花蓮慈済病院は「台北でできることは花蓮でもできる」という理念のもと、医療が不足していた花蓮・台東地区で高水準の医療を提供してきた 。
医療技術の開発と共に医学教育を発展させ、東部の医療水準を引き上げてきた。
様々な成果は病院建設当初の初心である「生命の尊重」に由来する。
二○一六年八月十七日、花蓮慈済病院は開業三十周年を迎えた。花蓮市中央路に聳え立つ花蓮慈済病院は、台湾で十九カ所ある医学センターのうち唯一東部にある。広大な花蓮の地で重責を担っている。
三十周年記念行事で、花蓮県医師協会の黄啓嘉理事長は次のように語った。
「一九九九年に医学センターが査定した時、人口三十数万の花蓮には医学センターは必要ないという委員もいました。しかし、慈済はこの地で医学センターとなることを望みました。それによって病院運営のコストは大幅に上がりますが、慈済が考えていたのは資金の出所ではなく、花蓮には医学センターが必要だということでした。慈済の根本的な価値は何でしょう? それは慈悲だと思います」
黄啓嘉は感慨深げに言った。慈悲ある故にどんな困難をも恐れず、恐れない故に無限の可能性を生み出しているのだ、と言う。
大勢の花東地区の住民が記念行事に参加した。二歳の林頎ちゃんは家の近くの魚の養殖池で溺れ、花蓮慈済病院に運ばれた時はすでに昏睡状態だった。当直していた小児科の朱家祥主任は大至急、小児科ICUの張宇勲主任に合同治療を依頼した。一般的な治療方法であれば、奇跡でも起こらなければ、最善を尽くしても植物人間になってしまうため、「高周波呼吸器と低温療法」を行うことにした。
医療チームのこと細やかなケアの下、林ちゃんは回復し、脳にダメージを受けることもなかった。家族は式典で慈済病院のチームに対して、子供が二度生まれたようなもの、と感謝した。その子はこの病院で生まれたからだ。
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花蓮慈済病院30周年記念行事に林さん一家が出席し、小児科救急重症チームが子供を救ってくれたことに感謝した。当時のことを思い出し、夫婦は涙を流した。
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花蓮で足場を固め
台湾全土に目を向ける
花蓮慈済病院は二〇〇二年、医学センターに昇格、五年連続で審査に合格し、来年は六年目の挑戦である。過去三十年にわたる努力を経て、慈済病院は花蓮の医療の歴史に新たに数多くのページを書き残した。そして、上人が病院を建設した当初の期待通り、「台北でできることは花蓮でもできる」病院を実現した。
花蓮慈済病院が開業して二年目の時、素晴らしい外科技術から花東地区の「脳外科病院」という評判が広がった。神経外科は二〇〇三年に花東地区で初めて放射線治療機器「ガンマナイフ」を導入した。ガンマ線を使った脳腫瘍の治療は今日まで千二百人以上に恩恵をもたらした。
脳神経外科による脳深部に対する治療法は目を見張る成果が見られ、今までに百九十一症例で成功している。そのうちの百五十八人はパーキンソン病で、台湾全国で行われる治療の四分の一を占め、身体の行動機能を回復させている。その高水準な医療技術は国際的にも認められており、国内外の十の医学センターを指導してきた。
心臓外科チームは一九八九年、東部で初めての心臓手術を行ったが、二〇一四年までに、二千症例以上の手術を行っている。心臓内科の王志鴻副院長は様々な状況に対応するために、一九九三年、心臓外科と合同で「救心チーム」を結成した。彼は一人で十四年間、東部における環状動脈カテーテル治療による救命任務に当たってきた。その後、東部で唯一ECMO(体外式膜型人工肺装置)がある病院として、今までに百三十八人の患者を治療してきた。
整形外科は陳英和名誉院長の下、硬直性脊髄炎や背骨湾曲の矯正手術が世界的に注目を集めているだけでなく、人工股関節と膝関節の手術器具の研究開発の分野においても様々な賞を獲得している。
花蓮慈済病院は東部で唯一、火傷治療センターを設置した医療施設である。作業療法士の陳美玉は陽光基金会の圧力服の製造訓練を受け、「圧力服製作室」を設立した。火傷患者が入院した時、医療面でのケアから圧力服の使用、リハビリなど、東部にいながらにして安心して治療ができる完璧な火傷治療システムができあがった。このため、昨年台北市郊外の八仙プールで起こった爆発事故で負傷した東部の若者は、安心して花蓮に戻って治療に専念することができた。
