♦新北市・許聰敏
二○一五年六月、新北市汐止区の環境ボランティア、許聰敏さんを訪ねました。まず額の大きく凹んだ傷に目を見張りますが、それは昔「大酒飲み」と呼ばれていた時に酔った勢いでつくった傷だそうです。二十七年前の深夜一時頃、小雨の降りしきる中、彼はいつものように酔ったままバイクで帰宅する途中、トラックの後方の荷台に追突、頭蓋骨破裂の大けがを負ったのです。幸い命は助かり退院できましたが、以前の形には戻すことはできませんでした。しかしそれでもまだ教訓を得ず、依然として酒があれば飲む生活が続いていました。
今年六十五歳になる許さんは、父親が自分の飲み残した酒を彼に飲ませるような酒好きな人だったせいで、十歳の頃にはすでに飲酒、喫煙、ビンロウを覚えてしまいました。「私の一生のうちほとんどの時間は飲んでいただけだった。バイクや車の運転中も歩いている間も、意識は朦朧としていた。事故は二、三十回は起こしたかな」。こんな無茶苦茶な日々を送っていたという話を聞いても、とても信じられません。今の彼は分別があり、楽しそうに会話のできる人なのですから。どうやって五十年余りの長きにわたる飲酒生活から立ち直ったのでしょうか? すべては彼をリサイクルセンターに連れ出した奥様のおかげなのだそうです。
毎日リサイクルセンターへ通う
数年前、事業が下り坂になった聡敏さんは、気持ちもふさぎがちになり、さらに酒癖が追い打ちをかけて、家族は心配するばかりでした。なんとかして禁酒させる方法はないだろうかと周りの人が何を勧めても聞く耳をもたず、家族もあきらめかけていた時、奥様がたまりかねてこう言ったのです。「毎日何もしないでビンロウの店に入り浸るくらいなら、慈済のリサイクルセンターに行ってみましょうよ」。この一言が図らずも聡敏さんと環境保全とを結びつける縁になったのでした。
聡敏さんはリサイクルセンターでは金属部品の回収を受け持ち、種類と材質ごとに分類しています。元々車の解体をしていましたからこの仕事には熱心にとりくみ、やり方も分かっていましたから、回収物が多い時でも一つ一つ丁寧に、丹念に片付けました。山積みだった回収物をきれいに分類し終わった時、心の中で言葉にならないほどの喜びと達成感が生まれました。
聡敏さんは以前足を怪我し、歩くことが不自由でしたが、毎日バスで汐止のリサイクルセンターへ通っています。三階の自宅から階段を降り、バス停まで歩く、普通の人にはたった数分の距離ですが、彼には倍以上の時間がかかります。それでも通うことをやめません。たとえ土日であろうと、台風で雨が降ろうと、休むことはありません。「今はただリサイクルの作業ができるだけでとても満足なのです」と喜びに満ちた表情をたたえています。
再起の支え
以前の聡敏さんは短気で気が荒く、いつも大声でどなり、口汚く人をののしり、自分が人を傷つけていることにさえ気がついていませんでした。昔の話になると表情を曇らせます。「誰からも避けられていたし、自分でももう立ち直れないと思っていました。リサイクルセンターで仕事をさせてもらえるなんて夢のようだよ」。ここで作業をし始めてから「努力し、学ぶこと」を教えられたそうです。ほかのボランティアがいつも彼を見守り、導いてくれたのです。大声で話さなくても聞こえているから穏やかな話し方をするように、他人にも関心をもって縁を結ぶようにと、みんなが彼に向き合い、まるで杖のように心の再起を支え祝福し続けたのでした。まだ禁酒ができていなかった最初のひと月の間のこと、誤って転倒した聡敏さんは大腿骨に大けがを負ったのです。その時、魏麗蘭さんというボランティアが四つ足のついた杖を準備してくれました。治療の間はボランティアたちがいつも励ましてくれました。まるで一度に家族が増えたような温かさに包まれたのだそうです。そのことがあってから、彼は二度と酒を飲まない、これからの人生をリサイクルに打ち込もう、と心に決めたのでした。
みんなを家族のように思う
リサイクルセンターの人々は学歴が高いのでも専門家でもありません。隣に住んでいるお婆さんもいますし、雑貨屋のおばさんもいます。故郷にいるお年寄りと同じ普通の人たちなのです。ですが、その心は輝いています。自分の時間を環境保全の作業に使い、善の心を磨き、愛を以て人に接し縁を結んでいるのです。一生を酒浸りで朦朧としたまま垢にまみれて過ごしていた彼は、本来の自分に目覚めました。もう一度やり直す希望を見いだして訓練を受ける時、彼はみんなに言いました。「ビンロウもたばこも酒もやめました。それでもまだまだ改める所がたくさんあります。努力していきます」。今年認証を受けて慈誠隊員(男性ボランティア)となった彼に、改めて「初心忘れるべからず」と祝福したいと思います。これからもリサイクルセンターで精進してほしい、そして彼の人生に学ぶ人々が続くことを願っています。
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