慈濟傳播人文志業基金會
子供の心の中にある 星に輝きを取り戻させる
子供が過ちを犯した時、
または、挫折したり
選択を迫られた時、
親は何をすべきか?
 
学ぶ責任を子供に与え、
彼らが考えた末の選択を尊重し、
時期が来たら教え導いても遅くはない。
急がず忍耐強く待つこと。
これが見守りなのである。
 
慈済教育ボランティア、林敏悧
 
台湾大学の社会学部卒。十一年間、中学校で教鞭を取り、その間に小中学校公費海外留学研修資格を取り、アメリカで「価値教育」を学ぶ。
 
台中慈済青少年成長クラス(慈少クラス)の教育ボランティアを勤めて十五年。幾度となく自分の三人の子供の養育経験を講演しているが、得意な分野を付け加えて話の内容を譬えで証明し、親と生徒の双方に面白く聞いてもらえるようにしている。
 
親子教育の重点は、子供の自主的な学習の原動力や美意識、そして想像力を養うために付き添うことにあると彼女は思っている。そうすれば人や物事の美しさや感動を鑑賞し感じることができる。
 
台中慈少クラスの講師を勤める林敏悧(写真右)は、童心に返って、ボランティアと田植えをした。(攝影・林玲悧)
 
十年前、インドで最優秀映画賞に輝いた「心の星」は、想像力豊かな男の子を描いた物語である。父親は伝統的な価値観で厳しくしつけようとし、彼は本来の純真な笑顔と自由な心を失いかけてゆく。幸いにもそこに一人の教師が現れ、智慧で以て状況を変えることができた。
 
林敏悧は各地で講演する時、よくその映画のビデオを一部、見せながら問いかける。「皆さんにどういう親子関係を持っているかを認識してもらいたいのです」
 
ビデオを止めて電気をつけた時、多くの人が涙を流している。ある父親は自分の残酷さに気がつき、「自分では当たり前の教育だと思っていましたが、子供はこんなに傷ついていたことを知りませんでした」と話す。また、別の若い女性は「私が物語のどの人物に当てはまると思いますか? あの馬鹿な子供です」と言った。彼女は子供の頃から両親の期待に沿って成長してきた。
 
「子供のことがよく分かる人というのは、どうしていつも親ではないのでしょうか?」。しかし、林敏悧はいつも、「出直したいと思うなら、いつになっても遅いことはありません」と親たちを励ましている。例え親子関係がどんなに険悪になっていても、手遅れということはないと彼女は思う。「あなたが心から変わろうとするなら、きっと子供は分かってくれるでしょう」
 

親の型にはまった期待

 
今年六十歳になる林敏悧は一見して親しみやすく、明るくて智慧のある人である。人と争うことを好まない平和主義者であるが、だからといって自分の考えを押さえ込んでしまうこともない。彼女の個性は親子教育にも現れている。
 
母親になったばかりの頃、本屋に行って育児の本を探したことがある。『天才児童に育てる方法』という本に、「親から子供への最高の贈り物は自信をつけてあげることである」と書かれてあった。
 
●林敏悧は台中刑務所の要請を受け講演している。どの講演でも、彼女は聴衆に自信を持ち、改心するよう温かく励ましている。(攝影・蕭耀華)
 
その観点は今でも重宝している。三人の子供を養育した過程で、林敏悧は一度も叱ったことはなく、それを自分に与えた「最高の指導原則」にしている。「彼らの自尊心を護ると共に、自信を持ってもらいたいのです」
 
彼女の両親は一度も彼女の勉強を見たことはなく、学習は「自分で負う責任」であった。彼女の姑は文盲で、舅は小学校しか卒業しておらず、当然、勉強は子供自身のことだった。夫は建国中学から台湾大学に進んで卒業し、彼女とは大学の同窓生だった。彼女も夫も、子供は自分の学業に責任を持つべきだと思っている。「実際、学校の試験がいつなのかも知りませんでした」
 
親はふつう、子供が親の喜ばない道を選ぶのを恐れるもので、それは理解できないことはない。だが、子供は親の期待のために生まれて来たのではなく、彼らには自分で人生を歩むチャンスがあるはずだ。
 
好きか嫌いかというのは、教育の専門家に言わせるとそれは「型にはまった期待」であり、世俗的な見方で、子供の人生に口出しすることである。親は子供の幸せを願っているのだが、その思考方法が間違っているのだ。子供が医者や教授やエンジニアになれば幸福だと思っているが、実はそうではない。
 
