慈濟傳播人文志業基金會
この世にはまだ善も美もある

子供たちは難を逃れる途中でさまざまなことに遭遇する

だが、この世には善や美なる物があることを知らせたい

周りの友や見知らぬ人に対しても善意を持つように願う。

シリアの内戦によって数百万人が、行き場もなく彷徨っていることが世間の人々の注目するところとなり、国際的な問題となっている。彼ら難民の家はいったいいずこにあるのか? 

この度の配付の中で出会ったシリアの人々の思いはみな一様で、親として子供たちに明るい未来を築かせるため、命の危険を冒して自由に向かって走って行った。しかしその境遇はみな一様に人の軒下に身を寄せることになり、生計を維持するため大人はもちろんのこと、幼い子供までが工場の日雇いをしてわずかな賃金を得るために働かねばならない。トルコ通貨の一リラは台湾元に換算して約十一元、大人の月給は千二百リラ、子供は六百リラから八百リラでしかない。

疲労困憊のはてに家に帰っても狭い借家に大勢がぎゅうぎゅづめでろくに休むこともできない。食欲もなく、長時間心身に受けるストレスは例えようがない。

親は子供たちに良い生活を送らせたいがために故郷を離れたが、かえって家計の負担を負わせ、勉強の機会まで失わせたことに自責の念に駆られている。しかし不幸中の幸いにも縁があって、現地の慈済人に巡り合い、しばらくの間経済的なゆとりができて、子供たちの教育問題も解消した。

イスラム教徒はよく「プクラ、インシャラ!」と言うが、その意味は「すべてはアラーのお導きのもとに」とある。その実この一句は仏教の「一切は良い因縁による」の意味に近い。ジュマ教授は、同じくイスラム教徒で、また慈済の門弟でもある胡光中と周如意を訪ねて、一緒にシリア難民救助の構想を打ち出した。そして、上人を尊敬しているスウタンチャチ市の教育局長は全力で支持して、現地の宗教学校が午後授業が行われていない教室をシリア難民児童のために提供するようかけあってくれました。さらにスウタンチャチ市長も熱心に協力してくれたおかげで、すべてが順調にはかどった。

ある学生が「私は以前に、コーランの第二章の『黄色い牛』を夢見ました。その中で遠くから愛のある人が助けに来てくれたというのがありました。その夢が今本当にかなったのです」と話した。

一歳半の赤ん坊を抱いていた若い母親は、夫に固定収入がないので、二人の子まで職に就いて一家八人の暮らしを助けていました。「ジュマ教授から、台湾からきた慈済が、経済的な理由で学業をあきらめている子供に、月給と同じ金額の生活補助金を配付して学業を続けさせているという話を聞いた時は、私たちをだましていると猜疑心でいっぱいでしたから、子供に仕事を辞めさせませんでした。しかし隣の人が本当に補助金を頂いたのですよと言ってくれました」と話す。

「私は自責の念でいっぱいでした。私は慈済を信じることができなかったために、二人の子供の就学の機会を逃してしまいました。私はどうしてそれを償えばいいのでしょう?」と。私たちが家庭訪問したほとんどが同じ状況だった。

子供たちが難を逃れている途中、もろもろの悪を見、経験してきただろう。しかし慈済の助学計画と人文活動を通して彼らに、世界にはまだ多くの善なる物、美なる物があることを感じさせ、宗教や言葉、民族を超えた愛は、成長した後でもこの世に存在している善美の印象を通し、友達や知らない人に対しても、彼らは感謝し、何事も善に解釈することができると信じている。

私がまだ慈済に参加していなかった時、仕事の関係で中東諸国を回る機会が多く、トルコとイスタンブールもたびたび訪問していた。しかしこの地で善と美の因縁に出会うとは思ってもみないことだった。上人に心から感謝し、また多くの慈済の同門たち、さらにトルコ、シリアの人たちが私たちと共同で、この因縁を成就させることを願ってやまない。

 
NO.229