慈濟傳播人文志業基金會
この世を照らす仏法
仏陀の御教えを拝受して、生命の価値を発揮し、    
仏、両親、衆生の恩に心から感謝しましょう。
感謝の心があって初めて人生は美しく、社会は平和になるのです。
 
 
毎年五月の第二日曜日は、世界中の人が祝う母の日、仏教徒が慶祝する仏誕節、そして世界中の慈済人が祝う慈済創設記念日が重なり、三節一体の喜びが満ちると共に善が循環する日でもあります。 
 
人生を正しい方向に導く仏法は生命の価値を高めてくれます。五月に入ると各地の慈済人は次々と潅仏会を催し、尊重と感謝の心で以って仏陀に敬意を表します。台北市の中心街にある中正記念堂での潅仏会式典には、二万人余りが参加し、厳かな雰囲気の中で整然と行われます。この数年来、仏教界諸寺院の長老たちが式典に参加し、大衆の先頭に立って潅仏を行なっています。また、式典の前には心を一つにしてリハーサルを行うため、一瞬一瞬同じ動作になり、人々に敬服と感謝の気持ちを起こさせると共に、仏教の偉大な荘厳さを表わすことができるのです。
 
彰化の慈済人は彰化八卦山の大仏広場で潅仏会の式典を催し、その様子を空中撮影しました。人が並んで作り出した「平安吉祥」の絵模様は皆が正しい位置に立ち、字がはっきり見えていました。人々の暮らしが平穏無事で、互いに和気藹々と尊敬し合い、争わないことを願っています。人と是々非々を争えば、争いの火はますます燃え盛ってしまいます。
 
世界四十か国以上で慈済人は潅仏会を行いましたが、中には素食で生命を護り、環境保全を呼びかけたり、異なる宗教の人たちが参加して和やかな雰囲気を醸し出していました。ある所は目出度い雰囲気の中、参加者が自在な気持でいましたが、別の会場では風雨で冷たくなって震える手で仏陀に甘茶をかけていました。しかし、仏法に対する心は揺らぐことなく、法悦に満ちていました。 
 
 
二千五百年余り前、仏陀はこの世に生まれ、宇宙の真理に目覚め、この世で説法しました。この世の萬物には成、住、壊、空、そして人には生、老、病、死があり、人生をぼんやりと過ごし、迷いから覚めず、煩悩無明をいっぱい抱えたままでは、人生の最後に至った時、自分の思い通りにはならないことを種々の譬えをもって教えてくれました。ですから時を有効に使って生命の価値を発揮し、善を蓄積してどんな人生でも精進し、自覚を高めて智慧となるよう努力すべきです。
 
仏陀の教えを拝受した人々は、毎年のこの時期に敬虔な心を態度で表します。慧命を成長させてくれた仏に恩を感じ、その恩に報いるには身体で以って教えを実践するのです。また、両親が授けてくれた命に感謝しなければなりません。そして、多くの人がいる故に道が切り開かれたことを衆生に感謝すべきです。感謝の気持ちがある人生は美しく、社会は平和になるのです。常に法輪が回り、仏法が永遠にこの世に輝き続けることを願っています。
 
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今年、慈済は五十三周年を祝い、五十四年目に入りました。四月から精舎では毎日のように朝山(仏号を唱えながら三歩一礼して前進する儀式)の厳かな念仏の声と共に長い隊列が見られました。参加者は歳に関係なく皆、念仏しながら一歩ずつ整然と精進していました。精舎には毎日何千もの人がいましたが、常に静かで、人が多く集まっていても雑音がなく、それは皆がよく規律を守っている現れです。 
 
国内外の他の慈済道場でも記念日に朝山が行われています。去年、フィリピン、オーモック市大愛村の村民ウェシは大きなバナナの房を担いで朝山に参加し、それを法師に差し上げるのだと言いました。フィリピンの慈済委員李偉嵩はそれをドライバナナにして精舎に持ってきました。
 
ウェシは今年も朝山に参加し、一頭の牛を連れてました。その牛は李偉髙が放生(捕らえられた生きものを解き放す)用に買った牛で、屠殺の運命を逃れてウェシの土地で過ごしています。朝山の時、牛は背中にバナナ二房を載せて皆が跪いて拝んでいた時、前足を曲げて拝んでいました。生きとし生ける衆生には仏性が具わっていることを目の当りにして、皆さんの励みになったと思います。「生命を尊重する愛に感謝し、和して争わず共に福縁を結ぶ」スローガンのように、生命は全て平等であり、誰もが生命を重視し、尊重し、いとおしむように願っています。
 
 
数多くの朝山参加者は東アフリカ三カ国を襲ったサイクロン・イダイ被害のために貯金を寄付しました。皆さんの細やかな心遣いで愛の河の流れを途切れさせないようにと願っています。日々が平穏で健康なのは最高に幸せなことです。世の中に目を向けると言いつくせない苦難に遭っている国々があります。最近はいつも「目を開ければこの世、目を閉じれば地獄」なのです。極端な気候変動の下、大自然の威力は計りしないほど大きく、人が天に勝ることはあり得ません。慎んで自分を戒めてこそ、真の愛が現れるのです。
 
仏陀は慈、悲、喜、捨を私たちに教えましたが、それは菩薩道を歩む上でも最も重要な方法なのです。苦難に喘ぐ人には、福のある人の助けが必要ですが、それも互いの縁がなくてはなりません。誰もが苦難の人の人生における恩人になり、代々に渡る彼らの貧苦の人生から逃れる助けになることを願っています。力が強くても弱くても縁を逃さず、無私な人助けする愛を奉仕しなければいけません!
(慈済月刊六三一期より)
NO.271