慈濟傳播人文志業基金會
星空の下の屋根のない家は 楽しい我が家になった
オスティンおじいさんは子供たちに見捨てられ、屋根のない家で一人で暮らしていた。
慈済ボランティアが訪問すると、おじいさんは毎回「あなたたちにずっといて欲しい」と言った。
おじいさんの涙を見て、慈済ボランティアは「さよなら」の言葉が言い出せなかった。
 
マスクをつけた慈済ボランティアが支援物資を携えてオスティンおじいさんを訪問し、家の掃除をしている。
 
おじいさんの悲しい過去
 
ジンバブエ・テンブウェ村の荒寥とした草むらの中に、ぽつんと寂しげに立っている一軒の家があった。水道も電気もない粗末な茅葺の小屋だった。二○一五年、ジンバブエの慈済ボランティアは初めて訪問ケア活動を行った際に、一人で小屋の中で住むオスティンおじいさんを発見した。
九十六歳のオスティンおじいさんはマラウィの人で、三十歳の時、新しい職を求めて千キロ離れたジンバブエにやって来た。コックの腕を生かして首都の東のマロダラ町に腰を落ち着けた。その後、家を持ち、三人の子持ちの女性と結婚して家庭を築いた。
七十六歳の頃、再び職を失った。家族がしばらくの間、暮らしに困らないようにしてから、ハラレイへ職を探しに行ったが、寄る年波に勝てず、また失業の憂き目を見る。
マロダラの伝統では女性優位であるため、妻は子供たちの目の前で無用になった夫を罵るようになった。子供たちもだんだんと軽視するようになり、自分の手で作った家から追い出されてしまった。
一九九六年、オスティンおじいさんはテンブウェ村のはずれに身を寄せる簡単なレンガの家を建てた。しかし何年か後の水災でレンガの家は流され、今の茅の家になっていた。心に深い傷を負ったおじいさんは、妻と子供たちを許せぜず、日夜心の中で彼らを罵っていたが、どうすることもできないまま、失意のまま日々を過ごしていた。
おじいさんの境遇を知った慈済ボランティアは、長期ケアの対象者に登録して、毎月訪問しては食べ物をあげたり、家の掃除や整理などをして、やさしく寄り添っておじいさんを慰めていた。
 
 
ビニールの家のご馳走
 
オスティンおじいさんはこれまでずっと自分のことを、子供たちに棄てられた世界で一番哀れな人間だと思っていた。しかしボランティアは「私たち皆があなたの子供でしょう? いつでも来ますから」と慰めていた。
初めて訪問した時、おじいさんは皆が真心から自分を心配し、来てくれていることを知り、ビニールで覆った家に入れた。ボランティアが中に入って見たのは、ポリバケツと簡単な炊事用具だけ。おじいさんが自分は菜食主義だと言った時、ボランティアはおじいさんが万物の生命を憐れむ人だと知って喜んだ。
ボランティアは家の中の掃除を済ませ、食事の用意をしながら、おじいさんの悲しい過去の話を聞いてあげた。おいしい匂いは寂しい家の中を温かくし、持ってきた蚊帳を家の中に吊るすと、さらに気持ちの良い家になった。ボランティアのやさしさに、おじいさんは顔を綻ばせた。
「天下に私の愛せない人、信じられない人、許せない人はいない」。この證厳法師の智慧と法語をボランティアが繰り返し話すうちに、おじいさんの心にあったわだかまりや恨みは次第に消えていった。
冬が近づく頃になると、ボランティアは暖かい上着を贈った。こうした小さな思いやりにおじいさんの心はほだされ、心の扉を開けるようになった。そして「私はこの生涯にこんなにたくさんの愛を受けられるとは夢にも思わなかったよ」と言った後、「あなたたちがいつまでもいてくれたらどんなにかよいことか」とつぶやく。
ボランティアは各自の家に帰らなくてならない。おじいさんが涙ぐむのを見て、ボランティアは「さよなら」を言うのが心苦しかった。
 
「私は慈済の子供らを待ちかねていた」
 
今年の二月、ボランティアがおじいさんを訪問した時、屋根が強風に吹き飛ばされて四方を囲う茅だけが残っている中で、慈済の子供らがくるのを待っていた。
「やっときましたね」と言うおじいさんは、体が衰え生活がどんなに苦しくても、ボランティアの姿を見ると笑みをこぼす。強い太陽の光を防ぐために家の中をビニールで覆っていた。ボランティアが家の中に入ってビニールの覆いを取ると悪臭が漂ってきたが、それをものともせずにマスクをつけて掃除を始めた。
おじいさんは、「私を訪ねてきた子供たちを許しましたよ」と言った。二十年以上も途切れていた親子の情は、ボランティアの努力によって復活したのだった。ボランティアはおじいさんのために喜んだが、まずは急いでこの家を修繕しなければならなかった。
 
梁や柱を建てて風雨から守る
 
緻密な計画を立てて今年の三月十二日、慈済ボランティアの朱金財は大勢の仲間を連れて家を再建するため、おじいさんを訪れた。各自家にある道具を持ちより、建材を車から上げ下ろししたり、トウモロコシの粉や砂糖や塩や食用油などの生活物資を運んだり、大にぎわいだ。
家の強度を確かめている時、柱にシロアリの巣を発見して新しいのを添えて補強した。また、快適に過ごせるように屋根を高くした。灼熱の太陽の下で、汗を滴らせながら、誰もが奉仕の機会があることを喜んで作業していた。
一日半かかって屋根がやっと完成した。さらに福慧ベッド(簡易ベッド)を部屋の中に置き、おじいさんは地べたで寝る必要がなくなった。木の陰に座って、じっとボランティアたちが仕事をしているのを見ている表情は、信じられない光景だと思っているようだった。
昼ごはんの時、おじいさんはボランティアに「先週、娘と娘婿が私を訪ねて来た時、私は『お前たちの仕打ちを許す』と言いました。なぜなら私は今は楽しく、そして幸せだから」と言った。家族の者たちは、慈済ボランティアが父親を世話していることを知って、この世界に「愛」が存在することに驚き、感動した。そして、いったいどんな団体が、父親に自分たちを許す気にさせたのか知りたいと思っていた。
おじいさんは、慈済ボランティアを家族の者に会わせ、そして心から證厳法師と慈済に感謝したいと願っている。家の修繕は彼ら家族の心をも修繕することができた。おじいさんは、「私は證厳上人にお会いする機会はありませんが、皆さんの中で上人にお会いする人がいたら、私の心からの最大の感謝をお伝え下さい」と頼んでいた。
「私は屋根のない家で太陽に焼かれ、雨に濡れた日々を過ごして来ました。今日からやっと屋根のある家に住むことができて嬉しいです」と。鉄板の屋根の下には嬉し涙、笑い声、慈済の子らの楽しい人たちがいて、おじいさんはもう孤独ではなくなった。心の中に建てられた愛と許しの家は、大きく燦然と輝いている。
(慈済月刊五九七期より)
 
 
┃ジンバブエ┃
 
ジンバブエ共和国は、アフリカ大陸の南部に位置する共和制の国家である。首都はハラレ。
民族は主に黒人。
キリスト教50%以上を占める。
インフレ率と失業率が高く、人々は貧しい生活を送っている。
 
 
 
NO.239