馬永昌は早朝に法の薫陶を受け、昼間は仕事のシフトをこなし、夜に環境保全の作業、平日はお年寄りと子供の世話もしています。
心をこめて善を行い法を学び、一刻を惜しむかのように、すべてに全力で取り組んでいます。
夜明け間近、山の稜線をうす紅に染める朝日が大地を呼び覚ます頃、職場の冷凍倉庫から帰宅したばかりの馬永昌は上着のファスナーを引き上げていました。そして軽トラックに乗り込むと静かにドアを閉めました。力を入れすぎると荷台のビニール袋がきしんで音を立て、寝ている家族を起こしてしまうからです。少し急いで車を慈済員林連絡所に走らせます。「早朝の静思語」に間に合うように。
彼は冷凍倉庫の管理者をしています。シフト制で一回十二時間連続の勤務なので、昼と夜が逆転しがちです。それでも昼間の仕事が終わる夜八時になると、休む間もなく衣料品店の資源回収に向かいます。夜は環境保全の仕事をしているのです。
環境保全の仕事は二十一年間ずっと続けてきました。二○一三年三月からは、「目覚ましが鳴ったら、早朝法話の薫陶を受ける」ことも生活に取り入れています。昼間の勤務の時は四時に起床して連絡所へ通いますが、夜勤の時は大愛テレビで法話を視聴しています。すでに五十歳を超えた彼は、法話を聞いて自分の迷いを正し、精神力に変えているのでした。
一九六四年十月十二日、彰化平原の東南、八卦山のふもとの員林地方で、第一市場裏の三合院に一人の可愛い男の子が誕生しました。馬漢文と馬游桃という夫婦の第一子でした。
夫婦はともにこの地でよく働き、数年後には余裕もできたので、員林南部に六人家族で落ち着きました。馬永昌によれば、父は倹約家で真面目な人でした。母は第一市場で朝食を売っていました。単純でとても平穏な生活でした。
両親の教えのおかげで穏やかな性格に育った馬永昌は、秀水工業高校機工科を卒業し、澎湖島で兵役の義務を終えると、自分の故郷で何か役に立ちたいといって戻ってきました。一九九四年、彼は員林東山にある鉄鋼所に就職していましたが、ある日同僚とお茶を飲んでいると、その同僚が慈済委員の王明春に寄付を渡し、週末の資源回収ボランティアに一緒に行くところに遭遇しました。そのまま自分も連れて行かれ今日までボランティアをしているんですよ、と彼は笑いながら話してくれました。
不眠不休で
一九九○年、證厳法師は台中で講演をされ、「拍手をする手で環境保全をしましょう」と呼びかけられました。それを聞いた慈済員林のボランティア達は身を以て実行し、人々を先導して自ら進んで資源の分類と再利用に努め、一九九二年環境保全ステーションを立ち上げたのです。
王明春は馬永昌という良きパートナーを得たので、二人の意気の合った取り組みで毎月第二、第四日曜日に車を出して資源を回収し、持ち帰って分類を行いました。その後、馬永昌は自分の車を回収車として使うことにしました。
「初めて車を資源回収に使う時、王明春は時間があれば私に慈済のことについて話してくれたのです。おかげで私も少しずつ理解できるようになりました」
「明春と知り合って間もなく、一冊の『慈済世界』という雑誌を渡されたのです。そこには上人様とその同志の方々が自身の生活を顧みず人々を救うことに尽くしていらっしゃる様子が紹介されていました。それを見た時、特別何かを考えたわけではなかったのですが、ただ資源回収だけはやってみよう、自分にもできそうだと思ったのです」
一九九四年、馬永昌は「慈済列車(慈済ボランティアの貸し切り車両)」に乗って花蓮の静思精舎へ帰りました。翌年も再び帰ることになり、戻ってくる頃には心から慈済に賛同していたのです。そして一九九六年訓練に参加し慈誠隊員となり、精舎の師匠たちの励ましを胸に精進しながら素食も続け、今に至っています。
彼は台中の慈誠第十中隊副隊長を受け持っています。夜勤の勤めがあるのですが、時間さえあれば必ず参加しています。彼の母親が話してくれました。「永昌は慈済の仕事ならば睡眠時間を削っても惜しくないのですよ」
