慈濟傳播人文志業基金會
ダムの下流のおばあさん
新北市・邱金秀
 
この日新店区亀山里に到着した私たちは、桂山路に沿って歩いていた。聞こえるのは真夏の蝉時雨ばかり、民家など一軒も見当たらなかった。一、二キロも歩いてようやく、環境保全菩薩の邱金秀おばあさんに会うことができた。おばあさんの家は北勢渓に面し、遥かに翡翠ダム下流の大堰堤を望むことができ、「我が家の前はダム、裏は山の斜面」という独特の景観が形成されていた。
目の前にいるおばあさんは静寂な山野と同じように物静かで、赤瓦の家の中に整然と設えられたシンプルな家具も、家の主人の性格とよく調和していた。ここには開発の歩みが及ばず、まるで時間が五十年前で止まっているかのようだ。翡翠ダムの水源はこうして汚染から守られているが、一方おばあさんの身体は若い頃の健康さを失い、腰椎症を患っており、一日中コルセットを外すことができない。
辺鄙な山奥で育ったおばあさんは、幼い頃から天秤棒を担いで茶摘みをし、家計を助けていた。結婚後も家庭は貧しく、風邪をひいた幼い娘を医者に見せるお金がなく、死なせてしまったことは何より辛い思い出だ。それでも最も苦しかった時代、親切な近所の人々が米を分け与えてくれるなど救いの手を差し伸べてくれたことに、おばあさんは今でも感謝している。ある時おばあさんは、雑貨店で環境保全リサイクルで人助けや災害援助ができると耳にした。貧困の苦しみを身にしみて知っているおばあさんは、憐れみの心が啓発され、こうして環境保全活動を始めることになった。
雨水も再利用できる
 
自転車に乗れない金秀おばあさんが、徒歩で出かけて行って両手で回収できる量は多くない。そこで天秤棒の両端に回収品をぶら下げて運ぶ方法を思いついた。こうして「天秤棒おばあさん」と呼ばれるようになった彼女は、十年以上、天秤棒を背負って回収品を拾い集め、徒歩で四、五十分かかるような山道でも、リサイクルに出したい物があるという家庭があれば、苦労をいとわず出かけて行った。おばあさんの人助けの一念は揺らぐことがなかった。
しかし近年著しく身体機能の衰えたおばあさんは、以前のように天秤棒を担いで回収品を引き取りに行くことができなくなり、「天秤棒おばあさん」も過去のものとなってしまった。それでもおばあさんは環境保護活動を諦めたわけではない。今でもリサイクルに出す物を持って来る人がたくさんおり、コルセットをつけた彼女は自分の手でそれらの分類を行い、袋に詰めて、リサイクル品回収の車が来るのを待つ。
この日山では大雨が降っており、私たちがリサイクル品回収の車とともに着いた時、おばあさんはゴミ袋を雨具代わりにし、麦わら帽子をかぶって玄関にしゃがんで回収品を洗っていた。八十歳になるおばあさんは読み書きはできないが、雨水は大地を潤し、ダムに注ぎ込み、家庭の生活用水となるのであり、神様の賜物であるという道理はよく分かっている。おばあさんは水道水を浪費したくないと、雨水を利用して回収品を洗うことにしているのだ。まさに水を倹約する昔の人の美徳であり、また「清らかさは源にあり」の模範でもあるだろう。
 
どうしようもない身体の衰え
 
おばあさんが環境保全のためのリサイクル活動を始めた時、家族は反対した。だが結局おばあさんの固い意志には勝てず、今では息子と嫁も協力してくれている。
かつてダム清掃の仕事をしていた息子は、ダムの水面にゴミが漂っているのをよく目にした。上流から流れて来るそれらのゴミは、大雨や台風の後では大量にダムに流れ込んだ。息子はダム管理機関の同意を得た上で、ダム清掃後の回収品を車で持ち帰り、おばあさんはそれらの回収品を分類した。毎回息子の持ち帰る回収品はトラック三、四台分にもなり、庭から溢れてしまうほど厖大な量であった。
痩せて小柄な金秀おばあさんは、何年も一人でたくさんの回収品を処理してきた。分類という手間をかけても、それらの回収品を環境汚染を招くゴミにしてしまいたくなかったのだ。しかし去年、大量の回収品を処理する体力がなくなったことに気づいたおばあさんは、やりきれない思いではあったが、息子に「もう持って帰って来なくていいよ。もう分類は無理だから」と告げた。
 
誰もが仲間となってくれるように
 
おばあさんのインタビューを終えた後、翡翠ダム上流の景色に好奇心をそそられた私は、石碇の千島湖を見に行くことにした。高台に立って見下ろすと、山々が連なり、丘陵が起伏し、小山が湖面に遮られて小島のように交差する光景に思わず息を飲んだ。ここは重要な水源保護区であるのみならず、大台北地区の生活用水の主要な水源の一つでもある。
私たちは毎日、蛇口をひねって便利な水道水を享受しているが、ダムとゴミ、リサイクルの関係に思いを致すことはない。四十年以上ダムの下流に暮らす金秀おばあさんは、水源の汚染や資源の浪費を見るに忍びず、自らの時間と体力を削ってダムのゴミの回収と分類を行ってきた。その責任感に私たちは敬服させられた。
しかしおばあさんの体力は年とともに衰え、動けなくなる日も来るだろう。一方ゴミのリサイクルの仕事に終わりはない。「おばあさんがいなくなった後、回収品をどうするか、考えたことはありますか」。私がこう尋ねると、おばあさんは、「息子に託します。彼らに引き継いで欲しいと思っています」と答えた。この日ちょうど手伝いに家に戻っていた息子に、おばあさんがもう一度自分の望みを伝えると、孝行者の息子はすぐに請けあった。そばで聞いていた私は、それが単なる口約束ではなく、心から心への伝達であることが分かった。水利事業は百年の大計で、おばあさん一家のみの責任ではない。誰もが環境保全の使命を担い、あなたも私もおばあさんの仲間となれるように努力しよう。
NO.239