慈濟傳播人文志業基金會
地球温暖化が緩やかになるように 共に認識を深め、共に歩こう

欲念を低く抑え

生活を自然に戻し

心霊は素朴で堅実に

愛の心を高め

自分と他人をも愛し

共に大地を大切に

皆同じ知識を以て共に努力すれば

まだ地球を救うには間に合う

 

東アフリカ内陸にあるマラウイは、長期の旱によって食糧難に陥っています。ニュースの画面にひび割れた広大な大地が映し出され、農夫は懸命に土を掘り起こしていますが、乾ききった土に種まきはできず、さらにどんなに苦労して耕したからといっても作物はできないでしょう。長年にわたる食糧難で現地の人口の半数が飢餓状態に陥っており、現在少なくとも二百万人が食糧援助を必要としています。 

南米パラグワイのアスンシオンの熱帯雨林は、史上稀にみる豪雨で数万人が避難を余儀なくされています。新疆ウイグルは雪や氷に閉ざされて、米国のワシントン州でも豪雨によって洪水や土石流が発生しています。

同じ地球上にありながら、ある地域では旱による食糧難、ある地域では豪雨による災害が起こっています。これらはみな気候が極端に不均衡に陥っていることによるものです。その上、気候変遷の根源は地球温暖化にあります。 

地球温暖化による災難はますます頻繁に起こり、旱、洪水、暴風雨は人類に生命財産の損失をもたらし穀物の生産にも影響しています。工場開発にともなう土壌、水源への汚染は農民の苦労にもかかわらず、収穫は食用に供することができずに破棄されてしまいます。食糧の供給と生産の問題は人類の存続に重大な危機を及ぼしており、いち早く地球温暖化の対策に取り組まなければならず、各国が共に取り上げて共に認識を深めることです。 

第二十一回国連気候サミットがパリで行われ、百九十カ国あまりの代表が集まって地球温暖化を防止するための具体的な行動について相談しました。十二日間の討論の間、経済利益と地球保護をめぐって困難な難題が起きていました。最後には、地球温暖化を摂氏二度以内に留めるとの決議をめぐって議論となり、最終的に摂氏一・五度までに下げるよう努力することを決議しました。 

人々はこの問題の根源をよく知っています。それは人類が利益、享受を貪るために地球の温度が上昇し、それが極端な気象現象を引き起こすもとになっています。しかし経済利益を放棄して一酸化炭素減少に努めようと決心することはなかなか難しいものです。

地水火風の四大不調は人心の不調によります。人心の無明とは、目先の利益にとらわれているためで、濃霧に覆われ遠方が見えないのと同じことです。目先の利益ばかりを求めていると、人類の未来に危機を及ぼします。地球を救うことを悟らなければ、取り返しのつかないことになります。 

全人類が共同で依存している地球を保護すれば、人類の平安は保証されます。「共に知り」「共に認識」するだけでなく「共に行動」しなければなりません。ですから省エネ、二酸化炭素減少はスローガンだけでなく、日常生活の中で実行しなければなりません。皆が物欲を抑え、愛の心を高め、共に知り共に認識して人を愛し、大地を愛してこそ、地球の危機を取り除く妙薬となるのです。

 

 

「気候変動に関する国連枠組条約」執行秘書のフイカロス女史は、身を以て範を示しています。彼女は素食は二酸化炭素減少に役立つと理解して、二年前から実施し、普段は歩くか、自転車やバスなどの交通機関を使って二酸化炭素減少に努めています。

素食は満腹感を感じ栄養に足る上、さらに動物の命を犠牲にしません。口欲は舌先の何秒かの快感でしかなく、業者に大量の動物を飼育させ、大量に出される排泄物は温室効果ガスを排出します。観念を変えることで、皆は素食で地球を守ることができます。人類が大地を大切にすれば、大地は人類が必要とする安心無事を供給してくれるので、互いに感謝すれば善の循環になります。 

