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教室の黒板に環境保全に関する思いを書く子供たち。劉川小学校の先生と生徒は図案の中に環境保全の意味を込め、土地を愛護するよう呼びかける。
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農村の小学生は世界が直面する問題に向き合っている
教師は環境保全の教育に励み、善の種を植える。
樹木は十年、人は百年と言われている。
「弟子規、聖人訓、首孝弟、次謹信、汎愛衆、二親仁、有余力、則学文」と朗々と暗誦する声が教室から伝わってきます。教育は知識の礎です。農村の親たちは学問によって現状を変えられるよう願っています。
来窯慈済村にある劉川慈済小学校は、約一・四ヘクタール(四千四百坪)の広さに、生徒が二百人あまりの小さな学校です。規模は小さくても周囲の環境は美しく、付設の幼稚園と託児所があります。二○一二年に開校して以来、家長たちが注目しているのは、教師たちの優秀さです。同校は人文精神、伝統への感謝、人に尽くす心、博愛、環境保全の教育に重きをおいているのです。
慈済小学校では生徒が幼い頃から、親や先生、社会に感謝することを教えています。生徒はその日にあった感謝したい出来事を手帳に書いたり、または学校内で放送したりします。
それ以外に、舞踏、書道、電子オルガン、笛、二胡、ハーモニカ、将棋など十項目の中から二項目を選ばせて学ぶ「少年宮」というカリキュラムを設け、幼少時から芸術的なたしなみを培っています。
劉川慈済小学校が開校した二年目には、劉川郷の小学校の中で三番目に優秀な学校に選ばれました。二○一四年には、甘粛省の「楽しい学校の模範」の認証を受けて、靖遠二中と靖遠師範学校と共に農村で唯一認証を受けた三校です。
そのほか、文化建設模範学校、徳育工作模範学校などの賞状を受けていました。李元軍校長は、学校の資金はあまり十分ではないので、頑張って評価を受けて得た賞金によって、資金不足を補っているのです。
教師と生徒が考えを変える
二○一五年九月の新学期に、古い食堂を環境保全の資源回収所に変え、授業の中で、家でも回収物を分類し食べ物は残さない習慣をつけるように教えていました。
回収物は紙類、プラスチック、ガラス瓶、ペットボトル、電池に分類し、ポスターに張り出しています。これらは先生たちが、震災後に慈済が支援建設した四川前進小学校へ行った時に学んだものでした。
王教師が環境保全を指導していた始めの頃に、さまざまな難題にぶつかっていたのは、当地にはそれに組み合わせる回収システムがなかったからですが、それでもあきらめずに工夫して行っていました。雷副校長は現在、週一度の活動をしていますが、それでは足りないと思って、子供たちに習慣をつけさせるために一日一回にしています。先生たちが環境保全に力を注いでいるので、生徒たちは、道端にゴミを捨てなくなっただけでなく、ゴミを見たら拾っています。
副校長は、環境保全とは無理やり生徒に押しつけるものではなく、生活の中で自然に身につけさせるべきもので、先生たちはゴミを見たら自分が拾い、生徒に指図しません。誰が拾っても環境保全であり同じ結果ですが、子供たちが受ける感じは違ってきます。
李校長は、砂漠化について教える時、なぜ砂漠化したのか、その原因を生徒に考えさせ、水と環境がいかに重要であるかを教えています。そして植樹記念日や国際節水日、世界環境日などのイベントが行なわれている中で、地球の大切さと守らねばならないことを教えています。
六年一組の生徒である王雅棋と楊文嬌は環境保全所の所長を受け持ち、陳建徳が助手になって、毎週金曜日に各学年の生徒が持ってきた物を分類し整理します。疲れた時は、地球のためになっているのだと思えば、嬉しくなると言います。
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環境保全を重視している馬耀森先生が辛抱強く生徒の疑問に答えている。
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緑化した春の日を迎えて
慈済小学校の校庭には四千株近い苗が植えられています。主に生存率の高い槐や柳、または乾燥に強い松と白楊です。その世話をしているのは、総務主任の馬耀森で「私はこれらの苗を、卵が孵化してひよこになるように、大切に栽培して四、五月頃には緑の芽が出るのを楽しみにしています。きれいでしょうね」と嬉しそうに言って、花園を案内してくれました。
