悪言や悪語で人に対してはならず
柔和と善の態度で人を助け
自分の初心を堅く持ち
なお他人の発心をも尊び護ろう
今年の七月八日、台風一号が台湾の台東県太麻里に上陸しました。瞬間風速十七級の強風は、台東六十年来の記録を破りました。数時間の強風豪雨に多くの屋根は吹き飛ばされ、家屋は倒壊しました。各地の慈済人は台東に集合して、毎日数十の路線に分れて、被災者を訪問していたわり、見舞金を上げて必要な物はないかと尋ね回っていました。
台東慈済委員の林金花は、昨年自動車事故に遭ってまだ完治していないにもかかわらず、支援にきた人たちを案内して被害状況の調査に行っていました。関山慈済病院の潘永謙院長と玉里慈済病院の李森佳と李晉二人の兄弟医師も台東へ行って、ボランディアたちと一緒に被災者に手を差し延べています。
八十歳の李森佳医師は、数年前にガンが発見されましたが、心身とも養生に努め、患者に対しても笑顔を絶やさず医師としての本分を守っていました。李医師が被災地で力を発揮している姿は、生命価値の尊さを表し真に美しいものでした。それはまさに、《無量義経》の中にある、「船師」が、自身は重病にありながらも、堅固な船でなお人を済度しているかのようでした。
台湾社会の愛もまた発動していました。台湾鉄道は無料列車を出して台東の被災地まで支援に行く人たちを運んでいました。また現地の人たちはただで宿泊を提供し、災害を受けていない県政府は職員の派遣と大型機具を出して復興支援に当たっていました。
瞬時に災難が降りかかると、人間菩薩は直ちに現れて、善と愛の力を展開します。平安な人は無事であることに感謝し、災害の地へ手助けに行かねばなりません。隣の人は隣人を、町は町の人たち、県は県全体で、市と市は互いに助け合うことができると復興は早くなります。人々が能力をいかして奉仕する心があればその力は無限です。
一時の享受
気候変遷は災難を造成する
戒を謹み
天を敬い地を愛すれば
福縁は集まってくる
台風一号が台湾を離れた後中国に上陸して、福建省に災害をもたらしました。中でも閩清県と永泰県の被害が最も重大でした。多くの石造りの家は連日の豪雨に崩れ、住民は学校に避難して、机を寄せベッドにして寝ていました。
慈済人は七月中旬、調査に行って福慧ベッド(折り畳み式ベッド)と毛布を被災者に配付しました。そして被災者がお菓子などで飢えを忍んでいるのを見て、すぐに温かい料理を作り、被災者は災害後初めての家庭の食事を味わっていました。この温かい寄り添いに感動した現地住民の劉さんは白米九十袋を送ってくれました。
愛は啓発しなければなりません。それを動かしている人が真の愛を以て奉仕している姿を見て感動し、彼らも愛を発揮し、共に善行を盛り立たせることができるのです。
大自然の威力は実に恐ろしいものです。江蘇省の塩城では六月二十三日に突然、竜巻と雹の襲撃を受けて、多くの工場と民家は平地と化し、高圧塔までが倒れ九十九人が死亡、八百人以上が負傷しました。多くの住居と家族を失った人たちに政府は緊急に避難所を設置していました。
大陸の慈済ボランティアは現地へ集合し、病院へ行って負傷者を見舞ったり、家を失った臨時避難所へ連夜、八百枚以上の福慧ベッドと毛布を運んで避難所の生活が少しでも快適に過ごせるよう努めました。汚れているトイレをボランティアが清掃しているのを見て現地の人は水を運んで手伝っていました。またボランティアは毎朝果物を持ってきて、医療スタッフの心労をねぎらっていました。
あるおじいさんと孫が瓦礫の中から救い出された時、おじいさんは救い出されたことを喜ばず、一家の生活は自分の働きで成り立っていたが、この年では力が及ばないと泣きながらボランティアに訴えました。ボランティアはおじいさんが安心するようにと抱きしめ、連日付き添って慰めているうちに、孫とともに笑顔を見せるようになりました。
それ以外に、インド北部、パキスタン、インドネシア、スリランカの各地で重大な水災が発生しています。今年のエルニーニョ現象は全世界を脅威に晒し、多くの地方に水災を、一方他の地方では一滴の水もありません。頻繁な災難は農作物に影響して、国連の統計では食糧危機は一億人に及んでいると言っています。
極端な気候変動は人類と密接な関連があります。災難の源は人類の驕り高ぶり、尽きない欲望、自然資源の消耗にあるのです。地球温暖化を防止するには人々の観念と行為を改めることです。欲望を最低限に抑え、物を大切にし、節水省エネに努めなければなりません。
現在は至る処に冷房設備があり、室内に入ると気持ちのよいのに慣れて暑さに我慢ができなくなっていますが、心静かであれば自然の涼を満喫できるのです。そして、環境に負担を負わせないようにしなければなりません。「一粒の米は二十四滴の汗」ということわざがあります。農民の苦労によって穀物があるのですから、一粒の米でも大切にしなければなりません。
お金があるからといっても、すべてがあるとは限らず、足るを知っているならば、なくても満足です。人々の心が豊かになり、そして簡素な生活、大地を護って人々に造福することを願っています。皆が戒を慎み、見返りを求めない奉仕で、宇宙が順調になると自然災害は少なくなります。
無明の風に扇動されると
初発心を失い
確固たる信念、穏健な心根は
波にのまれて流れてしまう
天災に人は悲しみますが、人による災いはさらに恐ろしいものです。人類が絶えず災いをもたらすと、世間に安寧はありません。人が心を変えなければ、天下の平安は難しいものです。人々が天を敬い地を愛して福縁を寄せ合い、人、事、物に対してもおだやかに対処し、欲にとらわれず、人を敬い、愛し、苦難の人たちに奉仕するよう願っています。