物欲を少しでも少なく抑え、生活を自然に戻して素朴になると、地球温暖化を防止する助けになります。これは人々の責任であり、また使命でもあります。自分のためだけでなく、子々孫々にわたり健康な地球を残してあげましょう。  

たった一つの命も見捨てず
永遠にこの信念を堅持する 

 

十一月十八日に、林傳欽が台北関渡志業道場へ私に会いにきました。当時十四歳だった台湾原住民、ブヌン族の少年は瞬く間に四十二歳になっていたのです。

二十八年前のことを思い出すと、その頃は花蓮慈済病院が開業一年を過ぎたばかりのことでした。車の修理工場で働いていた彼は大きな大理石に圧し潰されて、救急室に運ばれて来た時は、下半身はめちゃめちゃに砕け、露出している腸や胃のところどころに砂がついて、そのすさまじさに私の胸は激しく動悸を打ち、目を覆いました。 

医師たちは素早く露出している腸などの腹部を洗浄し、生理食塩水だけでも六十三ガロン、二万CCの輸血で地獄の門から彼を救い出しました。 

医療スタッフは、まだ十四歳の未来を考慮してなんとか足を切らないようにと手段を模索しました。しかし下半身の大動脈と大静脈は完全に切れており、傷口に感染して壊死すると敗血症を起こし命取りになりかねません。最後に両足を切断して上半身だけになりました。次いで泌尿器系統の再構築と植皮などは、医療スタッフと林傳欽の長期にわたる試練でした。生命力は実に不思議なものです。整形外科、骨科、内科、栄養科などの医療スタッフはあきらめずに一度また一度と危険な状態から救い出し、彼もそれに応えていました。

空中に吊り下げての治療が数カ月経った後、やっと平らに下ろしましたが、座骨がないのでどうやって座らせるのか問題でした。整形外科主任の陳英和医師が思いついたことは、ふくらませた風船を桶に入れて座らせることでした。陳医師は一人で徹夜して、百個以上の風船をふくらまし、大きなビニール袋に入れて固定してから樽に入れ、彼を抱き上げて、風船の上に座らせる訓練を始めました。 

医療スタッフばかりでなくボランティアもケアに参加して、一年半の治療とリハビリを経て傷が安定すると退院しました。水泳の選手だった彼は退院後も練習に参加して、障害者水泳競技で金メダルを獲得し、世界大会とアジア大会にも参加して、それぞれ金メダルを獲得し、精舎へ来て私たちに見せてくれました。

こんなに重大な傷を受けて障害者になっても、彼は堂々と生きのびて結婚し、妻を連れて私に紹介してくれました。彼は器用で芸術の才能を活かして、アニメキャラクターなどの風船を作って子供たちを楽しませながら生活を維持しています。 

当時、彼の主治医だった整形外科主任陳英和医師は、花蓮慈済病院がオープンする以前に花蓮へきて病院の整備をしてくれていました。後に院長になり、今では名誉院長です。その高名な技術を学ぼうと、最近アモイから楊暁東と陳団治二人の患者がきました。 

硬直性脊髄炎を患っている楊暁東は、十二歳に発病してから家にひきこもって十九年間、全身が二百度に湾曲し、顔がほとんど膝にくっついていました。そしてアモイからはるばる花蓮へきて陳英和医師の診察を受け、五回の手術を受けた結果、頭を上げ胸を張って歩けるようになっていました。 

二十六歳の陳団治は「先天性両膝反湾曲」で、楊暁東の手術の成功をニュースで聞いて花蓮の病院にきました。以前は足を曲げた状態で歩いていたのが、陳医師の七回の手術で足裏を地につけて歩けるようになりました。今ではバスに乗って、現地のボランティアたちと貧困家庭の訪問ケアに行っています。「どんな命も見放さない」。これは慈済の医療志業が幕を切った時から今まで、三十年近く持ち続けている不変の決意です。慈済の医療はまた「慈善医療」と言えます。医療スタッフ以外にボランティアが患者だけでなく家族の心にも寄り添って温かく世話をしています。    

