台湾では学校校舎の老朽化問題が指摘されて久しい。
危険建築物に指定されていながらいまだに使われている校舎もあり、
政府と民間団体は協力して改築を急いでいる。
慈済は二十一の学校で「減災希望プロジェクト」を進めており、
第一陣となる屏東の五校が今年三月に使用開始された。
地震など自然災害の頻度が増している現在、
減災、防災は教師や生徒にとって安全を確保する砦である。
一九九九年の台湾中部大地震によって、三百校近くの学校が倒壊などの被害を受け、学校の安全が大きく脅かされた。さらに二〇一六年二月六日に発生した台湾南部地震は、老朽化した校舎に再び大きな脅威を与え、被災した学校は約四百八十一校、被害総額は二億七千万元(一元は約三・四円)にのぼった。そのうち台南の被害額が一億五千万元でトップ、屏東県がこれに次いで七千万元であった。
台湾地震模型組織委員会が二〇一五年に発表した「今後三十年の台湾地震発生帯の地震発生確率図」によると、台湾全土の断層の中で地震の発生確率が最も高いのは台湾南部、次いで台湾東部であった。
台湾東部の宜蘭、花蓮、台東地域は頻繁な小規模地震でエネルギーを放出しているものの、美崙断層と鹿野断層という活断層によって、マグニチュード七以上の大規模地震の起こる可能性は二十%にのぼり、台湾でトップである。
教育部は二〇〇九年より「小中学校老朽校舎及び関連設備の補強改築スピードアップ計画」を始動し、関連機関に全国の小中学校の検査を委託、また毎年数十億元を投入して、耐震基準に満たない校舎への補強または改築を行っている。だが、当時改善が必要と認定された八千棟以上の校舎のうち、七年が経過した現在でもなお五千棟以上の校舎への経費が行き渡っておらず、首都台北でさえ補強の終了していない校舎があり、資金不足の他の都市については言うまでもない。
校舎の老朽化問題が指摘されて久しいにもかかわらずなおも使用され、補強や改築が進まない原因は、歴史的な経緯と中央及び地方政府の財源不足にある。
台湾では一九六八年より九年間の義務教育が実施され、多くの教室が必要となった。当時建設された校舎は、ほとんどが波形スレート屋根に柱のない廊下という画一的なものだった。その後、財源に限りがある中で各地が新校舎の増築を行ったが、多くが旧来の構造に新たな構造を接ぎ合わせたもので、耐震性が低く、年月の経過によって危険性が増している。
台湾中部大地震後に慈済が援助した五十一校の希望プロジェクトでは、将来の無理な建て増しを防ぐため全てに勾配屋根を用い、また鉄骨鉄筋コンクリート構造(SRC構造)を用いた。二〇〇九年、モラコット台風(台風第八号)が台湾南部及び東部を襲い、屏東では県全域にわたって被害が出た。慈済は台南、高雄、屏東で恒久家屋を建設したが、そのプロジェクトが一段落を告げると、二〇一四年から関連機関と屏東、高雄、台東、花蓮の計二十一カ所の学校で校舎のリニューアルに着手した。その第一陣となる屏東の五校で工事が終了し、二〇一六年三月十二日、使用開始の合同式典が行われた。
補助を待つ老朽化した校舎
屏東県長を辞職して一年あまりになる曹啓鴻は、老朽化した教室の問題は指摘されて久しく、監察院からもたびたび改善命令を受けたが、県政府の財政には限りがあり、改築や修築のスピードアップは難しかったと語る。「地震がなければいいのですが、ひとたび地震が起きればすぐに問題が発生するでしょう」。二〇一二年、曹前県長が證厳法師とモラコット台風災害復興事業について会談を行った際、老朽化した教室についてその懸念を語った。
これより以前、證厳法師は屏東慈済委員から、子どもたちの学び舎の安全性への危惧について話を聞いていた。二〇一三年より、慈済基金会はモラコット台風被災地の学校被害について調査を進め、各県や市の中で、屏東の学校の問題が最も切迫しているという結果を得た。
「屏東は農業県であり、税収はもともと潤沢とは言えません。農民の収入は低く、税金の負担を減らすことは政府の善意です。地方の税収は主に家屋税、土地増値税などによりますが、都市に比べれば額は小さく、年間の総税収は五十億元にも満たないのです」。こう曹前県長は話す。
また、営業税などは中央政府に上納し、人口、面積に応じて中央政府が再分配するが、大部分が直轄市六都市(台北市、高雄市、新北市、台中市、台南市、桃園市)に配分されることになる。こうした人口、面積比率によれば屏東に配分される額は少なく、財政は逼迫し、毎年の予算は十億元に満たない。「しかし教育費は減らすわけにはいきません。これは政府の義務であり、必ず支出すべきものです。ただその額が十分だとは言えません」と曹前県長は言う。
