慈濟傳播人文志業基金會
このキャンプで最も貴重なレッスン
アフガニスタンから来たジャミラさんは、
毎日慈済から愛と関心を寄せられていたことが、
彼らにとってこのキャンプで最も貴重なレッスンだったと話してくれた。
 
二〇一六年、私は住んでいたセルビアの首都ベオグラードに、難民がいることに気付いた。そこで、親戚や友人、近所の人に古着を提供してもらい、少しでも温まってほしいと思って、ベオグラード駅付近の公園に暫時留まっていた難民に贈った。その後も難民たちのために、他に何かできることはないかとずっと考え続けた。
 
それで、タマラさんとご主人のボリスさんも困難にある難民を助けていることを知った時、私たちは一緒に慈済の難民支援の列に加わった。最初はオブレノバチ難民キャンプに朝晩の食事を提供したが、その後クルニャチャ難民キャンプの朝食も引き受けるようになり、子供たちに文房具、衣服などの物資も届けた。クルニャチャ難民キャンプには、両親を失った子供たちが多く、一層の思いやりを持って関心を寄せ、生活改善に努めなければならない。
 
その期間、私たちも心打たれる多くの出来事を目の当たりにした。アフガニスタンから来た若い女性ジャミラさんは、いつも食料配付で一番前に並んでいた。同行していた二人の娘は、既にベオグラードの現地校に就学していたが、夫と連絡が取れないことを思うと、いつも落ち込んでいた。
 
その後何日か、行列の中に彼女の姿を見かけない日が続いた。親子たちは既に他の国に行ったのだろうと、ボランティアは思った。その後、別の難民からあるキャンプで彼女に会ったという情報が入った。彼女が「やっと主人に会えて、家族が揃いました」と笑顔で話してくれた様子を、私たちも忘れることはない。
 
クリニャチャ難民キャンプでの、セルビア難民委員会委員長のクチッチさん(後列中央)と地元ボランティアのタマラさん(後列で挙手)が子供たちと一緒に遊んでいた。コロナ禍に入ってから久しぶりの楽しい笑い声だった。(撮影・王素真)       
 
證厳法師と慈済は一体どのような団体で、なぜ多くの見知らぬ人が難民に関心を寄せて、毎日質の良い物資を提供してくれるのかと、ジャミラさんは不思議に思っていた。
 
これは全て様々な方面から善意のある人たちからの贈り物で、贈り主全てが裕福とは限らないが、愛に満ちた心で奉仕しており、慈済ボランティアは台湾だけでなく、世界各地にいて、困難にある人々を喜んで支援しているのだと、彼女に説明した。
 
ジャミラさん夫婦はそれを聞いて、毎日慈済から愛と関心を寄せられていたことが、このキャンプで最も貴重なレッスンだった、と私たちに言った。その後間も無く、ジャミラさん一家は安住の場所を探すためにフランスへ旅立ったことを知った。彼女たちの笑顔を私たちは永遠に忘れない。そして一層證厳法師に感謝の気持ちが湧き上がった。奉仕のチャンスをくださったことで、真の人生価値を見つけることができたのだ。
 
 
生きる希望を与える
 
文・ダリボル(ボスニア慈済ボランティア) 中訳‧陳志彦(イギリス慈済ボランティア) 和訳・葉美娥
 
二〇一六年から、私はセルビアの慈済ボランティアチームに参加し、シド難民キャンプに数カ月間滞在して、衣服や食料、その他の緊急支援物資を配付した。難民たちと一緒にバレーボールやサッカーをする時いつも、彼らに暫し悩みを忘れてほしいと願った。彼らの笑顔が私たちにとって最も嬉しいプレゼントなのだ。
 
二〇一七年、私は台湾に帰国すると、慈済の「四合一グローバル研修会に参加した。證厳法師と国内外から来た慈済の法縁者が互いに感想を分かち合っていたのを目にした。私も研修チームの中で多くの慈済人の話を聞いて、無私の奉仕の精神を深く感じ取り、今でもその精神を学び続けている。それは私の人生で最も意義のある時間だった。
 
オブレノバツ難民キャンプが再開されると、私もボランティアのメンバーとして参加し、毎日朝晩のパンと飲料水を配付した。彼らと交流しているうちに、あるパキスタンの青年が私にこう言ったことを覚えている。「慈済は物資の提供だけでなく、生きていく希望も与えてくれ、感謝しています」。この言葉は、今でも心の中に残っている。
 
この二年間、コロナ禍で私たちの生活は大きな打撃を受けたが、私は慈済の難民たちへの思いやりの気持ちを伝え、共にウイルスの脅威と戦った。いつも心に感謝の念を抱き、手のひらを下にして人助けする人になることを教えてくれた慈済に感謝すると共に、これからもずっと、慈済の大愛がセルビアに広がっていくことを願っている。
 
世界中で合心・和気・互愛・協力の各チームに分かれて活動する慈済ボランティアが、花蓮に帰って合同で研修する期間。 
 
 
慈済はずっとここに
 
編集・編集部 和訳・葉美娥
 
国際移住機関(IOM)の統計によると、二〇一五年には約百五万人の難民が「バルカンルート」を通っている。その中で、通過した難民が最も多い国はセルビアで、人数は約五十万人に上る。セルビア政府は、難民滞在期間の人道支援支出という負担に耐えられなかった。二〇一五年末、外務省から慈済基金会にその状況が伝えられると、慈済はヨーロッパのボランティアでチームを編成し、長期的に難民キャンプケアを始めた。
 
この二年来、難民の発生は新型コロナウイルスの感染拡大で減ることはなかった。ヨーロッパ慈済ボランティアは昨年の七月と十一月の二回、セルビアの難民キャンプに関心を寄せた。人数は減るばかりか増える一方で、彼らが数々の苦難と恐怖に耐えているのは容易に想像できた。少なからぬ人たちは怪我をしていた。それはセルビアの国境を越えようとして危険を冒した印なのである。一部の人は国境を越えて次の国に到着したが、その他は途中で国境警察に取り押さえられ、殴られ、物資を没収された上に屈辱を味わうのが常で、最後にはやはり難民キャンプに戻されてしまう。難民キャンプはスペースが足りないため、厳冬でもキャンプの外で足止めされてどこにも行けない人もいる。
 
慈済は2018年2月から、オブレノバツ難民キャンプで朝晩の食事の提供を始めてから4年間、途切れたことはない。昨年夏、ボランティアは現地を訪れ、食堂の防疫措置を確認した。(撮影・ハディ)
 
ここ数年、彼らの苦境を深く理解しているボランティアは、状況が変わらなければ、遅かれ早かれもっと厳しくなることが分かっていた。そこで冬には防寒コートを提供し、夏には着替え用の服を配付した。難民は入れ替わり立ち替わりするため、多くのキャンプではベッドマットが古くなって破れているので、慈済は新しいマットとカバーを届けると同時に、十八カ所のキャンプにいる難民が衣類を洗って衛生を維持できるよう、一年分の洗濯用洗剤も提供した。二〇一八年二月から今でも、オブレノバツ難民キャンプで毎日朝晩の食事を提供している。また中古パソコンも提供したことで、多くの難民が恩恵を受けた。
 
セルビアはヨーロッパ諸国の中で、最初に難民にワクチン接種を行った国である。セルビア難民委員会委員長のクチッチさんは、コロナ前は四十以上あった慈善グループが一緒に難民ケアをしていたが、昨年七月時点では三グループしか残っていなかった、と言った。彼は慈済がずっといてくれていることに感謝すると共に、今後も彼らに関心を寄せてくれることを望んでいる。
(慈済月刊六六六期より)                 
NO.308