慈濟傳播人文志業基金會
「飲む」から「味わう」 台湾茶世代

 

太古の昔、植物探しの名人神農氏が草むらから発見したという茶。

幾千年の間、のどの渇きを癒やすため、薬や嗜好品として、

修行のためなど、千差万別の役割を演じてきた。

茶は生活を豊かにし、心を清め輝かせる。

茶を飲めば、人と茶の対話が始まる。

 

そよ風が吹く。大きな鉄瓶の注ぎ口にはカラーのプラスチックカップ。心地よい休息の一時だ。大樹の下に静かにたたずみ、道行く人に笑顔で茶をふるまい、渇きを癒やしてもらう。美しい心と一緒に手渡された一杯の茶に善意が込められている。

台湾の茶の消費量は年間四万トンを超える。お茶はどのように飲まれているのだろう。そしてあなたはどこでお茶を飲んでいるだろうか。

 

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嘉義茶屋の茶と暮らしの美学

 

三月初め、豚小屋を改築した「眷茶屋」の桜が満開になる頃、太和村の人々は桜の下に茶席を設け、のんびりとおしゃべりを楽しんでいた。

太和村は阿里山北道(162甲線)に位置する茶の郷である。休日ともなれば観光バスに乗った中国大陸からの観光客がどっと押し寄せ、経済を潤している南道(台18線)に比べ、北道の村々はずっと静かだ。

二〇一三年初め、太和村は「家々に茶席、どこにでも茶屋」活動を立ち上げた。茶の郷の住民は昔の豚小屋や鹿小屋を独特の風情ある茶屋に改築した。子供からお年寄りまで、熱心に陶芸を学び、自分でろくろを回して茶壺(急須)や茶杯(茶碗)、茶盤などを作る。中には我が家の茶席をより芸術的にと家の裏庭に窯を造ってしまった人さえいる。

建築グループ「自分で積む」のメンバーには村人のほか、陶芸家の蔡江隆氏、李俊蘭氏、陳正哲教授もボランティアで参加している。茶屋は地元の建材だけを使い、牛おじいさんから地元の建築工法の指導を受け、またお金で人を雇うのではなく、伝統的な農作業の互助の形を活用して、近所に口頭で呼びかけ、暇がある人に手伝いに来てもらった。

「近所の人たちは暇な時にあっちを少し、こっちを少しという形で作業しました。急いで完成させることよりも、みんなが一緒に参加するというプロセスが重要なんです」。主要メンバーの一人の麗芳さんはこう言う。「大事なのは、やっていて楽しいということです」

また、七十年の歴史をもつ鹿寮茶屋は、昔、鹿茸を切り取っていた頃の木の窓や鹿の糞を積んでいた地下室を残すように設計された。米ぬかに石灰を加える伝統工法で塗られた土壁が、逆にモダンな美を生み出している。過去の産業遺跡は風流な村人の茶飲み場に様変わりし、今では農作業だけでなく、美が暮らしの中に溶け込んでいる。

茶が太和にもたらした変化は、収入だけではない。茶を通じて、人と自然が結びつき、魂も清められた。

太和村は二〇〇九年の台湾南部水害の被災地だ。被災後、多くの茶農家が茶への向き合い方を変えた。簡嘉文さんは従来の栽培方法をやめ、茶を友人と見なし、天地を敬愛する気持ちで、黙々と自然栽培種に植え替えた。

「自然の生命力に寄り添い土地を壊さないお茶であれば、それはいいお茶です」と話す簡さんの土地を大切にする心に敬服するのはもちろん、自力で茶屋まで立ててしまった才能には心底感服させられる。廃棄された木材や鉄、拾ってきた石や古物でできた小さな木造家屋は茶畑に沿って建てられ、室内には日本式の茶炉、石積みの窯、手書きの絵、木彫、美しいデザインの照明が置かれており、限りなく創意工夫が凝らされている。しかしながら、簡さんはいつでもこう謙遜する。「誰でもできますよ。レゴやジグソーパズルで遊んだことがあるでしょう。原理は似たようなものですから」何もほしがらず、それでいて暮らしには潤いがある。簡さんは口数こそ少ないが、一言一言に深みがある。茶の話をする時、中にはひけらかすような話し方をする人もいるが、簡さんの話には全く誇張がない。彼は心の内に向き合っている。だからこそ暮らしの中にこんなにも多くの妙味を生み出すことができるのだろう。

嘉義の太和茶屋で簡嘉文一家が週末を楽しむ(下図)。自由で奇抜なデザインの太和茶屋は、友人から「ハウルの動く城」と呼ばれている(左図)。
 

 

都会のオアシスを探して

 

茶を飲む場所は、心が安らぐ場所でもある。

移民の歴史であった台湾社会では、茶文化にも多様な文化が影響を与えている。中国沿岸から伝わった潮汕工夫茶や江南文人茶の風雅に加え、中国大陸から大勢の軍人・民間人が台湾に撤退してきたことで、島にはさまざまな茶文化が共存し蓄積されるようになった。島内経済が発展すると、コンテスト茶、高山茶など台湾の茶業も隆盛となり、それに従って茶芸も流行し、茶文化は百花繚乱の様相を呈した。

