人は独りでこの世に来て、
独りで去って行く。
高齢化と独居世帯が増えている
台湾の社会では、
多くの人にとって、
どうやってうまく
「一人暮らし」をするかが
現実問題となっている。
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●93歳の呉大友は1人で台北市大同区の借家で暮らしている。台湾の1人暮らしの人口は増え続け、2人や3人世帯を上回っており、そのうちの5分の1が高齢者である。 |
国際合作発展基金会の統計資料から予測すると、二〇二五年、即ち八年後には台湾の高齢者は人口の五分の一を占めるようになる。この高齢者比率の数字は正にWHOが定義づけた「超高齢化社会」に当てはまる。
今年の初め、台湾の高齢者人口が初めて十五歳未満の人口を上回り、老化指数が百を超えた。台湾の人口の老化の速さは世界一で、十年も経たないうちに若い人は、周りが年輩者だらけであることに容易に気づく状態になるかもしれない。高齢化と少子化の両方が加速すれば、双方の人口の差はもっと広がる。
高齢化の加速と共に、台湾の独居世帯も家族世帯を越え、台湾の全世帯の三分の一に達しており、一人暮らしが現代の世帯形態の主流になっている。それ故に近年では「一人暮らし経済」が現れ、個人消費市場が顕著になりつつある。伝統的な所謂「家庭」という定義と意味が改めて解釈し直されなければならなくなるだろう。
上述の二つの社会現象を合わせると、「高齢かつ独居」の比率は一人暮らし世帯の五分の一を占めている。言い換えれば、五世帯の一人暮らしの中の一世帯が六十五歳以上の年輩者である。
台湾の一人暮らし世帯は高齢化と同様のスピードで増えている。過去の独身世帯という概念から来る新独居時代というのとも全く異なっていると言える。どうやってうまく「一人暮らし」をするかというのは、将来多くの人が直面する現実問題となるだろう。
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●今年2月、台湾の65歳以上の高齢者人口が初めて15歳未満の年少人口を上回り、人口老化指数が100を突破した。老後の人生に対してどのように準備するかは誰もが直面する課題である。 |
「人間関係」の貯蓄
一人暮らしはもはや若者の特権ではなく、中年から老年にかけて様々な理由で独居する人が増え続けている。未婚、配偶者との死別、離婚、子供の独立や扶養能力の欠如が、台湾における年輩の独居の四大要因である。
現代では若いことが良いこととされ、年を取ることは即ち社会の負担になり、社会に貢献しないという負の印象がある。その上、年輩者が独居となれば、物寂しい老年を連想させる。しかし、人々はそれが差別感情であることを知らない。
慈済ボランティアは五十年間、何十万という台湾の弱者家庭に付き添ってきた。政府や民間の社会福祉ケアを受けて来たこれらの家庭のうち独居世帯はほんの一部であり、「弱者」とそうした背景の間には直接的な関係はない。
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●独居老人は健康を損ねるなどして困窮した生活に陥ることが多く、慈済ボランティアは長期的に見舞って、社会福祉方面で補っている。 |
どんな原因で独居になったにしろ、意図的にロマンチックに美化したり、恥ずべきことと決めつけてはならない。一人で生活するのも家庭を持つのと同様、様々な問題に対処しなければならない。一人暮らしで、とくに年輩者の場合、「孤独」と同義語である必然性はない。一人暮らしだからといって孤独に生きる必要はないのだ。
「独り」というのは美しい言葉だ。人は独りでこの世に来て、独りで去って行く。それは人間の客観的存在の本質である。ただ「孤独」という言葉には不足や欠落という意味が含まれており、主観的な負の情緒を表し、「不完全」と形容されてしまう。
日本の作家、藤田孝典は『下流老人』という本で、収入が極端に少なく、貯金もほとんどなく、頼れる親しい人もいない年配者は、老後崩壊の境遇に陥りやすいと書いている。もし老後貧しい生活をしたくなければ、金銭と人間関係の貯蓄をすべきで、後者が貧弱であると、金銭が不足している人よりもさらに下流老人になりやすい、と定義している。
人は皆、社会から孤立して独居するのは難しい。もし人と接するのが嫌いで、外出しなくなれば、その人は人里から離れた「繭籠もり族」となってしまう。
独居であるか否かにかかわらず、年配者がボランティア団体や宗教団体、地域学習クラスなどに参加すれば、生活の活力と情熱を刺激することができる。それは「もう一つの大家族の一員になる」のと同じことである。
慈済ボランティアの中には、高齢者や独居の年輩者で、健康が優れず、経済的にも余裕のない人が少なくない。しかし、定年退職して長かったり、一人暮らしをしてきた彼らが社会奉仕に参加することで、奉仕対象やボランティア団体の中で人間関係ができてくる。老後の生活に意義を見出したり、情熱を持つようになり、第二の人生を歩み出したに等しい。
彼らは傍目から見た「風前の灯火」という印象を、違った意味の「上流老人」に変えた。体を使った労働と奉仕できる機会を大切にし、「年寄りなりに役立つ」価値と社会を創り出している。
「高齢化」が社会問題を生むと言われる。だが、「老人が問題なのではなく、社会の観念が間違っているのです。心身共に健康なお年寄りが力を振り絞って奉仕すれば、それは負担ではなく、『社会に参加する』ことで社会の宝となるのです」と證厳法師は言っている。
(慈済月刊六〇七期より)
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