慈濟傳播人文志業基金會
庇護

 

スイカ老夫婦は黙々と、畑を耕し子供たちを育ててきた。

慈済ボランティアは古くなって雨漏りする家の修繕を手伝った。

 

スイカ老夫婦は、二〇〇七年から慈済彰化支部より長期に亘って貧困者援助ケアを受けており、ボランティアが長い間世話してきました。三男一女に恵まれていますが、長男は早逝し、次男は小児麻痺の上に二〇一四年に肝臓癌を発病して、老夫婦は貯金を治療費にほとんど使い果たしました。現在、嫁の稼ぎに頼るほかなく、末の息子はそんな家庭を顧みずほとんど家に寄りつきません。

七十歳を越したスイカ老夫婦の生活は簡素で、政府から老農補助金を受けていますが、ほとんどは息子の治療費と借金の返済に消え、いくら畑を耕しても追いつきません。そんな子供たちに対しても親としての愛は変わらず、自分の病の痛みをも顧みずに毎日スイカや野菜を作って忙しい日々を送っています。

スイカおばあさんは長年透析治療を受けているほか、右肩関節が習慣性脱臼である上、さらに医師から甲状腺の手術を進められています。「前世でどんな悪いことをしたのでしょう。この世でこんな辛い目に会うなんて」と涙ぐんでいるおばあさんをボランティアは慰めました。左手だけを使って農作業をしているのを見る度に心が痛み、農作業を少なくして日雇いに変えた方が楽ではないかと勧めました。

「誰もこんな老いぼれを雇ってくれませんよ。親戚にただで使わせてもらっている農地を耕して、少しでも借金を返したいの。親戚に長い間借りるのは悪いと思っているけれどね。でも、去年の収穫は悪くて元手さえ返ってこなかったわ」と溜息をつきました。

二〇一五年は二度の台風だけでなく、追い打ちをかけるような酷暑に農家は多大な損害を受けて、スイカ老夫婦の経済状況もさらに悪くなっていました。その上癌を患っている次男の治療費が毎月一万元近くかかり、ボランティアは話し合った結果、次男を訪問してまず一万元の緊急支援金を送りました。

スイカ老夫婦の苦境をおもんばかって、次男の住んでいる地域の慈済基金会が新たに次男を貧困者援助長期ケアのケースに登録することにしました。

訪問ケア専属のボランティア、高秀玲は「慈済の支援金は委員が会員から毎月五十元、百元と集めている貴重な浄財の中から、緊急または長期ケアの救助に当てています。ですから私たちは一元たりとも無駄に使ってはならず、本当に必要なのかと慎重に見極めなくてはなりません」と言いました。

そして彰化県福興郷を訪問し、台風で破損したスイカ老夫婦の家の被害状況を調査して修繕費を見積もりました。

人家の少ない郊外は道路の脇に人の背丈よりも高い雑草が繁っており、その間から高圧電線の塔が聳え、後ろ側に畑が広がっています。その中の一甲分の土地を老夫婦は背を丸めて懸命に耕しています。ちょうどエンドウ豆の収穫をしていたスイカおばあさんは、ボランティアたちが来たのを見て一緒に家へ帰りました。

屋根は傾き、床はひび割れ、長年壊れる度に修繕していましたが、暴風には耐えられなくなり、屋根の隙間から雨水が部屋の中へ滴り落ちています。営建所担当者の陳文亮は詳しく調査して「屋根瓦の部分は梁がまだ大丈夫だから、修繕してペンキを塗りましょう。屋上の囲いは傾いて使い物にならないから柵に変えましょう。床のひび割れは隙間を特殊な材料で埋めることにします」と言いました。

経験豊富な彼はボランティアに「壊れた部分の撤去は安全第一で行わねばなりません。階下で誰かが見張りをし、人や車の往来を止めなければなりません」と注意事項を指示しました。ボランティアが、「撤去の時に廃棄物を機械で吊り下げる必要はありますか?」と聞くと、「骨組みがもろくなっているから、ボランティアを動員して運搬して下さい」と注意しました。

正月三日、連休を一日返上して六人の師兄が雨靴に軍手のいでたちで、シャベルを手に小型トラックでやってきました。二階のはがれているセメントの塊をシャベルで袋に入れると、一袋で二、三十キロになるのを、師兄は肩に担いで四往復しました。師兄は笑って「鍛えられてもっと健康になる」と言いました。二時間半作業し、腐った木切れや雑物も取り払うと二階はさっぱりしました。

二十日、陳文亮と営建所の人たちがまた来ました。防水ペンキを塗って、トタンの柵を作って、すべての修繕が終わりました。すっかり新しくなった家で、これからはスイカ老夫婦は雨風の心配をせずにすみます。

 

低気圧がやってきた

でもボランティアもきた

 

正月二十五日、陳文亮と営建所の職員と十六人のボランティアが再びスイカ老夫婦の家を訪れ、修繕工事の出来具合を確かめました。スイカおばあさんはソファに座って、「昨日の夜は息苦しくなったので急いで薬を飲みましたよ。こんな天気が続いたら畑に出られませんよ」と訴えました。

ボランティアは男女に分かれ、男は屋上の片づけ、女は農作業で忙しいおばあさんの部屋を片づけることにしました。飲み薬や軟膏などが乱雑に椅子やテーブルの上にあるのを集めると、薬の中には期限を過ぎたのもありました。「おばあさん、この布団はもう古くなっているから新しいのと取りかえましょう」「それは私の嫁入り道具だから駄目よ」と言うように、いちいち聞いては、いらない物を片づけると、家の中と台所はさっぱりしてきれいになりました。

市場へ野菜を売りに行っていたおじいさんは「低気圧がやってきたので野菜が少なくなって、値上がりしたから、良い値で売れたよ」と喜んで帰ってきました。そしてきれいに片づいている家の中を見て満足そうに笑い、屋上に上がって男たちの手伝いをしました。

午前の仕事が終わって師姐たちが作った大根餅や杏仁五穀茶などのご馳走のおかげで、新築祝いと少し早めのような年越しは和気藹々とした雰囲気でした。

 

 

九年間慈済ボランティアたちは、老夫婦が二人の息子たちが同時に癌に冒された事にショックを受け、長男を亡くした悲しみに打ちひしがれていた時、終始寄り添って慰め、毎月生活援助をしてきました。

しかし老夫婦はボランティアたちに、逆境に遭った時は受け入れ、老いや病の痛みも受け止めなければならない心構えを無言の中に教えていました。子供たちを菩薩のように寛容に、無私で悔いのない愛でいたわることを、ボランティアたちは教えられているのでした。

(慈済月刊五九一期より)

NO.232