慈濟傳播人文志業基金會
急速にピークを更新
香港 コロナ禍の第五波
 
私たちのコミュニティーもロックダウンしたり、
強制PCR検査を実施したりするようになるのだろうか?
もし家族が感染したら、この小さな居住空間でどうやって隔離したらいいのだろうか?
道ですれ違った人は、感染者だろうか?
香港の第五波は、人々を恐怖の頂点へと押し上げた。
 
コロナ禍の暗い陰が全世界を覆って二年以上になる。香港は四波のコロナ禍を経験して、ようやく一息つくことができ、かなりの間、感染者ゼロをキープしたので、政府は少しずつ感染予防対策を緩和した。二〇二一年の初夏から徐々に元の生活に戻り、偶に散発的に陽性者が現れたが、日常生活に影響することはなく、私たちもポストコロナの新しい生活様式を受け入れ始めた。
 
私の五歳の子は、幼稚園の年長クラスに通っている。コロナ禍で一年前のクラスは殆ど自宅にいて終ったが、ようやく幼稚園に戻り、先生やクラスメートと会えるようになった。楽しく幼稚園に行って勉強し、午後は一緒にお母さんたちに連れられて公園で遊び、お母さんたちも互いに世間話しをした。それは極めて平凡な日常生活だった。
 
あの時、私たちは香港に住んでいることがとても幸せだと思っていた。他の国や都市の感染者数が何千、何万人だったからだ。私が小さな幸福に浸っていた二〇二一年末、香港ではコロナ禍第五波が始まり、オミクロン変異株の感染が初めて確認された。政府は人の流れを制御したが、旧正月前市場や商店街は、例年のように食材や花の買い出しをする人で賑わっていた。
 
ウイルスは瞬く間にコミュニティーに広がって収拾がつかなくなり、感染者数はうなぎのぼりに増加して、数百人から数千、数万人になったのは僅か二カ月という短い期間だった。その後、幼稚園は授業停止になり、子供は自宅で遠隔授業を受けたが、五日間そうしただけで、二月二十二日、政府は香港全域の学校の夏休みを三月と四月に前倒しすると公布した。
 
二月十一日、ある四歳の男児が新型コロナウイルスに感染して亡くなった。翌週さらに三歳になる女の子が亡くなった。全世界でコロナが広まって二年余り、幼児は言葉を習いだす頃からマスクを付けなければならず、初めは拒否をしていたが、慣れるしかなかった。今では親が外出する時にマスクを忘れたら、小さな彼らが注意を喚起する、と言った具合である。外出時にマスクを着用し、帰宅したらしっかり手を洗うことは、この時勢では二、三歳の子供が学ぶべきことであり、自分を守ると共に生活の常識でもあるのだ。
 
香港は非常に狭い土地に七百五十万人が住んでおり、人口密度が高いことも爆発的な感染を引き起こした原因の一つになっている。ウィルスの変異株は感染がとても速く、しかも目に見えないため、親として子供を保護する能力に限りがある。ワクチン接種の年齢が三歳児にまで引き下げられると、初めは躊躇していた私も多くを考えず、子供を接種に連れて行くことにした。
 
●香港全域で感染者数が急増し、高齢者施設のスタッフは、まるで大敵が攻めてくるように感じた。彼らは職場でしっかり入居者を守り続けており、慈済ボランティアは防疫物資を支援した。(撮影・謝勤)

ビクビクしながら、誰もが身の危険を感じた

昨年二月、香港政府は民衆に無料のワクチン接種を始めたが、多くの人、特に年配者がそれに呼応しなかった。主な原因は、ワクチン接種後の副反応に関する報道を聞いて、彼らが信用しなかったからだ。私は口を酸っぱくして、義父と義母にワクチン接種を受けるよう勧めた。また台湾の家族の例を挙げて、たとえ慢性疾患を抱える人でも受けることができ、三回目の接種までも受けていると説明した。
 
政府は、ワクチン接種は重症化予防になると宣伝し続け、第五波では、更に新しい予防措置として、ショッピングモールやスーパーマーケット、レストランなどの公共施設では接種証明がないと入れないようにしたが、効果はなかった。普段は毎朝必ずヤムチャに出かける我が家のお年寄りたちは、愛して止まないヤムチャに行くのは諦めたが、ワクチン接種は受けようとしなかった。若輩の私たちはただ彼らの決定を尊重し、できることは彼らの健康を守ることだけだった。私は慈済香港支部でジンスー本草飲(漢方茶)を買って、週に五回飲むようお願いした。お二人とも飲んでくれているので、とても感謝している。
 
公営住宅のコミュニティーで絶えず感染拡大が報道され、政府は大胆に五日間のロックダウンを実施し、住民に対してPCR検査を強制するなどの措置を実施した。ロックダウンされた住民は自宅待機しなければならず、検査を受ける時だけ外に出ることを許された。二月の天気は湿度が高くて寒かったが、強制検査エリアには長い行列ができた。社交距離を維持するのも難しいのに多くの人が一、二時間待たされ、その中にはお年寄りも少なくなかった。
 
同じように公営住宅に住んでいる私たちは、何時自分たちがロックダウンされ、強制検査の対象になるのか、不安だった。家には年寄り二人と五歳の子供がいるので雨風の中、外で並ばなければならなくなったら、どうしたらいいのだろう。
 