 

心を一つに穏やかに
互いに愛し協力すれば
時が累積され
愛の力になる 

 

ふり返ってみると、五十年近い慈済の道は一歩一歩が険しいものでした。しかし今では五十カ国以上に根を下ろし、撒いた愛の種は芽を出し苗から大樹に成長して、苦難の人を陰ながら見守るばかりでなく、近隣諸国の救助もしています。

アフリカ本土のボランティアは、生活は貧しくとも心は豊かです。彼らは慈済が早期、「竹筒歳月」の艱苦の時代精神だった、毎日五毛銭を貯金して人助けする方法を用いていますが、五毛銭を出すことができなくても、日々善の心で福田を耕し、あらゆる所で愛の奉仕をしています。

近日中に二十八の国と地域から台湾へ委員の認証を受けにきます。その中にはアフリカの五カ国、南アフリカ、スワジランド、シンバブエ、レソト、モザンビークの人々がいます。彼らは法を求めるため、はるばる千里の道を辿ってきました。修行中は一時も無駄にせずに法を吸収しています。 

アフリカ菩薩たちは愛の心に満ちているばかりでなく、人文も豊富にあります。彼らは慈済の法脈と宗門に明るく、また「仏心を師の志とする」ことも心得ているので、普段の貧民ケアでは、苦しみがなくなった後には説法を尽くすことができます。彼らの貧しい生活、劣悪な環境、慈済人との言語の隔たりなどすべてを忍んで、努力して法を伝えていることに感動しました。 

この度、三人のインド系マレーシア人が台湾へ認証を受けにきました。彼らの民族は厳格な規律があって、婦女子は夜間外出することができません。しかし彼らの努力で、社会のために尽くしていることを家族が理解して、支持を得ることができました。異なる国々にいる慈済人は、肌の色、民族、国籍、宗教などは一様でなくても、志を一つに菩薩道を歩むこの信念が仏陀の大慈悲心です。苦難の人の中に入って、真心を以て相手を尊重し協力して愛の力を発揮しています。

    

よいことをして
心と脳を循環させよう    
善の細胞は絶えず新生する

 

五十年近く慈済と共に歩いてきた多くのボランティアは、黒髪から白髪になっています。十二月初旬歳末祝賀会で屏東へ行脚した時、ボランティアたちが壇上で「経蔵に入りて」の劇を演じてみせてくれました。その敬虔な一挙手一投足はさながら法会のようでした。練習に練習を重ねて、法を心に刻み込んだ徳行が現れていました。その二回の演技は忘れることができません。

屏東の劉徳妹は貧しく、夫と工事現場の仕事に就いていました。そして慈済が花蓮で病院を建設するという話を聞いて、工事現場や市場で寄付金を募り、毎月夫婦で花蓮へきて募金で集めたお金を納めにきていました。夫婦は、職員が帳簿に記入している間の時間を惜しんで、精舎の畑仕事を手伝っていました。

それから三十年が経ち夫婦は亡くなりましたが、その行いは模範となって、多くの人間菩薩が受けついで、菩薩道で精進しています。

たとえ体が老いても心は老いていません。老いても時間を無駄にせず多くのことをやればその分得ることがあります。毎日起床の時に身体が健康で手足を動かすことができると、精神を奮い立たせて良いことをすることができます。良いことをすると心と脳が循環して絶えず善の細胞を造ります。

誰も自分の生命がどれだけ長いのか知ることはできませんが、しかし生命の価値を大きく深めることができます。進んで人の中に入って造福し、自分の慧命を増やしましょう。

平安に昨年の毎日が過ぎていったことは大変ありがたく、感謝します。これから、敬虔な心をもって、新しい一年を迎えます。皆さんが時間を把握し、また日々精進して、生命の価値を発揮されますよう願います。

NO.229