熱帯低気圧が通過した後に建てられたレンガ造りの家々が山間集落の村人達を庇護している。村の酋長は建材を提供し、集落の住民が全員参加して家を建てた。女性と子どもはレンガの搬送を手伝い、皆は慈済ボランティアと一緒に家の再建に力を合わせた。村人の一致団結により、時間が経つにつれてレンガの壁の高さは高くなっていった。
早朝三時に雨が激しく降ったので目が覚めてしまい、眠れなくなってしまった。南アフリカ慈済ボランティアの潘明水は、集落の住宅建設の進度に影響が出ることを心配していた。朝九時頃、ようやく雨が止み、ボランティアはまずセメントを買いに行った。トラクターの後部に詰め込まれたセメントの袋を大事に見守りながら、住宅建設のために山間にあるチンゴンベ集落に向かってぬかるんだ道を急いだ。
毎年十一月から翌年の五月までがマラウイの雨季である。今年三月の初め頃、熱帯低気圧の影響でマラウイ南部の何カ所かに洪水被害が起きた。その後、勢力が強まってサイクロンに変わり、隣国モザンビークにさらに大きな被害をもたらした。
マラウイ現地の慈済ボランティアはいち早く駆けつけて被災地を視察した。一方、南アフリカの多国籍支援チームは、もともとマラウイで「コミュニティのケアに着手する」という計画を立てていたので、手際よくトウモロコシ粉や古着、その他の物資を二千四百キロ離れたマラウイにバスで運び、被災地の支援を開始した。
マラウイ南部のブランティ市では、四万人以上が被災した。その近郊にあるチンゴンベ集落は、以前から慈済がケアをしていた地域である。調査したところ、村では百二十世帯の家屋が倒壊したことが判明した。貧しい村人の家は、レンガに泥を塗っただけの粗末な造りなので、大雨が降ると倒壊してしまう。慈済ボランティアは現地で調査し、より強固なセメントとレンガを建築材料とすることを決定した。三月十八日から集落で甚大な被害を被った七十世帯の貧困家庭を優先的に入居させることにし、レンガ造りの家の支援建設が始まった。
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●慈済は2018年にチンゴンベ集落でケアを始め、今年中に現地の住民と協力してレンガ造りの家を建設する。(撮影・楊景卉) |
葦の茂る中、
水を汲む人の長蛇の列
その日は建設開始してから二日目で、ボランティアはブランティのマーケットから山間に向かった。サイクロンに見舞われた路面には段差が三十センチのところもあり、普通の車では通れない状態だったが、十一時前にやっとチンゴンベ集落に辿り着いた。見ると昨日は人の膝の高さだった壁が一夜のうちに腰の高さにまで達していた。というのも、朝の八時から村人たちが早く工事を進めようと自発的に手伝ってくれたからだ。
「慈済が村のためにしてくださった全てのことに感謝します!」と村の酋長のゴッドフライマドカニが目に涙をうかべて言った。見も知らぬ慈済ボランティアが遥か遠くから支援に来てくれたことに、酋長は心を動かされ、態度を一変させた。そして、もっと大勢の村人に手伝ってくれるよう呼びかけ、自らも一緒にセメントを運ぶなどして手伝った。
豪雨のためデコボコになった道路を、早朝から村人が土を盛って舗装したので、建材を運ぶ車が安全に出入りできるようになった。建設に使うすべてのセメントとレンガは、ボランティアが町で買い求めた。セメントをかき混ぜる作業は、数人の建築経験を持つ作業員に任せ、村人たちが川辺からバケツで砂と水を運んだ。
この地方の習慣では、水を汲む仕事は女性の役割なので、村の女性が長い道のりをたどって水源から村まで水を運ぶのである。所によっては、水源地が村から二キロも離れた場所にある。女性たちは水を汲んだバケツを頭にのせて、葦の茂みの中を建築現場まで運んだ。南アフリカのボランティア周憲斌は水源地に同行した。「水を運ばずにただ歩いてついていっただけでしたが、それでも息苦しくなり、山道を登るとさらに息が切れました。しかし、彼女たちが頭に水を載せて平気で歩いているのには驚かされました。そして、戻ってきてからも楽しそうに他の作業を手伝っているのです。その姿はとても感動的です」。
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●暴風雨にさらされた粗末なレンガ造りの家が倒壊したが、住民はそこに身を寄せていた。 |
皆が動くと効率が上がる
最初のレンガ造りの家から始まって、作業が日ごとに拡大し、様々な場所で建設が行われた。最も多い時は八棟の建設作業が一斉に行われていた。しかし、天気の変化がいつも工事の進行を遮った。雨上がりの地面がぬかるんだため、一時、作業が中断した。
