慈濟傳播人文志業基金會
被災者の屋根を修繕する

 

 

七月、台風一号が台東県太麻里に上陸し、瞬間風速17ノットの強風は民家の屋根瓦を吹き飛ばした。

慈済ボランティアはすぐに見舞金を贈ったほか、九月には被災者の屋根の修繕を終える予定だ。

 

小雨の降る中、三人合わせると二百歳を超える中高年のボランティアが、屋根の上で朽ちた竹を取り除き、下では女性ボランティアがそれを受け取っています。黙々と息の合った四人は、汗と雨水にまみれても手を休めません。

七月八日の台風一号が襲った時、台東県太麻里郷は最も甚大な被害を受けました。慈済ボランティアは急遽慰問に訪れた後、香蘭、泰和などの貧しい被災者を、屋根の修繕と補助の支援対象としました。そのほか、台東市の被災家屋の損害の程度を調査して援助の対象とし、八月下旬に修繕を開始して九月末にはすべて完了する予定でした。

九月に入ると時折の雷雨で、支援計画の進度に支障をきたしていましたが、雨足が弱まるとすぐに仕事に取りかかり、一日も早く被災者が安らかな我が家で生活できるよう急いでいました。

 

一番大切なこと

 

災害発生から二カ月後の九月七日、私たちは慈済基金会と慈善志業発展所の人たちと泰和村を視察に訪れました。宜蘭からきた四人はちょうど仕事中で、組長の陳龍泉は連日の雨で足を滑らせ、くるぶしをねじってしまいましたが、それでも仕事を休みませんでした。

白髪頭の陳龍泉は六十六歳で、建築の仕事に携わって三十二年、若い時のペンキ塗りを合わせたら五十二年も建築業界で活躍してきたことになります。慈済に参加して二十年以上になり、宜蘭県にある慈済の三星、五結、台東会所の建設に関わったほか、フィリピンのハイエン風災、ネパール震災後の臨時教室の組み立てなどの活動に参加してきました。

「私は国外での支援活動に度々参加してきました。今回、わが国の太麻里で被災家屋を修繕する人手が必要と聞き、喜んで参加しました」と言いました。同行した二人は七十歳の劉文景と、電力会社をリタイアした六十二歳の余滄波です。

余滄波は「私が六年早めにリタイアしたのは、以前やっていなかったボランティア活動を穴埋めするためです」と言い、劉文景は「私は年をとっていてもますます健康になっています。若い者には負けませんよ」と言いました。

三人は屋根の破損した部分を取り除き、瓦を敷いて雨漏りを防いだ後、中の一層を断熱材、その下の層を光沢のある白色板に仕上げています。陳龍泉は「屋根が完成し、室内の電灯をつけて天井を見上げたら、明るいですよ」と喜んでいました。

室内をかたづけていた五十四歳になる慈済委員の游麗華は、「證厳法師は、被災者の家は最も品質の良い材料を使って修繕するようにとおっしゃっておられます。これは坪当たり換算したらたいした物ですね」と褒めていました。

修繕期間中、太麻里の泰和村で六千元の家賃で家を借りて寝泊まりしました。三度の食事は香蘭村のシングルマザーが慈済の環境保全所で作ってくれるので、衣食住の心配をすることなく、思い切り長時間仕事に打ち込むことができました。

慈済は四回に分けて太麻里郷の被災者家屋の修繕を予定しています。一回目の受け持ちは屏東県のボランティアが十三戸、二回目は宜蘭県の十三人のボランティアが二組に分かれて十二戸、三回目の六戸は現在完成間近で、四回目は九月十日に修繕を予定する家の検査にきます。全部で三十五戸の全壊した屋根は九月末に修繕が完了し、台東市の四十戸も同時進行中なので、ボランティアたちがいつ帰宅できるのか、予定がつきません。

工事の間、借りている家の中に簡易ベッドを置いて寝起きする。簡素だが十分満足している。
屋根の上で腐った竹を取り除く陳龍泉、余滄波、劉文景。3人は暑い日も雨の日も休まずに仕事をし、被災者に早く安心して住める家を渡したいと思っている。
 

 

弱者家庭を庇護する

 