二〇一四年八月十四日、花蓮慈済病院はダヴィンチロボットアームによるカテーテル手術を開始し、ダヴィンチ手術センターを設立した。それは台湾で初めてのダヴィンチシステムであり、慈済病院はハイテクカテーテル手術の時代に突入した。
医療技術の向上のほか、人材育成のために花蓮慈済病院は大勢のボランティアを後ろ盾に、二〇〇八年、「模擬患者センター」を設け、ボランティアを募って模擬患者の訓練を行った。各科別によく見られる患者の状況を三十種類以上用意して教材とし、心理的、情緒面での反応を医学生が患者と模擬的に対応することで、少ない手掛かりから病気の原因を探し出すのが目的である。
證厳法師が期待を寄せる「質の向上、人材の育成」は容易なことではない。今ある基盤を元に慈済医療の愛は花蓮を中心に世界に向けて広がることを信じている、と林欣栄院長が言った。
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心臓救急治療は一刻の猶予もあってはならない。花蓮慈済病院心臓外科は1989年2月に初めて心臓手術を行って以来、2014年末現在で2000症例目の手術を終えた。その手術後、医療チームは記念写真を撮って歴史に残した。(写真の提供・花蓮慈済病院)
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医療人文は海外に向って広がる
「一秒に一つのストーリーを語るなら、一日、すなわち八万六千四百秒のストーリーを全部語ることはできません」。この三十年間、花蓮慈済病院の医療チームが死神から患者の生命を取り返してきた例は枚挙に暇がない。證厳法師が病院建設当初の苦労を思い出す時、ボランティアの献身的な協力と、それ以上に医療人員が進んで東部で奉仕してきたことに感謝している。建物ができても医療人員が来なければ、生命を救う良能が発揮されることはないからだ。
花蓮は辺鄙な場所柄、都会から医療人員に来てもらうだけの魅力に乏しい。仮に来たとしても、長く居つくことがないため、人員の流動が激しかった。その最も良い解決方法は現地で人材を育成することだった。しかし、現地の人材と言っても、東部には一般的な専門学校があるだけで、看護学校や大学はなく、人を集める術がなかった。そこで一九八九年九月、「慈済看護専門学校」が設立される。東部に看護人員を提供できるようになったと同時に、就学の機会ももたらした。現在は慈済科技大学に昇格している。
一九九四年十月、慈済は「慈済医学院」を創設し、その六年後に慈済大学と改名した。その中には医学部のほか、生命科学部、人文社会学部、教育メディア学部があり、各分野の人材を養成している。
二○○二年、花蓮慈済病院外科チームと慈済大学は、初めて「遺体模擬手術教育」を行った。そして 二○○三年、慈済大学は全国で初めて八つの模擬手術台を有する遺体模擬手術室を設置した。専門の医師の指導の下に、七年生の医学生が病院で実習する前に臨床技術と手術テクニックを学び、実際の患者の体でミスを犯す機会を減らそうとするものである。
学生はその課程を始める前に「無言良師」である献体者の遺族を訪問し、献体者の生前の人生を理解するようにしている。授業で目の前に横たわっているのはもう冷たい遺体ではなく、人生の智慧を実践してきた模範なのだ。
二○○八年、「模擬医学センター」に昇格し、課程内容の範囲を医学生の実習から慈済病院の常駐医師による常態訓練課程および主治医の上級訓練にまで広げ、医師に最新の手術を練習してもらうことで、将来、患者の治療に応用する時の自信に繋げている。
献体は慈済ボランティアが率先して「身で以て説法する」を行動に移した結果、次第に中華系民族の間に根深く残る古い固定観念を変えつつある。一九九五年に始動してから二十一年、すでに三万七千人以上の人が献体同意書に署名し、七百人以上が献体した。
慈済大学副総長と模擬医学センター主任を兼ねる曽国藩教授は以前、台湾大学病院の解剖学科主任だったが、證厳法師の招聘を受けて公立大学の退職金を蹴り、故郷である花蓮に帰って奉仕を始めた。