老朽化した校舎の改築については、年々改善できるよう、中央政府で特別予算が組まれている。教育部が七年前に提起した額は二百億元であるが、昨年末までの補修経費は毎年平均二十億元にすぎない。解体、新築の経費は、行政院の一般教育補助金によって賄われるが、毎年三十億元あまりというその額では、各県市の年間平均配分額は一億三千万元に過ぎないということになる。
「この分配額によるなら、屏東県では一年に三校の修築しか行えず、その三校以外は順番を待つほかありません。では、例えばもし十年順番待ちをしている間に、いかなる災害も起きないと保証できるのでしょうか」。こう強調する曹前県長は、県政府のこうした懸念を解決し、何より教師や生徒、保護者たちに安心を与えるため、慈済が大きな支援を行ってくれたことに感謝する。
民間団体がハード、ソフト両面を援助
慈済が援助した屏東の五校は、いずれも県政府が優先的に緊急に修築する必要があると認定した学校だった。さらに援助を待つ十二校のうち、修築の度合いが最も大きく、全体的な整合性も考慮しなければならない学校の援助を慈済が引き受けてくれたことを曹前県長は称賛する。
「慈済は費用と面積が最も大きい校舎を引き受けてくれました。その他の学校については、ほかの協力組織を捜し、鉄筋コンクリート用棒鋼を追加したり、補強したりといった修繕は、県政府が自ら処理しました」。曹前県長は慈済の援助に感謝し、またエバーグリーン・グループ、AUO(友達光電)、家扶中心、赤十字社、ワールドビジョン、玉山銀行、ロータリークラブなどの民間団体や基金会の、ハード、ソフト両面での賛助にも感謝している。
慈済の修築援助評価項目が非常に綿密であったことも曹前県長は認める。慈済は学校側と評価について話し合い、最も必要なところへ向けて援助を行った。例えば校舎が損壊したものの、生徒数が減少し別の校舎の教室に収容できるといった学校は援助リストから除外した。一方慈済の援助した五校は、それぞれ深刻な問題を抱えていた。例えば高泰中学校では、建て増しで階数を増やしてきたため、柱が大きくずれており、梁、板、壁のいずれも大きく湾曲し、せん断やひび割れを起こしていた。また里港中学の一部の校舎は長年修築が行われず、耐震性に問題があった。内埔中学では大木が建物の構造の安全に影響を及ぼしており、一階の天井には木の根が露出し、二階では机や椅子を真っ直ぐに並べられない状態だった。
「慈済は安全な校舎を建てるという点だけでなく、学校全体の発展や子どもたちの要望にも配慮していました。こうした周到な計画に一番感銘を受けましたね」。当初慈済スタッフと共に各校を回り、現場調査を行った屏東県前国民教育課長で現体育保健課長の李達平はこう話す。
「例えば高樹郷高泰中学の野球チームと技芸サークルは、当時評価を行っていた江子超慈済建築委員が感銘を受け、遠路はるばるそこに通ってくる原住民族やチームの子どもたちのためにと宿舎一棟を増築するよう提案しました。また里港郷里港中学のボクシング教室は当初計画の中に入っていませんでしたが、慈済はニーズに対応するため技撃館を増築しました。慈済は学校はただ勉強するためだけの場所ではない、子どもたちに希望を与え、より多くのチャンスを与える場所でなくてはならないと考えているのです」と李課長は話す。
高泰中学校はもともと十二教室を改築する予定だったが、後に実際のニーズと将来的な見通しを考慮して改築する教室を二十二教室に増やした。公正中学は当初の再建予定が校舎二棟だったところを四棟再建した。そのほかの学校も多少なりとも計画に上乗せするところがあり、援助額は二、三億元から五億元近くにまでふくれ上がり、県の見積もりをはるかに上回った。李課長は、「曽県長にそのことを話すと、大風呂敷を広げるなと言われました」と言う。
慈済が普通教室のみならず、生徒たちの多元的な成長に役立てるため、武道館や専科特別教室などの再建にも援助を行ったことについても、李課長は思いやりある措置だと感じた。「教育という観点からいえば、全ての子どもたちが平等に教育を受ける権利を持っているのですが、実際に公平を実現するのは大変に難しいものです。しかし辺境の学校であっても、子どもたちにチャンスと良い環境を与える努力をしさえすれば、強みを作り出すことができます。スポーツや技芸などいろいろなコンテストで子どもたちが達成感を得ることができれば、子どもたちにさまざまな未来の可能性をもたらすことができるでしょう!」。李課長はこう述べる。
