ボランティアになってから、いろいろなことをして、さまざまな人に会いました。人生でもっと深く体得することができています。
病院の外科ICUで三日間ボランティアをしていた時、ある老夫婦の姿が私の目を引きました。二人は焦った様子で患者の家族に懇願していました。「お願いです。お子さんに会わせて下さい。私たちの不注意でぶつけたので、会って謝りたいのです」。しかし患者の家族は頑として聞き入れず、老夫婦を追い返していました。
老夫婦は涙をためてしょんぼりと帰って行きました。この老夫婦は早朝に筍を収穫して、新鮮なうちに市場へ売りに急いでいたのです。二人は何かにぶつかったことが分かって車から降りて見ました。人にぶつかったのですが、その時はたいしたことではないと思って市場へ急いだのです。それで患者の家族は人の命をないがしろにしたと、とても怒っていました。
このやりとりを目の当たりにして、ボランティアとして、何とか懸け橋にならなければと思いました。そして老夫婦に、「家族の方は、今はあなたたちにお子さんを会わせたくない気持ちですが、あなた方が毎日来てお願いし続ければ、きっとその誠意に感動して会わせてくれるのではないでしょうか」と話しかけて慰めました。そして、家族には「お子さんをぶつけていながらすぐに病院に連れて行かないのは本当にいけないことですね。でも今はこんなに後悔しているのだから、明日はお子さんに会わせてあげて、謝らさせてあげてはどうでしょうか」と言いました。
翌日病室では相変わらず、患者が荒い息づかいをしていましたが、いつもと違う雰囲気に包まれていました。家族は、「昨日のおじいさんとおばあさんが見舞に来たのですよ」と言いました。おじいさんが、「家族の方がお見舞いにくるのを許して下さいました。私の不注意でこんな大けがをさせてしまって、すみませんでした」としきりに頭を下げていた時、嬉しいことに家族がお子さんの名前を呼ぶと、手を動かしました。こうして和解は成り立ちました。
三日間のボランティアとしての役目が終わって病院を離れる時、「病人を見舞う仏陀」の絵の前で手を合わせて、患者の一日も早い回復と老夫婦の健康を祈りました。
早朝、證厳法師が《法華経信解品》の講釈をされた時、「依事観因縁、所生之事相、就理観万法、真実性観法、雖値仏慈悲、同体共実法、未入仏正慧、妙覚法海中」という経文についてお話しなさいました。すなわち、慈悲を示す私たちは一刻も細心に、世の中の事を観察して善人として事にあたってこそ、さらに深く道理を理解することができるということです。
上人はまた、仏典に出てくるお話をされました。ある長者が子供を連れて布施をし、人に対しては敬うことを教えて、早逝の運命だった子の運を変えました。人に対してよくしてあげると、人も私たちによくしてくれます。人と事に対して円満であるだけでなく、道理にも円満にならなければなりません。そして話す時、心の動き、動作のすべては法と符合していなければならないということです。
道理の通りに動くと、日々の人、事、物が円満になります。道理のすべてが円満なら、それが「覚円(円滑)」ということです。人々は仏と同等の仏性があって、発心修行し、悪法を取り除いて、善法を追及すれば、いつの日か慈悲と智慧の境地に到達することができるといいます。
このことについて私は考えました。老夫婦は一時の観察を誤ったがために、知らぬ間に起きた無明によって、もう少しで若者の命を落とすところでした。もしもその中で道理を観察していれば、道理にかなった行為によって、すべての事は円満に運び煩悩を免れたことでしょう。
ここで私は、事々は心静かに観察して理を深く考えなければならないと感じ入りました。ですが、何か事にあった時、心は乱れずに天を恨まずにいられるでしょうか? 私たちに「何事も因縁による」重要性と「理とは万法」の妙技を示され、私たちが永遠に心のよりどころとする方向を示された上人の開示に、深く感謝しました。
【人生の禍福は一念の間にある】
整理、編集部
仏陀が在世の頃に、ある長者が五、六歳の子供を連れて占い師に運命をみてもらいました。占い師は、この子は福徳が具わっているが寿命が短いと言いました。
長者はバラモン修行者を訪ねて、この子の寿命が延びるように願いましたが、皆頭をふってそんな能力はないと言いました。傷心した長者は仏陀を訪ねました。
仏陀は世の中に寿命を延ばす方法はないが、一つだけ方法を教えよう、子供を連れて城門で行き来している人たちに礼を尽くして祝福しなさい、と教えられました。
長者は子供と城門の下で人を見ると、最高の礼を尽くして心から祝福をしました。城外には多くの貧しい人がいました。その人たちに真心をもって布施をし、布施をすればするほど心は幸福感に満ちていました。布施をすることが習慣になって、いつしか当初の寿命の延長をする願いを忘れてしまいました。しかし助けを受けた人たちは、親子の心からの助けに感謝した見返りとして親子の幸せを祈っていました。
ある日、鬼神がバラモンに化けてこの子の命を取りにきました。城門まで来ると父子のいろいろな慎ましい善事を聞いて、他の人と同じように「長寿と幸せ」を祈りました。鬼神は自分の口からこの言葉が出たのですから改めることはできません。ですからこの子はめでたく長寿を全うしたのです。
上人はこの話をされ、人生の禍福はその一念にあると言われました。心に無私の愛があると、常に人の幸せを思って煩悩を忘れ、悪念は起こりません。尊重の心を以て人を助けるとお互いが幸せになり、よい因はよい縁を得られます。
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