「大いなる愛は、如何に遠くともその力を届かせる」。三月中旬、サイクロン「イダイ」がアフリカ東南部を襲い、甚大な洪水被害をもたらしたことをいたみ、證厳法師は援助の手を差し伸べるよう、再三にわたって呼びかけた。
五十二か国にわたる慈済人は直ちに各地で募金活動をする。被災地の一つであるマラウイでは、長年寄り添っていた現地ボランティアが村民に支援を呼びかけたところ、たとえ台湾元にして五元の少額であっても人々の心を動かしていった。
サイクロン「イダイ」は数十年来最悪規模の災害をもたらし、中でもモザンビーク、ジンバブエとマラウイは最も深刻な状況で、百万人以上が家を失った。国連は人道支援を呼びかけ、国際組織が続々とそれに呼応しているが、慈済も即刻調査と配付を展開した。
しかしながら、大多数のアフリカ国家の財政は、長年ひっ迫した状態が続いている。かつて西欧諸国の植民地であったため、インフラ整備が遅れており、災害に対応する術も無く、被災後の復興は前途多難である。
アフリカのメディア報道を見ていると、貧困以外に種族間の争いが絶えないという印象を受ける。近代になって「国家」という行政概念が取り入れられたことが大きな原因となっている。現地の種族分布を無視し、元来の文化と血縁関係のつながりの間に国境線を引くような事を強行したため、種族の分裂と対立を引き起こしたのだ。そして欧米の教育方式は取り入れたが、識字率が低いため、自国での人材の育成に困難をきたしている。
慈済は一九九二年、南アフリカに連絡所を設置した。当時は種族隔離政策に対峙する人権意識が高まっていため、現地住民のストライキ等により治安が混乱し、中国人を含む外国商人が続々と引きあげていった。しかし、證厳法師は「現地で得た利は現地に還元するように」と励まし続け、台湾商人を主とした慈済人が部落や地域を訪れるようになった。
慈済ボランティアは民生物資の支援以外に、教育に力を入れ始めた。学校の建設、奨学金の提供並びに婦女子が生計を立てるための技能養成施設として裁縫訓練所を設立した。男尊女卑の意識が高いヅール族部落の中で、経済的に自立した女性たちは、その後、部落に入ってエイズ患者に寄り添ったり、国を超えてボランティアと一緒に貧困者ケアを行っている。あるヅール族の女性は国連にも招かれ、そのような自分の経歴を紹介した。
この二十六年間、アフリカ東南部の八カ国では現地ボランティアが次々と誕生しているが、今回、災害が深刻だったこの三カ国もその中に含まれている。彼らの生活は依然貧困ではあるが、心は豊かである。ボランティアは、広大な地で治安と衛生の悪い場所への調査と配付に赴いている。恐れをものともしない大きな悲願があるからこそ成し遂げられるのである。
多くの種族が入り交じるアフリカの部落ではコミュニケーションに通訳が必要である。現地ボランティアはその橋渡し役になっていると同時に、慈善の力を社会の暗がりの奥深くまで浸透させているのだ。彼らが荒れた砂漠や草原そして災害支援をする中で、身をかがめて人々に寄り添う姿は苦難を超越し、人々を感動させ、平和をもたらす力と成りうるのだ。
(慈済月刊六三〇期より)
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