辺境の教育に
新たな活力を注ぎ込む
再建援助の確定後、教育部、県政府、慈済の三者は話し合いを経て契約式典を終えたが、県政府はそれに続いて学校の敷地をめぐる所有権問題に取り組まなければならなかった。
一部の学校が建つ土地は、昔その土地のお年寄りたちが好意で提供してくれたものだ。しかし不動産登記をしておらず、学校の土地として登記するのは簡単ではなかった、と曹前県長は指摘する。「以前は法律に不備があり、またそれぞれが適当に事を行っていました。公有地であれば建ててしまえばそれでいいというわけです。ですが再建するという時になって、建築許可も使用認可も受けていないことが分かった、ということがたびたびありました。もし私有地を占有していることが分かれば、問題はもっと面倒になります。これらはみな、県政府が時間をかけて話し合い、処理しなければならない問題でした。でも慈済の援助に比べればどうということはありませんよ」と曹前県長は話す。
二〇一三年にデザインと審査、その翌年に契約、財産権の合法化をすますと、建設の前には学業に支障が出ないようにと仮設教室も建てた。二〇一四年十月、いよいよ五校がそろって建設工事を始めることになった。この過程の歩みは迅速だったと言えるだろう。しかし慈済はさらにその足取りを速め、一年あまりの建設期間を経て、昨年末竣工、今年三月より五校の教師、生徒たちが次々に新校舎の使用を開始した。
「慈済は建設に対してとても念入りで、資材、工法、工程から建築業者まで、どれも一流のものを選びました。ですから出来ばえはどれも素晴らしいものでした」。自分の任期中には完成しなかったが、それでも曹前県長は興奮気味にこう話す。「この五校の子どもたちが、真新しい教室と宿舎を使っているのを見ると安堵します。政府の経費投入を待っていたら、いつになるか分かったものではありませんでしたから」
構造を補強し天災に対応
「ひさし、勾配屋根、廊下、バルコニー、どれも掃除に便利で、水はけがよく、通気性や採光性にも優れています」。修築工事監督を請け負った慈済基金会建設処南部建設室主任の林守義は、これは一貫して慈済の校舎建設の基本原則だと強調する。
この一年あまりの建設期間中、林守義は五校を駆け回り、工事の進捗度を監督しており、感慨はひとしおだった。とくに台湾南部地震の際、震央の美濃から遠くない屏東にあって、無事に地震に耐えられたことに、彼はほっと胸をなでおろした。
しかし林守義は自信も持っている。「我々の建てた校舎の階数はどれも高いものではありません。鉄筋コンクリート構造の耐震強度はマグニチュード七以上です」。鍵となるのは柱と梁のせん断補強鉄筋で、それらがしっかりと固定されてこそ堅牢さと強度を高め、地震発生時の損壊を防ぐことができる。鉄筋は人の骨格、コンクリートは筋肉のようなものだと林守義は譬える。一つは引張り強度、一つは圧縮強度を補強し、両者があいまってはじめて強大な外力への抵抗力が生まれる。
建設業者も慈済の品質に対する要求を理解しているため、おざなりにはしなかった。林守義は言う。「私たちの共通の願いは、百年希望プロジェクトを進め、何世代もの子どもたちに安全に安心して使用してもらうことです。もちろん頑丈であってこそ、不安を取り除くことができます」
三月十二日、台湾南部の温かな陽光の下、慈済が建設援助した屏東の五校の減災希望プロジェクト学校が正式に使用開始された。祝賀式典では各校がそれぞれ出し物を披露し、彩を添えた。
里港中学校吹奏楽部は「Stone Creek Episode」(ストーン・クリーク・エピソード)を、軽快に朗らかに演奏した。公正中学の「小情歌」のウクレレ伴奏と合唱では、男子生徒の繊細な歌声が鳴り響いた。内埔中学校のサンバ組曲では打楽器が打ち鳴らされ、バチを振るう姿も勇ましかった。枋寮高校の「雨中漫舞」(雨の中のスローダンス)では女子生徒たちがタイ族に扮し、しなやかで楚々とした舞い姿が、見る者を惹きつけた。そして高泰中学校縦笛隊の吹奏した「剣舞」は、県大会七連覇の名に恥じない優美で感動的だった。
一年あまりの建設期間中、幾度もの困難に直面した。しかし五校の子どもたちの青春真っ只中のはつらつと自信に満ち溢れた表情を見ると、全ての苦労が報われたことを実感する。都市と農村の生徒たちに格差が生まれないよう、辺境の教育環境には関心を払う必要がある。誰かのために少しの力を差し出すことで、事態を変えることができるのだ。
|