一日の感染者が千人単位になった時、公営医療機関は負荷が超過し、医療スタッフが不足して、救急外来は患者でいっぱいになった。多くの患者は診察室の外のテントで横になって待つしかなく、寒さが骨身に沁みていた。また、家に重症患者がいる場合、家族が救急車を呼んでも、なかなか応じてくれなかった。政府の専用ホットラインはなかなか繋がらず、人々は自分に頼る以外に方法がなかった。多くの陽性患者の家庭には年長者と子供がいるので、軽症者が何とかして外出し、食料や日用品を購入するしかなかった。
 
買い物で外出する時、道ですれ違う人は感染者ではないかと疑い、怖くなる。もし、私たち一家六人の中に感染者が出たら、この狭い住空間でどうやって隔離し、子供と年寄りを守ればいいのだろう。もし、子供が感染したら、救急外来や隔離病棟に搬送しなければならないが、両親が付き添うことはできず、子供は一人で過ごさなければならない…。様々な仮説と良くない憶測が私をパニックと不安に陥れた。
 
プロフィール
香港の新型コロナウイルス感染状況
 
●第5波の感染拡大は3月4日にピークに達し、数日続けて、1日の感染者数が5万人を突破した。
●3月下旬の感染者数累計が百万人を超えた。香港大学の推計では香港の人の約半数が感染しているとのこと。
●第5波では4000人以上が死亡し、その9割はワクチン接種をしてなかったり、2回の接種を完全に受けてなく、死亡者数は過去の4波の合計を上回った。
●香港政府の対応策として、簡易検査の陽性者を感染確定者と見なし、集中隔離的な「方艙病院」を建設した。

相手の身になって、互いに助け合う

異国に住んでいる私は、幸いに慈済の法縁者に気遣ってもらうと共に、證厳法師の法語も私の心を落ち着かせてくれた。
 
證厳法師はこう開示した、「コロナ禍の中では、一層自分の心身を落ち着かせることが大切です。正知(正しい知識)と正見(正しく見る)でもって物事を考え、取り乱した恐怖心を鎮め、生霊を呑み込む貪欲な念を止め、菜食して、自分も他人も天地万物を愛護して、環境の中に溶け込んで共に生きて行くことです」。
 
近所の親友から電話で、彼女の五歳の子供が発熱して、家族全員が自宅で抗原検査をしたところ、皆、陽性と判明した、と言ってきた。しかし、この時期、クリニックと私立病院は、上気道感染、発熱、あるいは感染確定者を受け入れていない。彼女は仕方なく子供がよく診察に行くクリニックのホームドクターにお願いして、過去のカルテに沿った薬を処方してもらうしかなかった。しかし、家族全員が感染したため、クリニックに薬を貰いに行く人がいないので、私に助けを求めて来たのである。コロナ禍ではより一層協力して助け合うことが必要だ。もし私たちがその立場だったら、誰かに救いの手を差し伸べてほしいと思うだろう。
 
友人が自宅療養の様子を話してくれたことにも感謝している。子供は医師からもらった解熱剤と咳き止め薬を服用して症状が緩和し、大人はワクチン接種をしていたため、自分で市販の鎮痛剤を服用し、一家四人は水分を多く取って休息することで、ゆっくりと体調を回復させ、やっと無事に難関を乗り越えた。この事で私はそれ以上パニックになることはなくなった。人助けする過程で、実は自分を助けており、もし不幸にも感染した時は、如何に向き合い、対処すればいいかが分かったからだ。
 
香港と中国本土の間を行き来するトラック運転手も次々と感染したため、中国本土内から香港への野菜の供給にも影響が出て、野菜の価格は一斤(約六百グラム)当り十数香港ドルだったものが、最も高いもので四十ドル、更には七十ドルに値上がりしたものもあり、手が付けられない状態になった。野菜不足になってから、間もなく二軒の屠殺場でクラスター感染が発生し、百名近い作業員が感染して、たちまち新鮮な豚肉が市場に出回らなくなった。調査報告によると、香港人の食肉消費量は、世界でも有数なのだそうだ。
 
このことで、證厳法師の開示を思い出した。世の中で最も満たすことができないのが鼻の下にある口である。味や食感の満足のために、地上のさまざまな姿の生命をお腹に入れる。牛や豚、鶏、アヒルなど、数え切れないほどの種類の生き物を食べるのである。コロナ禍の発端を振りかえってみると、人類の貪欲から来ており、「病は口から」と言われるように、野生動物を食べているうちにウィルスもお腹に入ったのであろう。
 
慈済香港支部は今回の感染拡大の中で、積極的に「大いなる教育、菜食しかない」活動を推し進め、誰もが斎戒して菜食し、コロナ禍が速やかに収束して、災害のない世界になり、真心で祈って共に善念を寄せ合うよう呼びかけた。
 
感染状況は日増しに深刻になり、政府がロックダウン対策も排除しないと発表するや否や、民衆にパニックが起き、買いだめ現象が起きた。日用品だけでなく、市販の鎮痛剤、風邪薬、解熱剤などの売り場は一掃され、あらゆる防疫物資の価格が跳ね上がった。台湾の家族と慈済の法縁者が関心を寄せ、香港に何か送るものはないかと聞いてきた。
 
二〇一八年に主人と共に香港に移住したが、僅か三年余りの間に、二〇一九年には社会運動、二〇二〇年からはコロナ禍を経験してきた。この混乱とコロナ禍の中で、私は愛と寄り添いがあってこそ、力が生まれ、愛があるからこそ、あらゆる人と共に乗り越えられるのだと実感した。
(慈済月刊六六五期より)
 
No.306