心の調和がとれて、善業が寄せ集まると、愛の力はますます大きくなって世間は平安になります。しかしながら現在の社会は濁気が強く、善と悪が綱引きをしている状態では、さらに堅い信心と正法を堅く持つ必要があります。
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仏典の中に記載されている物語です。
仏陀はハシノク王のお招きをお受けになり、千人の弟子を引き連れて、王宮へ行かれました。祇園精舎から王宮までの沿路には民衆が整列して、天竜の護法に喜びあふれていました。突然「暴志」という比丘尼が現れ、「妊娠しているようです」と仏陀に取りすがり、「私はあなた様の妻です」と言いました。
皆は驚いて議論になりました。その時一匹の小ネズミが比丘尼の衣服の中にもぐりこんで綱を噛み切ると、お腹にあったヒョウタンが地面に落ちました。王様は非常にお怒りになり、仏陀を誹謗した罪として、比丘尼を生き埋めにするよう命令しました。
仏陀は王様にしばらく時間を下さい、とお願いしてお話になりました。久遠の世に、市場で女の客が一箱の真珠を買おうとしていた時、別の男は倍のお金で買ってしまい、女客の恨みは生々世々にわたって相手を侮辱し続けていました。
仏陀は「男客とは前世の私で、女客は暴志です。因縁果報を私は甘んじて受けます」とおっしゃいました。
言うまでもなく、仏陀は善人または悪人であっても済度を発願されていたので、多くの逆境にも遭遇されておられました。僧団の中には心ない弟子がいて、憤怒、悪言や偽りを言って仏、法、僧を誹謗する人がいます。ただしこれは「逆風に舞い上がった砂塵」のようで、仏陀の身にはかかりません。仏陀の福と徳は不増不滅なのです。反対に心に悪念が起こり、真理者を誹謗し、他人の弘法利生に障害を及ぼして、人に煩悩を起こさせると、善種が断たれて自分に対して大損害になります。
仏法は人の良薬ですが、ただし艱難な世に、正法を広めるのはそれほど容易なことではありません。凡夫の心は起伏が激しく、嬉しいときには発願発心して精進修行しますが、無明の風に扇動されると、疑心が起きて、無明の累積が始まり、容易に怠惰の心が起きて停頓し、初発心を忘れてしまいます。
《法華経》の始めに、仏陀は発心立願して菩薩道を歩むときは、信念を堅く持ち、根基は穏固でなければ試練には耐えられないが、正法を堅持していれば波にのまれて流されないと、念を入れてお教えになっています。
仏法は道理だけでなく、この世に定着することのできる「通じる」法です。仏に学ぶ者は習気を改め、悪を善に転ずると、以前は悪言悪語で人に対していても、今は人に優しく人助けをすることができます。初心を堅く持ち、他人の発心をも護持すると、皆が善念を守ってすべての悪はなくなり、善が増すとこの世の中は平穏無事になります。
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世界に風雨は多いけれど、人間菩薩がいると希望が現れます。
二○一三年十月十五日、フィリピンのボホール島でマグニチュード七・二の強い地震が発生し、二百人以上が亡くなり、多くの学校も倒壊しました。慈済人は救難救助の後、百五十軒の臨時教室を援助建設しました。今年の六月、マニラの慈済人は再度ボホール島を訪れて眼科の施療を行いました。
施療団が到着して会場の準備をしていた時、運動場の後ろ側の地面にシートをはっている人たちがいるのを見ました。八十キロ先の村の村人たちで、この機会を逃さずとお金を出し合い、車を雇って一日前から来ていたのです。大多数は白内障患者で、台湾では簡単な手術ですが、医師が少ない上に貧しい島の人たちにとって施療団がきたのはまたとない機会でした。
ホセという若者は人に手を引かれて手術室に入りました。一家は彼の働きによって暮らしていましたが、一年前から視力が弱くなって仕事ができなくなり、自分のこれからの人生は暗闇の中かと恐れていました。
慈済人医会の史美勝医師が検査した結果、彼の肩をたたいて「未来の光明があなたを待っていますよ」と言いました。手術が終わってホセは自分で手術室から出て、暗黒の人生に回復の光りを見ました。
ある家庭では四人の子とも先天性白内障で、史医師は四人の医師に四人の子を同時に手術するように手配しました。手術が終わって子供たちは互いの顔を見て大喜び、この喜びは待っている患者にも伝染しました。この度の施療では、二百人が視力を回復していました。
賛美、あるいは誹謗にあっても慈済ボランティアは堅い意志で苦難の人に奉仕しています。どんなに道が遠くても、どんなに苦難の人が多くとも、力を尽くしています。しかしいつになったら助け終えることができるのでしょうか? それには堅い初心と道心、そして努力して愛の種子をまいてゆくしかありません。
多くの人たちは困難にあうと、菩薩にご加護を祈ります。いったい菩薩は人を守ることができるのでしょうか? 私たちの人間菩薩は自分の意志でもって、万難を排し苦難の地へ分け入り、被災者を自分の家族のように両手で彼らを抱きしめ労って、心身の頼りになっています。彼らは見せかけではなく、本当に人々の困難を理解したうえで、両手で抱きしめ、その手で奉仕する真の生き菩薩です。
仏に学ぶ皆さんが、菩提の大直道に踏み入って、苦難の人たちのために尽くし、菩薩道を歩んでいくことを願っています。
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