「道路の情況がよくないため、セメントとレンガを集落へ搬送することを断る会社もあり、自力でやらなければならないことがたくさんあります」。シニアボランティアの潘明水と一緒に被害状況の視察や待機建材を調達する南アフリカのボランティア周憲斌が言った。「村人たちが自らボランティアになってくれたことに感謝しています」。誰もがボランティアとして参加した。幼い子を背中におんぶした女性もレンガを担ぐことができるし、四歳、五歳の子供も頭にレンガを一つ載せていた。年長の子どもになるとさらに逞しく、レンガの重さを平均して二‧五キログラムと計算すれば、女子児童は一回に二十キログラム相当のレンガを運んでいたことになる。
村の老若男女や慈済ボランティア合わせて百人以上が作業に参加したため、建設作業も同時進行が可能となり、作業ははかどった。問題は、地域が分散しているため、各拠点の進行状況をどのようにフォローアップするかということだった。そこで、工事総監督を務めるボランティア、ジョアナムダラが何人かの村人を連れて建設現場を巡回し、レンガ、砂や水が不足すると直ちに報告して保管場所より補給するという方法を考案した。
マラウイは、慈済がアフリカで支援する八番目の国である。二○一八年八月、慈済南アフリカ多国籍支援チームが、初めてマラウイのマチンジリ村で支援を行ったが、その時に建てられた家屋がジョアナムダラの母親の家だった。彼女は、慈済ボランティアが遠方から自分の母親を支援してくれたことに感動し、慈済ボランティアに加わったのである。実はここ数日間熱を出している子供を母親に見てもらい、自分は建設現場で全力奉仕していたのだ。
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●部落の女性と子どもは、レンガや砂や水を何度も行き来して運んでいた。レンガ造りの家を修繕するか再建するかは住民の意向を尊重し、4月中旬までに既に30世帯の家を建設した。 |
マラウイ住民の殆どは貧しく、山岳地帯には生計の立てられない高齢者だけの世帯が多く残っている。「慈済が素早く家を建ててくださったので、もう雨に濡れる心配がなくなりました。有難いことです」と年配の村人が涙ぐんで感謝の言葉を述べた。
村には幾つもの家が土石流の被害に遭いやすい危険な場所にあるため、より高い所に移住して再建する必要がある。集落では村人の移住については、酋長の許可を得なくてはならない。酋長は地位が高いので工事の進行状況にも関心が高く、毎日のように建設現場に来た。そして慈済の支援が村にとって非常に大事であると認めたため、村人の移住問題は解決した。
酋長の自宅近くには建材用の木が植えられてある。「これらの木はもともとは販売するために植えたのですが、私も慈済人のように皆のために役に立ちたいので、無償で提供したいと思います」と言った。
セメント、レンガや建材、そして百人以上の村人とボランティアの食事に使うトウモロコシ粉や野菜などを購入するたびに、潘明水は必ず店の人と慈済の理念を分かち合うようにしていた。それは、地元の人間にも自分たちの同胞に手を差しのべるチャンスを与えるためだった。
ボランティアがいつも市場で買い求めていたため、自ずと「慈済」が災害を支援していることは大小の商店や屋台の人々の知るところとなった。知らず知らずのうちに商売の枠を超えてボランティアと友好関係を築き、心を動かされた野菜売りの女性は、一握りの野菜を建設現場で作業する住民とボランティアのために寄付するといった。トウモロコシ粉を配付するビニール袋が不足すると、その店の店主が無償で提供し、復興のために協力してくれた。小さなレンガ造りの家が貧しい村人を庇護し、これからも更に多くの地元の人々の心に愛を芽生えさせてゆくに違いない。
日が暮れて、ボランティアと村人の仕事も一段落した。帰り道は依然として泥だらけで車は走りにくかったが、それでも潘明水は「あたりは暗くても、近いうちにここから菩薩が湧き出るようになるでしょう。そして皆が心を一つにして、美しい愛で満たされる社会になることでしょう」と期待を寄せた。
慈済の支援
●アフリカ東南部の内陸国マラウイは、頻繁に自然災害に見舞われ感染症が多発している。国民の教育普及率が低く経済も停滞しているため、国の人口の半分が貧困層以下の生活をしており、国連では低開発国の一員に数えられている。
●2018年、慈済南アフリカ支部のボランティアは、国境を越えてマラウイに来ると現地の住民に慈善の支援を行っていた。
●2019年、サイクロン・イダイの被害は87万の住民に影響を及ぼし、8万人が家を失った。避難所には食糧や医療品が不足している。南アフリカのボランティアがマラウイのブランティ市近郊のチンゴンベ集落で支援を行った。3月中旬にトウモロコシ粉を配付し、住宅建設の支援した。4月には南部のエンサンジェ集落を見舞い、トウモロコシ粉を配付し、調査を行って援助を開始した。
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(慈済月刊六三〇期より)
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