慈濟傳播人文志業基金會
国境越えの辛い旅
 
ヨルダン北部とシリアは国境を接しており、延々三百七十五キロも際限がなく続き、人が住まない砂漠が広がっている。
 雪の季節が終り、晴れた日を見計らってシリア人が次々に故郷を離れた。彼らは身軽な家財を背負い、日中は徒歩で砂漠を渡り、夜は自前の簡易テントを張って寝る。三日から五日で最寄りのロクバンやハダラに着く。
 彼らは安全を考慮して、ヨルダン政府が入国を許可していない間はシリア側の砂漠にテントを張る必要がある。特定の時間にヨルダン側に出入りして水や食糧を受け取ったり、医療を受けることができるが、老人や女性、子供が優先である。
 この数カ月、難民の数は増える一方で、今年五月上旬時点でロクバンに五万二千人、そして、ハダラに七千二百人のシリア難民がいた。生活必需品はかなり逼迫し、国連難民高等弁務室は慈善団体に支援を要請した。
 慈済ボランティアは二月から五月まで三回、車でアンマンから四百六十五キロ離れたハダラに行き、物資の配付を行った。
 ハダラでは難民は高くなった砂丘近くに集まっていた。砂丘の左がシリアで右がヨルダンである。彼らは物資を受け取るのと同時に国境越えの許可を待ち望んでいた。灼熱の太陽の下で待つのはどれほど大変なことか。イライラした人たちが喧嘩を始めたりする。その周りの暴動を警戒して、百人ほどのヨルダン兵士が取り囲んでいた。
 
 
焼け石に水
 
5月は既に夏である。正午の気温は37度前後になり、難民は汗が吹き出て我慢ならないほど喉が乾き、並んで水をもらっていた。ある時期、12000人の難民に対して1日に7000リットルの水しか供給されなかった。
 
 
将来への備蓄
 
ヨルダン国内の慈善団体も国境付近で支援を行っていた。物資が欠乏する中、難民は生活必需品が詰った箱を頭の上に乗せ、生き存えるチャンスの重荷を進んで背負っていた。
 
NO.236