泰和村に住む潘さんは屋根が吹き飛ばされ、歩行器を使って歩く母と五十を過ぎた半身不随の弟と三人、狭い倉庫の中に避難していました。生活は慈済の毎月の補助と藩さんが日雇いで得たわずかな収入で暮らしています。

彼女は慈済のお年寄りたちが自分の家の修繕をしてくれているのに感動して「皆さんが私たちのために、こんなに一所懸命修繕してくださり感謝にたえません。これからは風雨にさらされて暮らす心配がなくなりました」と言いました。

香蘭村の戴静子おばあさんは嬉しそうに、私たちを家の中に案内して「慈済の人たちが屋根を修繕してくれたので、昨日客間を調えました。天井を見て下さい。綺麗でしょう」と、おばあさんはワールド・ビジョンと慈済の補助金で室内のペンキを塗ってから屋外に置いていた家具を家に入れました。「このベッドは人から贈られたベッドで、濡れてカビが生え使えなくなりましたが、まだ一つありますよ」と言いながらキッチンへ案内してくれました。暴風で屋根が吹き飛ばされていましたが、今は新しい屋根があり、安心して食事の用意ができます。

修繕が終わっている陳さんの家に行くと「妻がお産前で、古くからの言い伝えでは妊婦のいる家の中は動かしてはいけないので、慈済の人たちは修繕をお産後まで伸ばしてくださいました。三日間で壊れた瓦を取り除いて新しい屋根に取り換えてくれたので、妻は安心して産後を過ごせます」と言いながら出迎えてくれました。陳さんは建設現場で働いていますが、台風に見舞われ、三人の子とお産前の妻を世話するのに忙しく、仕事に出られませんでした。妻は無事男子を出産しました。「私はまだ四十一歳で体力はまだまだ十分にありますから、これからも家族のために頑張ります」と力強く言いました。

陳さんの裏方に住んでいる呉金茶おばあさんは、「私はまだ寝る所があるので、急がなくてもいいですから、修繕は陳さんに先を譲りました」と話し、とても情け深いおばあさんです。

慈済ボランティアと村人は風災直後、おばあさんの家の掃除のため、家の前に家具などを運び出し、掃除が終わると家具を中に運び入れました。壊れた屋根は修繕の順番がくるまで一時しのぎにビニールを被せました。そんな不便な中でも、三十七、八度の猛暑の中で仕事をしている人たちを、おばあさんは熱心に労っていました。

台風の被害を受けて家具は散乱しているが柱はまだ丈夫だ。慈済が修繕した白い天井と屋根。いつ風雨が襲っても怖くない。
 

安らかに過ごし、業に勤しむ

 

香蘭村の被災者の蘇心蘭も修繕の順番を待っていました。彼女の台所の屋根は飛ばされ、寝室二間と客間の屋根は瓦が壊れ、雨漏りがひどくて部屋は湿気で充満し、一日中扇風機を回しても黴くささは消えません。

彼女は月二千五百元の家賃の負担はまだいいとして、被害に遭った畑の元手はゼロになりました。私たちが被災した七月に農地の調査に行った時は、悲惨な状態でした。この度再会した彼女は笑顔で、現在慈済の環境保全と自然農法の栽培を学んでいると言いました。

修繕を終えた新しい屋根の前で嬉しそうに話をする戴おばさん。

 

親切な人が家の後ろにある畑をただで提供してくれたので、紅キヌアを植えることにしたのです。これは経済性に富んでいて、収穫後は慈済科学技術大学と合作して製品の研究開発をすると言いました。

「紅キヌアは農薬も化学肥料も肥しも一切使わず、純粋の天然でないと駄目です。藁や果物の皮を有機肥料として覆い、除草剤も使わずに手で草取りをしなければなりません」と嬉しそうに話していました。

九月中旬にまた台風が接近するとの予報があり、慈済人はまだ修繕していない屋根をひとまず鉄板で覆って強風に備えました。

善のある人々と愛の団体の援助によって、太麻里の人々は今、畑作業に忙しく、釈迦頭の農園は枯れ枝を取り払い、来年の収穫に備えています。修繕組は進度を早めています。陳龍泉は「被災者たちが安らかに過ごせ、仕事に勤しめる日が来た時、私たちは家に帰ります」と言いました。

 

 

 
NO.239