一九九九年、台湾は台湾中部大地震に見舞われました。彼は職場に一カ月の長期休暇を願い出て、南投の被災地で仮設住宅を立てることに全力投球しました。その時はただやり遂げたいと思うばかりだったそうです。温かい家を立てて被災者が寒い冬を越すことができるようにという一心で。
一人で子育てをする苦悩
人生という時間の流れの中で、馬永昌にも巡り合わせがありました。結婚、そして離婚し、一人で子育てをすることになりました。
職場では理解者に恵まれました。冷凍倉庫の工場長です。放課後子供を職場に連れてくることを許してくれたばかりでなく、宿題をさせてから一緒に帰宅するよう勧めてくれたのです。馬永昌はもう一人母親の世話もしていました。腎臓の悪い母親に透析治療を受けさせ、一家三人を支えていたのです。
家庭を支え養いながら、彼は慈済にも力を注ぎました。回収物を車に乗せるときは息子の馬尚豪を連れて向かいました。上人様の法話によって息子を導きたいと考えていたのです。身を以て体験させることで養育していこうとしたのです。
ですが夜勤のときだけは、さすがの馬永昌も心苦しさを感じていたそうです。母親のいない小さい子を残して仕事にいかなければならないのですから。
やりきれない時、職場にはテレビがあったので大愛テレビで「早朝の静思語」を見ていました。上人様の法話に助けられて心の荷を降ろせるような気がしたのです。「小さな愛にとらわれていると歩けなくなりますから、大きな愛を支えにすることで自分のすべてを受け入れられたのです」。人生のうまくいかない時期に、彼は慈済の仲間の支えに感謝し、子育てをおろそかにすることなく過ごしました。彼にとって早朝に法の薫陶を受けることは心の安らぐ大切な活動となっています。
心を定めれば憂いなく
二○一三年三月十一日、慈済員林連絡所はインターネットで花蓮の精舎と繋がり、上人の早朝開示を同時に聞くことができるようになりました。馬永昌は上人の「塵沙惑」を聞きながら、さまざまな無明は予想できないもの、凡夫は絶えず心に仏法を念じることが大切で、煩悩をなくしていかなければならないことを学びました。「上人のご開示で『法華経』を聞くと私の心は安らいでいくのです。落ち着きを取り戻し、人生で経験して来たことにも向き合うことができるばかりか、子供と自分の未来にも対処できるのです」
二○一五年十一月二十五日、上人は彰化の静思堂で歳末祝福会をとり行いました。彼はそこで舞台に上がり、千五百余人の慈済ボランティアと共にその祝福を分かち合うことができました。「慈済は正しい道であると知っている者は時間を有効に使うことができるのです。良い縁を結び、心して環境保全に努めましょう。法の薫陶を受け、心の平静を保ちましょう。そして心の荷を降ろしましょう」。馬永昌は仏法と師匠に出会えたことに心から感じ入り、涙を流しました。
王明春は言いました。馬永昌がボランティアを始めた頃は、両親は結婚が破綻したことをよく思っていなかったが、彼は一歩一歩努力して克服した、彼はとても善良なので人の好き嫌いをせず仕事をこなすことができる、言葉で表すのは不得手でも誠心誠意をこめた行動で人を助けることができるのだと。
息子の馬尚豪は十七歳です。親孝行で物わかりもよく、昼間はアルバイトをして夜は夜間学校に通っています。早く自立の道を探し、将来父親の世話をしたいのだそうです。心優しい子なので、すでに十年来父親と一緒に環境保全にも参加していますし、夏と冬の休みには共に早朝の法香に薫陶を受けています。大変ではありますが、苦しいとは感じないそうです。
馬尚豪は、父親が不眠不休で善を行う姿を最も尊敬していると話してくれました。子供の成長は馬永昌にとって自分の時間を取り戻すきかっけとなりました。奉仕する中で大きな喜びを得、人生の難関を越えたと実感した時でした。
(慈済月刊五九五期より)
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