年をとっても気持ちが若ければ、
煩悩は増えない
大地に奉仕し
苦難の人をいたわり
尊厳ある毎日を送り
生命の価値を表現する
高雄には、長い間静思堂を掃除している福田ボランティアと呼ばれるお年寄りがいます。彼女たち七人は自分たちを「七仙女」と言っています。その中の王宝美さんは今年九十歳で、毎朝夜も明けきらない中から静思堂へ来て、一日中ボランティアとして働いています。「リハビリ」と言って、価値ある命を有効に使っています。
嘉義の九十一歳の陳許金土さんは、二十五年前に環境保全に参加して以来、休んだことがありません。彼女は毎日四個の大きな袋を村の四カ所に一個づつ置いて、リヤカーを使って回収しています。村人はおばあさんを村の宝と言っています。
彰化の蔡寛さんは今年百歳で、七十歳の時に慈済に参加してから三十年になりました。同じ組の委員と訪問ケアに行き、悩んでいる人を優しく労わり、指導に歩き回っています。休みなくボランティアに出て行くのに感動した子や孫たちは、家の模範として代々伝えて行くことでしょう。
慈済にいる心身共に健康なお年寄りたちは、若い時は家庭のために精を出し、年を取ってからは家業を若い世代に託しても、なお休まずに大地のため、世間の苦難の人たちのために尽くしています。このお年寄りたちは貴い人生の価値を示す宝であることを、私たちは学ばなければなりません。
自分の選択を信じ
自分を軽視せずに
大仁大勇を以て人々の中に入る
六月と七月の行脚で台北、基隆から南部を廻りました。その間、各地の支部で同門が会いにきてくれたのは、たった二、三日の間でしたが、その貴い「情」は千金を積んでも買うことはできません。皆は日頃から団結して人々に奉仕し、事があると互いに関心を寄せ合っています。慈済人の大家庭に対する親しみと和は感動的で貴いものです。
しかし、この何年間で見た古参委員、慈誠隊員らの体力の衰退、老化、病などは、自然の法則とはいうものの、心に重くのしかかってきます。日が過ぎると命はそれに従って短くなります。やはり今この時を把握して一刻一刻を大事に過ごさなければなりません。
桃園の八十八歳の張呉秀さんは協力組の組長です。私が桃園へ行く度に出迎えてくれ、「法師様、私はまだ組長をやっています」と言って、その年になっても若い人に任せていません。炊き出しボランティアから環境保全までこなし、自分はまだ健康だからやれるのは幸せなことだと言います。理念が同じ組の人たちも、彼女を尊敬し支えています。
双和区の林王月娥さんは環境保全に携わって二十年以上になります。今年九十五歳になっても慈済委員の訓練を受けて、私に会った時に、「私は嬉しいです。今年は法師様から認証を頂けますから」と言いました。そして、「こんな良い道があるのに歩かないわけがありません。私は法師様を信じ、慈済を信じ、自分を信じて、こんな年になっても皆と一緒に、慈済の道を歩いて行きます」と言いました。
慈済会員から慈済委員になるまでには、見習いの期間から訓練まで少なくとも三年の間に慈済を了解して、入る価値のあることを確認してから加入します。入った後は自分の選択を信じ、自分を軽く見ないことです。もしも自分を信じなければ、大仁大勇の心は生じず、人々の中に入ることができないでしょう。
協力と和気、互いの愛と協力は現代社会において最も需要なことです。人心の不調濁気の世においては、人間菩薩が人々の中に入る需要の時刻です。喜んで天下の責任を担い、力量を尽くして人心の浄化に努めなければなりません。「衆生が苦から離れられることを願い、我が身の安楽を求めず」とは菩薩精神です。
《法華経》の精神をこの世に根付かせるには、種々の艱難の試練に耐えなければなりません。時々刻々三軌を奉持することとは「大慈悲を心に、柔和忍辱の衣、諸法の座を空と為す」ということです。つまり心の空間を慈悲で満たし、度量は大きく、道心堅く天下の苦難の人々に関心を寄せることを目標とすることです。人と人との間では柔和な声音と態度を以てこの世で度化することです。
法を聴いて心に留め、障礙にあっても心を落ち着かせると、是非が見極められ、自然にはっきりしてきます。心に問うて恥じる所なく、行為が正しければ何も恐れることはありません。
人生は夢幻のように、すべては無常、苦と空があるので、何も気にかけることはありません。戯曲のような人生の悲嘆離合をはっきりと理解して、自分の人生の舞台で輝かしい主役を演じることです。
見返りを求めない奉仕は「加減して」やるものではなく、精進に勤め無明の混濁の中でも福慧を成長させなければなりません。
利益のない計算
ただあるのは愛の使命感
方向が正しければやるのみ
七月の行脚で向かったのは大林慈済病院で、医療チームのお話を聞きました。各科の間では互いに愛を以て緊密に成長していました。そして若い医師からは医を志した精神について聞き、古参医師の重点は、人材養育に努めていることと、病院は利益を求めているだけではないと話していました。
医療チームは片時も病院を守ることを忘れません。医師と看護師は予告なしに襲う患者の苦痛を和らげるため、予定の時刻に退勤することができません。彼らは病を治すだけでなく、心の拠り所にもなっています。きめ細かい治療を行うことを、疲れないと言ったら嘘でしょう。しかし皆は初心を守って、自分の持ち場をしっかりと守っています。