彼はそのために、村役場に裏山から水を引く申請と、塩化した土壌に撒く薬剤を申請していました。授業以外の大部分の時間は、苗や畑の水やり、草取りなどで、緑がだんだんと増していくのが最大の喜びだと言います。彼は靖遠一中卒業後、大学に行かずに山間部にある崖梁小学校の教師になりました。校長ともう一人の教師の三人で、九十人以上の生徒を担当しています。
学校は全額の月給を出せないので、十九歳の馬耀森の月給はわずか二十九元です。村役場は痩せた土地を月給の補助金として提供していますが、その収穫は一年でやっと五百元でした。彼は「二千平方メートルにフジマメを植えましたが、その収穫は籠五つにも満たず、ほぼゼロに等しいものでした」と言いました。
若笠で二十二年間教師を務めていた彼の父親は、年老いた両親の世話をするため、二〇一○年に異動届けを出し山の下の学校に転勤していました。若笠で校長を勤めていた時に亡くなった父のことを思い出し、馬耀森は目頭を熱くして語りました。
「父は教育に全精力を傾け、忙しい生涯を送りました。とくに基礎教育を重視して僻地に多くの学校を建てました」と。その父親の影響を受けて彼も基礎教育を重視し、低学年には難しい道理を教えず、良い習慣をつけさせることから始めていました。
時間があると、保護者たちを集めて環境保全の理念を話しています。使い捨ての箸や椀、ビニール袋は使わないように、農業用のビニールは水分蒸発を防止する用途はあるが、回収後は適切に始末しないと汚染になること、平均一畝に使うビニールは五キロ程度で、勝手に放置すると千年経っても溶解しないばかりか農作物に影響すること、などを説明していました。
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慈済ボランティアが回収物を身につけ、回収して分類した後、ゴミにならず製品になって、地球にも優しいと説明している。 |
葉が落ちると大地が肥沃になる
二○一五年八月、慈済大学と慈済科学技術大学の学生はボランティア奉仕隊を組織して、蘭州大学学生及び甘粛の青年ボランティア総計四十五人が、人文交流を目的に劉川小学校に集まって「碧水青山、大愛の家」活動を催し、環境保全体験活動を行いました。
これを企画したのは慈済大学東洋語学学科の学生の郭馨憶でした。彼女は甘粛に来てからわずか数日ですが、あまりの乾燥に声はかすれ、生活をするには台湾のように湿気のある所が最適で幸せだと言いました。
彼女は子供たちに、心の中に浮かんだ地球を描かせました。ほとんどの子供たちは鮮やかな色を使って描いていましたが、一人だけが黄色に塗りつぶしていたので、どうしてかと聞くと、「僕の住んでいる所はみんな黄色い土ばかりだから」と言ったことが深く心に残りました。
二○一六年正月、慈済ボランティアは来窯慈済村と白塔慈済村の合同園遊会を催して、生け花、美しい故郷、竹筒歳月、環境保全酵素、ゴミ分類のテントが立ち並んでいました。ボランティアは自分の経験を通して、村人に自分の住んでいる土地を大事にして、隣近所で助け合い協力すること、また慈済は五毛銭の竹筒歳月から善行を始め、今に至っていること、小銭でも志さえあれば善行は困難なことではないと説明していました。
この催しに参加した小学生の劉君は、環境保全のことをもっと詳しく知ることができた、卒業後はよその高校へ行ってもゴミ分類を続けて環境保全に尽くします、と話しました。
「もしも私たちの生活範囲が、自分の世界だけなら平々凡々と暮らし、漠然として人の波の中で消えてなくなります。それは灰になった木の葉のように悲惨で、何の意味があるのでしょうか? 私たちは慈しみの心をもって身の周りの事や物を美化しなければなりません。一個人の愛の心では世界を変えることはできませんが、自分の周りの人に影響を及ぼすことができます」。これは慈済小学校卒業生の雷嘉惟が五年生の時に書いた作文です。
馬耀森先生は彼女に「もしも木の葉がただ焼かれた時、その一生の結末はただそれだけです。でも土の中に埋めると養分になって、小さい木を育てることができます」と話したことがありました。この落ち葉の道理は彼女に深い影響を及ぼしていたのです。
人を変えるには教育が必要です。教育の基礎は小学校や幼稚園にあって、これらは未来の種子です。寒い冬が過ぎると温暖な春の日がやって来て緑が大地によみがえり、家々では次の世代が希望を蒔きます。
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