「世俗的な見方で、子供の学歴や収入、職業で比較してみたらどうか?」。しかし、そういう思考法には大した意味はないと思う。二十年後、三十年後になって、そうした指標が重要でなくなった時、人生は一つのことに回帰するからだ。「君は情熱を持って人生を楽しんできたか?」
 
林敏悧の見方では、子供に型にはまった期待を押しつけることは、往々にして親自身の「不安」や「自分の人生で合格点が得られなかった部分を子供に託そうとする気持ち」から来ている。今の親は全般的に次の一言に縛られている。「子供をスタート地点で負けさせてはならない」だが実は、目に見える序列や区別よりも、目に見えない価値観こそが最も重要なものである。
 

道理よりも物語

 
娘が小学校三年生の時、同級生から借りたウォークマンを失くしてしまったことがあった。娘は何度も成り行きについての説明を練習してから、怒られるのを承知で、意を決して父親にそのことを話した。ところが思いもよらず、父親は「それはどこのメーカーのもの? 店はもう閉まっているだろうか? 借りたものは返さなければいけない」とだけ言ったのだ。
 
内心心配し続けたことが、思いもよらず、こんなに簡単に片付いてしまったのだ。それ以降、子供達は「両親と相談できないことは何一つない」ことを知った。
 
十数年後、娘が林敏悧にその話をした時、もし、当時娘を叱るだけだったら、子供と友達関係になる機会はなかったかもしれない、とつくづく感じた。
 
「親が何も言わなかったからこそ逆に子供は理解したのです」。彼女は体験から、子供の教育は放任するのではなく、「効果のある方法」を見つけ、親子関係が壊れるのを避けるようにすべきであると知った。親は「 急がず忍耐強くなる」ことを学び、子供に教育する時、最適の時間と場所を選ぶべきである。一時的に気が急いて思慮に欠けた言動を取れば、関係は壊れてしまう。
 
このほか「物語」は効果のある方法だと林敏悧は思う。彼女は見聞きした良い出来事を面白おかしく、新鮮味のある物語にして話すようにしている。家庭では皆、物語の時間を大切にしている。「物語を通して自分の理念と価値観を伝えています」。この方法はあからさまに「……すべき」とか「私はこう思う」、「……してもらいたい」と説教するよりも、容易に子供に受け入れてもらえるのだ。「道理を物語を通じて相手に伝えれば、とても柔らかくなります」
 
近年、多くの若者はマザコン(マザーコンプレックス)で、自立した生活ができない人もいる。林敏悧によれば、あらゆることを親が子供に代わって意思決定を行ったり、過度の保護や干渉をすれば、日が経つにつれて習慣化し、行動が制約されてしまう。言い換えると、親の子に対する態度一つで「マザコン」になるか否かが決まってしまうのである。
 
●林敏悧は台中慈少クラスの生徒に付き添って陶芸品を完成させた。(攝影・黄善繼)
精神科医は「親が子に過度に関心を持つと、マザコンの要因になります」と言う。子供との接し方は、愛さえあればいいのではなく、智慧のある親にならなければならない。子供が挫折した時、「一緒に問題を解決すべきであって、代わりに解決してあげるのではありません」と林敏悧は言う。子供は困難に直面して学んでこそ、たくましく成長するのである。
 
台湾の伝統的な教育方法では、親は往々にして面と向かって子供を褒めることが得意ではなく、慣れてもいない。彼らは「子供は厳しく教育する」べきで、子供を叱らなければ教育責任を果たしていないと思っている。
 
親は常に子供を「祝福」すべきで、「心配」ばかりしていてはいけない、と證厳法師は常々説いている。自分の口から出る言葉を慎重に選び、いつも「良い言葉」を口にするのが一番であり、子供に賞賛と励ましを多く与えれば、健康に育つ最も大事な養分になる、と林敏悧は親たちに言っている。
 
動画の中のように、「子供は皆、輝く星なのです。彼らが空を横切り、地上に降りて来た時、次第に埃にまみれて光は輝きを失っていきます」。誰が埃を叩いて、一つひとつの星が元の輝きを取り戻し、子供に情熱を持った美しい人生を送らせることができるだろうか。
 
心温まる親子関係とは、子供の心の中にある星に輝きを取り戻させることにほかならないのだ。
NO.248