政府は心配している。
首都マプト市の各地域には慈済ボランティアがいるため、政府の医療機関は感染防止キャンペーンスタッフとして彼らを招き、慈済支部である「慈済の家」に医師を派遣して公共衛生を宣伝する基本人員として養成している。
そこでボランティアは最も分かり易い方法を使い、バケツ、石鹸、マスクと感染予防のチラシを持ってコミュニティを一つひとつ訪問し、新型コロナウイルスの感染予防について説明した。事実、感染症についての情報を全く持っていない住民が多くいた。
感染症が広まってから、世界中で速乾性消毒剤や消毒用アルコールが供給不足に陥っていたが、モザンビークの一般市民は石鹸や布マスクを買うことさえ慎重に考慮する状態だった。
一個の石鹸が二十モザンビークメティカル(約三十円)もする。物価が高騰する前はトマトが八個買えた金額だ。定職に就いていた人の月収は五千メティカル(約七千五百円)未満だが、大半の臨時労働者は固定収入がない。例えばマプト市の現地ボランティアの場合、平均収入は千から二千メティカルで区々だが、彼らにとって二十メティカルでトマトを買うか石鹸を買うかは言うまでもない。
貧しい人の世界は私達の想像を超える。マスクが無ければどうやって身を守るのか?石鹸が買えなければ、どうやって手を洗うのか?初耳だが、モザンビークの田舎では調理する時に燃やした炭の灰で手を洗っているのだ。衛生部でその宣伝用ビデオを見た時、驚いてボランティアに聞いたところ、現地で灰を使って手を洗うのは日常茶飯事であることを知った。
後でネットで調べたら、多くの貧しい国ではその方法を民衆に教えており、WHOも勧めている。灰はアルカリ性なので、石鹸がない時は灰に少し水を加えて泥状にすれば、洗剤代わりに使用できるのだ。
ボランティアがこのことを證厳法師とのビデオ会議の時に報告すると、法師から、昔の貧しい時代は皆そうしてきました、という返事を頂いた。その時初めて我々の世代がどれだけ幸せであるかに気がついた。
法師がよく言われる言葉に「苦を見て福を知る」がある。モザンビークに滞在中、毎日私に気づかせてくれた言葉だ。私たちの生活が如何に便利であるかを知り、それをもっと大切にして、時を逃さず奉仕しなければならないこと、そして外にばかり目を向けて止まることを知らない追求をしてはいけないということを。
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●ニャマタンダ郡立病院は3月には既に防護用品の在庫が底を突いていたため、慈済ボランティアの蔡岱霖(右1人目)と龍嘉文医師(左1人目)は医療用マスクを寄贈した。感染防止期間中、慈済は12の病院と2つの検疫センターに防護用物資を寄贈した。(撮影・ダニエル・トーム) |
楽を求めず、コミュニティは私は必要としている
マプト市のマクサクネ・コミュニティは、二〇一二年に慈済ボランティアが初めて足を踏み入れた地区である。五十八歳の現地ボランティアであるレベッカ(Rebeca Mabunda)さんは、台湾から来た蔡岱霖(ツアイ・ダイリン)さんと一緒にモザンビークで慈済の慈善志業を始めた、最初の一人だ。今回の感染防止キャンペーンもこのコミュニティから始まった。
レベッカさんの後についてマクサクネコミュニティに入った。自信を持って新型コロナウイルスについて説明し、そして人々に正しい手の洗い方を詳しく又分かりやすく指導していた彼女を見て、とても彼女が八年前まで家庭内暴力を受けていたとは想像できなかった。蔡さんによると、八年前のある日、夫の暴力で彼女が顔から血を流しているのを別のケア対象者からの連絡で知り、急いで駆けつけて手を差し伸べた。
半年間のケアにより、レベッカさんの夫は次第に性格が穏やかになり、彼女もケア対象者からボランティアに転身した。彼女がコミュニティで奉仕を続けていることで、夫は暴力を振るわなくなっただけでなく、自分の妻がボランティアになっていることを誇りに思い始めた。
実際、各コミュニティで感染予防の宣伝をするのは感染リスクを伴う。
南アフリカは国境を封鎖すると、全ての出稼ぎ労働者を送還した。四月初めにモザンビークの出稼ぎ労働者が南アフリカから帰国した時、政府は自宅隔離を強制した。これらコミュニティに戻った出稼ぎ労働者は皆、国外で新型コロナウイルスに感染している可能性があるからだ。
ボランティアも最初の頃は心配したそうだ。レベッカさん自身も恐怖を感じていたが、感染防止対策をしっかり守れば心配することはないと信じ、多くの人を世話することができたのだという。
怖いと思う気持ちは人として当然のことで、私もボランティアと一緒に感染者がいる地区に出かけて宣伝指導した時は、やはり気に掛かって仕方がなかった。しかし、ボランティアたちは慈済の一員としてコミュニティを世話する責任と使命感を持っているため、勇気を奮い起こして恐怖感を克服し、行動すればするほど勇敢に専門的になってきたと言った。それが私を感動させ、勇気付けた。
この素朴なおばさんボランティア達の姿に、「自分の安楽を求めず、衆生が苦難から離れることを望む」という悲願を持つ菩薩を見出し、深い称賛の念を禁じ得なかった。
家政婦は失業、洗濯機は品不足
ウイルスは相手を選ばず、新型コロナウイルスは人々を平等に扱う。貧富、年齢、肌の色を問わず、感染するリスクがある。しかし、各国が取っている措置は貧しい人を真っ先に感染に晒している。
緊急事態宣言は四月末で終える予定だったが、一カ月延長された。政策は安全が考慮されているが、社会の底辺にいる非正規労働者の生活は言葉では表せないほど切迫している。例えば、モザンビークの中、上流家庭では家政婦を雇っているが、彼女たちは殆ど毎日バスで自宅から通勤している。バスは混み合っているため、感染リスクが高く、多くの雇い主は健康と安全を理由に彼女たちを一時的に解雇した。
その為、緊急事態が宣言された初めの頃、先ず品不足になったのが洗濯機である。雇い主は家政婦の代わりに洗濯機を使うことができるが、仕事をなくした人たちは、どうやって生活すればよいのだろう?
