慈濟傳播人文志業基金會
祝福されているから平安なのです
日々が幸せだと気付くと、
満たされて感謝の気持ちが起きます。
気がかりのない自由な生活を大切にし、
福を造って、福を増さなければなりません。
世界中の誰もが少し節約して、心を一つにすれば、
もっと多くの人を助けることができるのです。
 
 
時間は瞬く間に過ぎますが、一日が長く感じられることもあります。世の中に災難が多くなっています。大自然の秩序が少しでも乱れると災害が発生するため、一秒が一年のように感じられるのです。その上、今度の疫病は何時になったら終息するのか見通しが立ちません。「疫病」を話題にすると恐怖を覚えるようになります。常に警戒心を高め、自分が感染しないようにすれば、他の人を護ることができます。
 
ウイルスは実にしぶといだけでなく、触ることも止めることもできません。人類にも懺悔する気持ちが必要です。傲慢にもすべてを克服し、すべてを創造できると思い込んでいるのではないでしょうか。日常生活の中で貪り享受を求めていないか、節制なく資源を消耗していないか。戒め、慎み、心から自己反省し、間違いがあれば懺悔して、直ちに止め、それ以上、間違った方向に進まないことです。そして立ち止まって、良く聴き、よく見てから思考し、世の中の物事を理解し、人生を点検して、もう一度始めるのです。
 
悪念が起きると、その威力は強く、大きな禍いを引き起します。人間(じんかん)の争いは是非の区別が付きにくいものですが、被災者には何の罪もありません。ロシアとウクライナの戦争が始まってからは、美しくて心温まる故郷や人文の美に富んだ繁華街が、爆弾や砲弾によって瞬時に破壊されてしまいました。人々は一瞬にしてパニックの苦しみを味わい、家族間で生死の離別に見舞われたのを思うと、心が痛みます。
 
数百万人のウクライナ人が戦火を逃れ、生き延びるために隣国のポーランドなどに入国しています。男性は残って国の防衛に当たっているため、難を逃れているのはお年寄りと女性や子供ばかりです。その道のりは長くて辛く、今日は無事でも明日は何処へ辿り着けるのか。家に戻れる日は来るのか。戻るべきか、前進すべきか。これが今の彼らの心情です。
 
こういう境遇にいる人々にとって、時間が過ぎるのはとても遅く、耐えがたく感じているはずで、無数の人がこの瞬間に同じように感じているのです。戦争という乱世には、安らかな生活は得難く、これほど耐え難い苦しみは見るに忍びなく、私たちはずっと彼らを支援する方法を模索してきました。善意の人が善行を買って出たことに感謝します。この数カ月来、その縁によって、十二カ国に滞在している慈済ボランティアがポーランドに集結し、国際的な人道支援団体と一緒に彼らを支援することができました。そして、そこに行って自らの手で布施することができなくても、各地の慈済人は信心と願力をもって、愛を結集し、どんなに遠いところでも送り届けています。
 
今では避難したウクライナ人の中にボランティアになった人もいます。彼らも支援を必要としていますが、慈済の心温まる手引きによって、彼らは慈済に参加し、菩薩になっています。縁によってポーランドで出会い、何時の日かウクライナに戻った時、彼らは善の種となって地に蒔かれ、根を張り、未来において現地の社会に幸福をもたらすことでしょう。
 
慈済人がそこに集い、両手を広げて難民を温かく受け入れています。共に一つの心でもって、一つの事を為し、一つの法を成就させています。その法とは即ち慈済法です。私も慈済人が縁を逃さず、人間(じんかん)の出来事と真理を一つにして「苦」を理解するよう期待しています。この「苦」という字はとても実態のないものですが、人はそれを重く感じることができます。一部の人の無明濁悪(じょくあく)から、あれよという間に戦争が引き起こされました。このような国際間の一大事は、人々が自分の本分を守るよう警告しているのです。世の中に争いがなくなれば、平和を迎えることができるのです。
 
人間(じんかん)の禍福はすべてが善と悪の積み重ねなのです。心の動きと一挙手一投足により絶えず累積する善や悪は、因縁果報の中ではっきりと選り分けられます。大部分の人はぼんやりしたまま、たとえ幸福の中にあっても幸福だと気付かず、自分の平安は幸福によるものだと認識していないため、なかなか感謝の気持ちを持つことができないのです。感謝の心がないと、人生の無常が理解できず、永遠に満足することがなく、貪・愼・痴は尽きず、悪念が起きると、多くの危機を呼ぶのです。
 
福を得るには福を造って、それを増やさなければなりません。以前からよく「腹八分、二分は人助け」と言ってきました。例えば、四人が各々少な目に食べれば、五人が腹八分にすることができます。四人が心を一つにすれば、一人の飢餓に喘ぐ人を救うことができます。世界中の誰もがこのような心を持ち、少し節約すれば、もっと多くの人を助けることができるのです。心が満足すると余裕が出てきて、喜んで奉仕するようになります。もし愛の心がなければ、四人で五人分を享受しても足らず、いつまでも経っても「一つあって九足らず」で、苦しみ続けることになります。
 
人には大地や衆生を護る力があります。その力こそが愛なのです。愛の心を持ち、お互いに傷つけ合うのではなく、労わり合うべきです。大地が萬物を与え、私たちが衣・食・住に不自由しないようにしてくれていることに感謝しましょう。悩みのない自由な生活があれば、それを大切にするようにもなります。そしてそれが、地球が末永く、宇宙の中で順調に軌道を外れることなく、永遠にその美しさを保ち続けることに繋がるのです。
 
善いことは善い言葉から始まり、互いに善い話を伝え、人々に愛の心の結集を呼びかけてこそ、社会が平穏になるのです。時と縁を把握して、やるべきことを実行し、言うべきことは話し、一歩一歩着実に踏み出せば、人々に喜んでもらえるようになり、見習う人々が現れるという効果をもたらします。菩薩道は孤独な道ではありません。皆さんの精進を願っております。
(慈済月刊六六八期より)
NO.308