心を広く持ち、欲念煩悩のままにならず、正しい方向を見失わないように
人の心が健康であれば、
大地は平穏になる
英国中央銀行総裁は先日、地球温暖化による災害とそれに起因する経済損失は、全人類に速い速度で「気候変遷の災難性衝撃」を与えると述べた。非営利組織「気候相互(ClimateInteractive)」は、地球の温度が三・五度上がると、全人類は適応できなくなると警告している。
朝会の時上人は、「地球が健康であってこそ、人類は平穏になることができるのです。しかし微小な人類が大宇宙に対して良くないことをすると、地球は発熱して病に冒され災難を引き起こします」と、おっしゃった。そして、人体の「小宇宙」と天地の「大宇宙」の道理は相通じるもので、病原菌が人体に入ると病気になり、人類が環境を破壊すると四大不調になると強調された。
地球の健康は、全人類の心身健康があってこそ維持できる。したがって地球の温暖化を防止するには各々の生活習慣からやらねばならない。分に安んじて己を守り、生活を簡素に、人や物を大切にして地球の健康回復に努めよう。
経蔵に深く入ると
悟り迷わない
あるボランティアが重病の同門に《地蔵経》を唱えて、健康になるよう励ました。上人は、病人が健康を取り戻すのは各自の因縁によるもので、他人の唱えた経によって厄を払ったり健康を取り戻したりすることはできないと開示された。
「読経は祈願のためにあるのではなく、自分に道理の了解を助けてくれるものです。多くの経典を読んで心に道理を吸収して、常に身、口、意を慎むように自分に促してこそ、真に法益を受けることができるのです」とお教えになった。
そして《地蔵経》の中の、因縁果報の道理を深く理解して、自分を戒め、限りあるこの人生を把握して造福し精進すること。法を聴いて体得し、菩薩道に努め励んで智慧を高めること、そのすべてが自分の収穫になるとお教えになられた。
教育によって
人生が転じられる
「ネパール人の階級と姓名は一生変えることができない」と、ネパールに住む慈済ボランティア馬坤達が話した。ある遠い山村では、階級の差が明らかになっているだけでなく、男女の差別はさらに甚だしく、貧困家庭では女の子は未成年でも金持ちの家に下女として売られている。国連人権組織と現地の慈善団体はこの陋習を打破することに努めているが、人心の観念は根強く困難である。
上人は、「二千年前シッダルタ王子は人生の様々な苦難と階級の不平等を感じられて、出家し道を求め、ついに悟って仏になられました。仏陀の悟りは、衆生みなが仏性を具えているということで、その一生を衆生の説法と済度に尽くされました」と話された。
ネパールで強烈な地震が発生した後、慈済は縁があって仏陀の故郷へ救済し苦を助けたことは、仏陀の『慈悲等観』の精神が仏陀の故郷に復帰することを願っていたからだ。
インドの企業家プミン・パリサン氏は今年三月、母を伴って上人に帰依した。プミンは自分の出身は最も階級が低い「シュタラ階級」だったが、父母の努力によって教育を受けることができ、社会で頭角を現すことができたと話した。上人はこれを例に上げて「階級の問題は改められないものではありません。教育を通じて階級不平等の問題は改革することができるはずてす」とおっしゃった。
慈済は現在、ネパールで希望工程(学校建設)の支援をしていて、上人は貧困家庭の子供たちが教育を受けて、将来貧困から脱け出し、運命が変えられるよう願っている。
事を以て理を顕かに
法を以て古に帰る
上人は「苦難の衆生に心から奉仕すると同時に、人と人との間では法を用いること」と、中国の華東、華西からきたボランティアに、法を以て苦難憂慮をなくすように励まされた。
「法は奥深いものです。真実の事相とは最も人の心を動かす『法』です」と上人は述べられ、世の中の事々は幻のように変化する虚無無常であって、ただ法の理のみが永久不滅だと説かれた。「法は無体相で必ず人、事、物の譬えを用いて示している。この世の一切の事のありさまに仏法は含めておらず、必ず細心に体得せねばならない」
慈済は中国で救済や就学援助に二十数年間も苦労して、細心に種をまき福田を耕してきていることに、上人は「以前に困難を排して耕していなかったら、今日の成果はなかったでしょう。この人々を感動させた事柄はさらに多くの奉仕する人を導きます。これもまた人々が法を大切にしなければならない所以です」と。
「慈済宗門」は「静思法脈」に端を発し、確実な法脈があったからこそ宗門を広く普及させることができた。上人は「狭い空間では外の境地は見えません。心を大きく広げると無限の天空大海が見えます。注意深く法を聞いて静思法脈を伝承し、慈済宗門を世界に行き渡らせるのです」と。
「苦を見て己の福を知る」ことを、「十二因縁」の中の無明から始めてみると、累生累世の循環はとどまる所なく続いていることが理解でき、煩悩をなくすには、無明を滅するところから始めなくてはならない。
上人は「人には各々習気があります。もしもことごとに自分の見解に捉われ、人に協力を押しつけると事ははかどらず、お互いの協力がないと楽しくなれません」と述べられた。
勝ちたいという欲望を押さえなければ、心は絶えず無明煩悩の業を複製し、生生世世輪廻の苦に陥る。上人は「衆人は心を拡げて、広い世界に目を向け、欲念煩悩の浮き沈みに方向を失わせてはなりません」と諭す。
仏に学ぶ者で、最も重要なことは澄みきった心境をもって、確かな方向に向かい、進んで人中に入って天下の苦難の衆生に尽くすこと。慈済人は同じ法の源から成り、林立している菩提の林は同じ根から生えている。上人は皆に仏法の根源に回帰し、常に法の中にいることを期待されている。
|