モザンビークが緊急事態を宣言してから、密集を避ける為に街の露天商や屋台も営業停止させられた。どれだけ多くの人がそうやって「一日の生計」を辛うじて立てていることか。それに加えて、モザンビークの食糧の七割以上は南アフリカからの輸入に頼ってきた。南アフリカが国境封鎖で食糧の輸出を減らしたため、物価が高騰し、貧しい人々の生活は更なる苦境に追い込まれてしまった。
本来なら千メティカル(約千六百円)もあれば一世帯の一周間分の食糧を買えたのに、今では玉ねぎ一袋が二百五十メティカル(約四百円)から七百メティカル(約千百円)に値上ったと現地ボランティアが語気を強めて説明した。ボランティアのエリーナによると、物価高騰後、彼女は一家七人が一食に食べる米の量を四杯から二杯に減らした。また、ご飯を炊く時にタピオカ粉を混ぜれば少しはお腹の足しになると別のボランティアが言った。子供たちがお腹が空いたと喚く時は、お水を沢山飲んで寝れば、起きた時にはお腹が空かなくなると言い聞かせている。
固定収入があるボランティアたちでも、苦境に直面している。近く慈済は中部と南部で食糧の配付を計画している。緊急事態宣言下で援助を要する家庭を助けるためだ。
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●モザンビーク政府は4月から公共交通機関を利用する時には必ずマスクを付けるよう義務付けたが、マスクはなかなか入手できなかった。慈済ボランティアはマスクをバスのドライバーに寄贈し、使い方を教えた。 |
肉を一口減らせば、食糧危機が緩和できる
全世界の食糧不足問題は今に始まったことではないが、新型コロナウイルスの感染がきっかけで酷くなっている。イギリス物理学会(IOP)の学会誌に掲載された研究報告によると、全世界の食糧供給は年々増えており、本来なら世界の人口の必要量に対応できるはずだ。しかし、四割近くの農作物は畜産業に回され、人類は肉食を通して最終的に12%のカロリーしか摂取していない。二○一九年、全世界の八億を超える人口が飢餓状態に置かれている。
十数年前から私はいつかアフリカで医療に携わりたいと思っていた。その後、慈済との縁で私の世界観が変わった。私の食卓に出てくる美味しい肉は、自分が日夜助けたいと望んできた人々の数日分の食糧を費やしたものだった。アフリカの人々を助けようと思うなら、アフリカに行かなくてもできる。毎日の食事を菜食に変えればいいのだ。
十年を経て、私はやっとアフリカに来て医療を行うことができた。そこで子供たちが食糧を渇望する姿を目にし、片田舎における水不足の現状も見てきた。それらを見て、自分はこの十年間菜食をしてきた甲斐があったことを感じた。だがそれだけでは足りないのだ。何故なら全世界で肉の供給が年々増加しているのに対して、菜食する人の割合はまだ少ない。数秒間に味わう快感の為に、本来なら飢える人を救えた食糧まで奪ってしまうことに対して、あなたは耐えられるだろうか?
ある研修会で、私たちはモザンビークのボランティアと菜食の重要性について話し合った。ボランティアたちは、人類が一日にモザンビークの総人口の六倍に当たる家畜を食べているのを知って皆、とても驚き、菜食の呼び掛けに応じたいと言った。次の日、中部地方からきたボランティアのパトリシオは私に彼の夕食の写真を見せてくれたが、私はびっくりした。何故ならご飯とキュウリだけだったからである。
パトリシオは孤児で、収入も農地もなく、以前は川で魚を捕まえていた。菜食するのは実に容易ではない。何故なら遠い田舎では、肉よりも野菜の値段の方が高いからだ。私は彼が食べ物に困っているのではないかと心配したが、彼は逆に私を安心させてくれた。彼は法師の教えに賛同し、生き物の命を奪ってはならないため、たとえキュウリしか食べられなくても、楽しく安心して食べるようにして、永遠に菜食を続けると誓った。
三食にも事欠く人が、動物が殺されていると聞いて生命を守る憐みの心を起こしている。それならば、生活資源が豊かな私たちは、もっと努力して菜食し、それらを助けるべきではないだろうか?
「理解して初めて関心が持てる。関心があるから、行動する。行動すれば、生命に希望が生まれる」とジェーン・グドール博士が言ったことがある。もともと生活が容易でない現地の慈済ボランティアは、法師の教えを懸命に理解し、今ではモザンビークで善行するまでになっている。彼らは内心の恐怖を克服してコミュニティを訪れ、キュウリだけでご飯を食べてもこれ以上殺生したくないのだ。それは仏陀の「慈悲喜捨」という四無量心を充分に具現している。
これから感染症がどのようになっていくのかは分からないが、モザンビークの現地ボランティアたちは、法師の悲願である「仏教のため,衆生のため」を奉じたのは確かだ。休みなく深くその地で福田を耕し、人々に寄り添って防疫に努力し、手に手を取りあってこの艱難な時期を乗り切るだろう。
(慈済月刊六四三期より)
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