彼の決意はすぐに家族の賛同を得られたわけではなかったが、彼はより使命感のある仕事に就くべきだと考えた。
曽教授はチームを率いて、「全身」急速冷凍保存システムを考案した。それは海外で行われている解体した遺体をそれぞれの部位で保存するのとは異なり、台湾社会の習慣を考慮したこともあるが、学習する人が完全な遺体に対面することを期待した結果である。手が一本とか頭部が一つという標本ではなく、完全な遺体を保存するのは難易度が高い。
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花蓮慈済病院泌尿器科の郭漢崇主任(写真中央)は慈済大学遺体模擬手術課程で模範的な手術テクニックを披露した。慈済の医療は花蓮から始まったが、医学教育の中心的役割をも築いた。先輩医師たちは無私の心で伝承し、多くの患者に恩恵を与えた。
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冷凍という手法は新しいものではないが、あれだけ大きな人体を急速冷凍するのは容易ではない。また、身体の大きさや体重の違いがあるため、急速冷凍と解凍は単純に冷凍庫から出し入れするだけではできない。その緻密な技術は台湾独自に開発されたもので、世界唯一の技術である。寄贈された遺体は、選別から保存、急速冷凍、解凍という過程を経る。そのため完璧に処理されていないと、解凍された後の遺体は生前の感触を失ってしまう。筋肉や皮膚組織が弾力を失ってしまったら、医学生が真に迫った手術をすることは不可能だ。
二○○九年から花蓮慈済病院の医師が主体となって模擬医学センターを各専門学会と合同課程を始めた。これまでに耳鼻咽喉科、泌尿器科、神経外科、整形外科、関節再建外科、脊椎外科、火傷外科、手外科、増殖療法、口腔科などがある。
模擬医学センターは常時、各方面の医学会と共同課程を持っているが、将来、国家プロジェクト的な規模の手術訓練センターに発展させ、国際医学界と共同でハイレベルな訓練をすることを目標にしている。各領域の著名な学者を招いて講義することで、台湾の医師たちが国内にいながらにして最新の技術を学ぶことができるのである。
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花蓮慈済病院の起用当日、病院ロビー左側のモザイク壁画「病人を見舞う仏陀」の除幕式が行われた。青い山と白い雲に囲まれた林の中で、仏が右手に薬の瓶を持ち、左手に清潔な白い布を持って病に倒れた出家人を丁寧に拭き、薬の取り替えを行っている絵である。顏水龍が作成したこの壁画は30年間、病に苦しむ人々を見下ろし、慰めてきた。それは慈済病院の「病を護る」という主旨を表している。 |
頑に生命を守る
花蓮慈済病院は三十年の間で大きく成長した。設立当初、ベッド数二百五十床、多いとは言えない診療科目と医療人員から始まったが、今では三十五の診療科目と三百人を超える医師、千七百人前後の従業員によって安定した経営で邁進している。
慈済医療志業は花蓮だけでなく、台湾全土に根づいた。一九九九年、花蓮県南部に玉里慈済病院が開業し、その翌年、台東県に関山慈済病院が開業した。そこには同じように二十四時間態勢の救急外来があり、花蓮慈済病院が主体となって守る花東地区の第一線を担った。事故発生時に素早く対応し、病状が安定した後に花蓮慈済病院に送って治療をする。
台湾中西部、雲林県の田圃の中にある大林慈済病院は二○○○年に開業し、雲林県と嘉義県の辺鄙な地域の住民に恩恵をもたらした。二○○五年には台北慈済病院、そして二○○七年には台中慈済病院が続いて開業し、慈済医療人文を西部に広げた。
六つの慈済病院は一貫した医療専門人材の育成と医療志業を兼ね備えた規模を有している。慈済医療財団法人の林俊龍執行長が言うように、今年は稀なる一年で、慈済基金会設立五十周年、花蓮慈済病院開業三十周年、そして、国際人医会二十周年に当り、これを加算すると百年になる。慈済医療は台湾で医療の模範を築いただけでなく、世界九十四の国と地域で慈済の慈善と医療がその軌跡を残してきた。その百年を基礎として、世界中の人々に医療が行き渡り、真の生命と健康、愛の守護ができることを期待するものである。
(慈済月刊五九八期より)