慈濟傳播人文志業基金會
目前の教育課題
 
いつの時代も出来事は「生きた教科書」です。
機会を逃さず、学生には宇宙や世の中の道理を
分析して解説しましょう。
 

在宅学習に対する成熟した対応

四月二十日、慈済の教育志業に属する各学校が、オンラインで報告を行いました。慈済大学と慈済科技大学では、実習生が間もなく病院へ実習に行く時期なので、上人は、学校側と病院側が責任を持って学生たちの安全を確保し、保護者たちに安心してもらうように、と念を押しました。「コロナウイルスが拡散している状況下で、学生たちがどのようにすれば学習を続けられるか、その進度に影響を与えないようにできるかということも、学校側が心して段取りをつけなければなりません」。
 
「私たちがやらなければならないことはとても多いのです。特に今は『非常時』であり、今回のコロナ禍は世界中に広まっていますから、人々はマスクを着けないわけにはいかず、それがいつまで続くのか誰にも分かりません。コロナ禍が一日でも早く終息してくれるよう誰もが願っていますが、一番大事なのは人類が行いにおける規則を守り、人心を浄化し、二酸化炭素の排出を削減することです」。菜食は省エネと温暖化防止において良い方法であり、奥の深い学問である、と上人は言いました。実際に地球環境がこれほど酷く破壊され、気候変動で風や雨によってたくさんの災害と旱魃が引き起こされているのも、元はと言えば、あまりにも深い食への探究心が原因なのです。口の欲望さえも抑えることができず、その食のために大量の家畜を飼育し、それによって二酸化炭素の排出が大量に増え、地球に大きな負荷が掛かっているのです。
 
私はよく「腹八分目、二分で人助け」と言いますが、皆さんが生活に影響しない程度に力を発揮して奉仕し、飢えている人を助けるようにと教えてきました。これも皆が欲望を抑える訓練方法の一つなのです。今は世を震撼させるような災害が既に出現しています。いつまでも収まらない疫病は、「大いなる教育」とも言えますが、この世で起きている様々な天災や人災などに直面することを、全人類は敬虔に受け入れるべきであり、反省して行動を変えなければいけません。
 
上人はこう言いました。教育志業は目前の因縁を逃さず、学生たちに宇宙という大きな環境やその道理を知ってもらうよう努めるべきです。また、人心の欲と行いが環境に影響を与えていること、天災や人災が起きる原因等を理解してもらわなければなりません。慈済の学校の教師たちによる心した教育の実践に期待しています。
 
「人が密集して感染が広がることを避けるため、子供たちは在宅学習が必要かもしれません。学校は子供たちが時間を持て余すことがないよう指導し、着実に成長させなければいけません。コロナ禍は目前の教育課題であり、時間を無駄にせず、しっかり学習すべきです」。「今の出来事を使って子供に道理を分析して見せなければなりません。これは『生きた教科書』なのです。大愛テレビにはリアルタイムの報道がありますから、子供たちに見てもらう時間帯を設定し、映像を通して時事や事実を理解してもらうのです。それらはこの時代の今この時に起きた出来事です。コロナ禍だけでなく、世界には数多くの国で子供たちが貧困や戦火で苦しんでいます。これらは全てすぐ目の前にある教育課題なのです。

素晴らしい誕生日

毎朝、目を覚まして新たに迎える一日が「誕生日」です。
安心して生活できれば、
毎日が最高に素晴らしい誕生日なのです。
 
今年四月二十四日(旧暦三月二十四日)、慈済は創設五十六周年の日を迎えました。上人は朝の会の開示で、皆さんが真剣に世の出来事に関心を持ち、善の念でもってこの世で互いの愛を表して助け合って参りましょう、と教えました。
 
「平和な時には、一日に八万六千四百秒もの時間が知らず知らずのうちに過ぎ去ってしまいます。しかし、何かが起きると、一日が一年ほどの長さに感じられます。今、この世にどれだけの人が飢えた日々を過ごし、どれだけの人が家を追われて行き先が分からず、彷徨っているかを知らなければなりません。このような苦難の人生を見ると、私たちは悲しみ、憂い、心配になるのです」。
 
上人はまたこう言いました。「今の世界は、心配せずにはいられない状況が多々ありますが、どんなに心配しても仕方ありません。人々が力を合わせて発心立願し、人助けできる人になるのです」。
 
「自分自身が菩薩となると同時に、広く菩薩となってくれる人を募り、一緒に愛の力を発揮するのです。『青天白雲(紺のシャツに白のズボン)』があまねく世に出現し、至る所から菩薩が集まり、法会に溢れる香雲のように白雲が人々を安心させる香りの気流となって広がると、心も天空のように境目なく広く穏やかになり、人間(じんかん)に平和が訪れる、これが私の願いです」。
 
「誰もが日々を平穏に過ごすことができれば、毎日が最高に素晴らしい誕生日なのです」。
 
毎日、目を覚まして新しい一日を迎えますが、その日こそが「誕生日」なのであり、それは、いつか眠ったままになって、再び目を覚ました時に新しい生命を歩み始めるまで続き、その日も「誕生日」なのです。ですから、誕生祝いは決まったある日に行うという執着を捨て、今この時を逃さず、有意義に生きるべきであり、自分の人生を振り返って安心できれば、感謝するに値するでしょう。誰もがこの世で安心して生活できれば、お互いに感謝の気持ちでもって接し、顔を合わせた時は合掌して「感謝」するようになります。それは祝福の意味を伝えるものであり、この世の平安を祝福し、自分にこの世を幸せにする機会があることに感謝しましょう。あなた自身もその平安に預かって良いのです。
(慈済月刊六六七期より)
NO.308