全医療志業体の共通の方向である愛の使命感、利益を考慮せずに、「生命を護り、健康を守り、愛を守る」これらが病院建設の初志であり、正しい方向に向かって一心に進んでいます。
病院のスタッフは各自の小家庭を出て、力を合わせて病院という大家庭を護っています。内科のICUに勤務する看護師の陳彦如さんは、病院に勤めてから九年になります。母の楊粋雲さんは病棟の掃除係で、一ヶ月の休日は三日ばかりですが、善行も同時にできると喜んでいます。その姿に娘は感動して、さらに仕事に励んでいます。
この母子は私の弟子で、大林の町を守り病院が清潔であるようにと、努力しています。そして職業を以て志を完成させるよう努めています。
ボランティアは病院という大家庭で懸け橋となっています。医師と看護師たちが生命危機にいる患者の治療に当たっている間、心配する家族に寄り添って、医療人員とボランティアが真摯に奉仕していることが、慈済病院の特色です。
貴い命を救うことは言うまでもありませんが、医療の質を高め、設備も充実させなければ、苦難の人を救うことができません。医療の質を高めるには、万能の両手(医療技術)のほかに、目に見えず触ることもできない気持ちがさらに重要で、これが絶えることのない大愛です。
田んぼに囲まれた大林慈済病院は、「菩提の林の中の病院」でもあります。各科が協力して患者の後ろ盾になっていることは感謝に耐えません。また、皆がお互いに感謝し合って、この大家庭を護っていきますよう願っています。
欲を押さえ節約して
環境保全をし
共智、共識、共に行動して
地球に菩提の林を造ろう
フィリピンのレイテ州カナンガ町とオーモック市で七月六日、強い地震が発生しました。余震が断続的に襲ってきて、住民は家に帰れず、その時にオーモック市在住の慈済ボランティアがすぐさま支援を開始しました。
四年前にオーモック市が風災の被害を受けた後、慈済は長期にわたって被災者に寄り添ってきました。大愛村の建設支援をすることになり、住民に建設作業に参加するように誘い、またボランティア訓練も行いました。今回彼らは災難が発生すると速やかに出動して実地調査をした後、被災状況に応じて企画を立て、被災者に寄り添っていました。七月十日にマニラの慈済人がカナンガ町の配付活動の会場に到着した時、会場はすでに整然としていました。
被災地の写真を見ると、山は崩れて道路は寸断されていました。大部分の被災地は山間部にあって、倒壊した家々はさらに大雨に襲われ、救済は困難をきわめていました。そんな時も、慈済人は休みなく救済活動をしていました。
カナダ西部のブリティッシュコロンビア州では七月七日、森林火事が発生しました。三千人以上の消防士が動員され、二百機のヘリコプターが空中消火にあたっていましたが、十日以上も延焼して三万人が避難していました。慈済人は被災状況を調査して、どのようにして被災者のサポートに協力するかについて相談していました。
地球の至る所に病が発生しています。軽く振れただけでも災難を引き起こし、百年の大森林も一抹の火で燃え尽きました。四大不調に対してさらに戒を慎み、敬虔でなくてはなりません。
おおいなる天地の災害は小天地の人心によって起きるもので、欲張りや欲念による享受の過程で種々の破壊を造成してしまいます。その一念から始まるものですから、すかさず善の種子を撒くことです。はかり知れない一生を人心浄化に努めると、地球に新たな菩提の林を作ることができます。
環境保全ボランティアは大地の医療人員のように、地球が健康で呼吸をしやすいよう努めています。そして資源回収だけでなく、さらに環境教育を施して、回収物を細かく分類して、回収とリサイクルにより無用の物が新たに有用な物に生まれ変わることができます。
二○一四年、行脚で高雄の環境保全所に行った時は、黄昏時で春雨がしとしと降っていましたが、ボランティアたちはまだ帰らず、回収物を積んだ車から荷を下ろし、皆で整理していました。いろいろの物に交じって食べ残しの弁当がありました。
その時、ボランティアに回収できないゴミなどは入れないように分類して、環境保全所とボランティアの衛生を護るように「環境保全教育」をすることを提案しました。すると一人のボランティアが、そのために回収物資がなくなるのを心配しました。しかし慈済は大地をいたわり物資を大切にしている故に環境保全を行っているので、皆に環境の清潔をモットーに分類を習慣づけることを伝えなくてはなりません。
外部の環境保全を良くするとともに心も保全する必要があります。物が新しい時は価値がありますが、現代の人たちは新しい物を喜んで買って、それよりも新しい物が出ると買い替え、まだ使えるのにゴミとして捨ててしまいます。数十年経っても腐乱しません。狭い台湾の土地はゴミの堆積に耐えられません。
各家庭で資源回収に努めてゴミを減らし、少欲、節約しましょう。共知、共識、共に同一方向へ向かって行動しますように。奉仕を軽視せず、その一滴を集めると、人々に造福することができます。皆さんの精進を願っています。
(慈済月刊六〇七期より)
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