そびえ立つ高層ビルに挟まれた茶館「無為草堂」の主人である凃英民さんが二十六年前に開業した当時、付近は田んぼや泥道だった。それが今では高層ビルが建ち並ぶ。朝、目が覚めると、まず自分のために茶を入れる。茶を愛し、芸術をたしなむ彼は、地価の高い中心街で茶館を経営することにこだわっている。それは、この弱肉強食のコンクリートジャングルの中でストレスにさらされている現代人にとって、静かに一息つける空間になってほしいとの思いからだ。

伝統的茶館の衰退は、台湾茶の没落を象徴しているのだろうか。「冶堂」の主人何健さんの見方は違う。「台湾の伝統的茶館は十年の最盛期があり、その後、スペース確保の難しさと人材の敷居の高さから次第に没落していきました。しかし消失したように見えて、実は反対に広がりを見せているのです。お茶を取り入れることで暮らしに潤いを与えたいと、お茶を学ぶ人は増えてきています。確かに茶館でお茶を飲むのは流行しなくなりましたが、家に喫茶スペースを設ける人はだんだん増えています。茶芸は家庭に入り、毎日の暮らしに根付いているのです」

繁華街にある無為草堂は300坪余りの庭園があり、フランスミシュラン観光ガイドでも推薦されている。(撮影/楊子磊) 

時代とともに歩む若い茶世代

 

Tea or coffee?これは現代人の多様な選択肢の一つだ。次の世代の子供たちも、茶を飲み続けるだろうか。飲むとしたらどんな茶なのか。

一九八三年に最初のバブルティーが売り出された。劉漢介は台湾の冷茶業の先駆者である。しかし彼は「お茶に氷を入れるのは私の発明ではありません。宋の蘇軾の孫蘇籕は、当時地底の氷室に氷を蓄え、暑い夏には冷茶をつくる習慣があったことを歴史書に記しています」新世紀、冷茶は明らかに現代人の支持を得た。台湾を見渡せば、十坪余りの冷茶スタンドが街の至る所に建っている。主計総処の資料によると二〇一五年現在、台湾にある冷茶スタンドは一万七千五百店以上。市場規模は年間で約八百億元だ。台湾では年間十億杯以上、一人あたりにすると約四十四杯の茶がこのような店で買われ、飲まれている。

三十歳で「京盛宇」を開業した林昱丞さんは、台湾の若い茶世代だ。創立当初「茶のスターバックス」になると豪語した林さんは、六年後の今も品質を守るため伝統の紫砂壺を使って手で台湾茶を入れ、百元前後で売る。安いドリンクスタンドが山ほどある台湾で、自分のニッチな市場を見つけたようだ。

大学の時に授業をサボって出かけ、目の覚めるような素晴らしい台湾茶を味わってから、彼は心底台湾茶に惚れ込んでしまった。「茶は気持ちを落ち着かせ、人と人との距離を縮め、貴重な語らいの時間を生み出してくれます」日本流のミニマリストである彼は、お茶を好む理由もこのようにシンプルだ。

若者は茶よりもコーヒーを飲むのが当たり前という時代にあえて台湾茶を広めようとする彼は、自分の行為は「アフリカで靴を売る」ようなものだと言って笑う。自分の茶探しの経験から、彼は今日の茶芸の敷居の高さ、決まり事の多さ、費用の高さが、人々を尻込みさせているということを身にしみて知っている。製茶の専門用語が非常に多いことも、若者を茶から遠ざけており、まるで焙煎が何分目であるか分からなければ、その茶を飲んではいけないかのようだ。しかし、茶を飲むのはシンプルなこと、知識のプレッシャーがあってはならない。さもなければ若者は怖じ気づいて台湾茶の文化から離れてしまうだろう。彼はこんな風に考えている。

金華街上の「Chiao茶沙龍」の現代的でもあり古典的でもある空間に、人は目を輝かせる。利発そうな陳薇巧さんは、年齢は若いが茶歴は長い。茶は彼女の生活にとって重要なことだ。フランスではお酒をたしなむことはおしゃれなのに、なぜ中国で茶を入れ、茶を味わうことは年寄りしかしないことなのだろう。彼女はこんな疑問を持っていた。ティーサロンの設立コンセプトは、若者に茶というもう一つの選択肢を提供することだ。茶を若返らせようというのではなく、違った方法で茶を表現する。彼女は、茶は昔と同じである必要はなく、若者の活力を注げば現代文化にもなると考えている。

残念なのは、台湾の若者にはお茶を手軽に飲める環境が整っており、さまざまな茶文化に触れる機会があるにも関わらず、西洋や日本、韓国ばかり追いかけて、伝統文化についてはよく知らず、大切にもせず、外国人に台湾茶をどう紹介したらよいのかも分からないことだ。そのため、ティーサロンは文化に根ざしたものにしたいと考え、お茶教室を開催して茶の普及や共有につとめている。学びに来るのは三十歳前後の若者だ。ある人は商談の時、お茶の方が酒よりも話がうまくいくため、仕事のつきあいで必要だという理由で参加している。将来開く店のメニューに茶を取り入れたいと学びに来る菓子職人もいれば、今流行の家庭内喫茶スペースに対応するために学びに来るインテリアデザイナーもいる。「伝統茶は『大山にぶち当たった』感じがする!」、ある学生の言葉は正鵠を射ている。畏敬の念があるだけで、そこから中には進めないということだ。

茶器製作から茶館経営に転身した「陶工房」創設者の林栄国さんも、伝統茶に対する固定観念を打破したいと、茶のある暮らしを今の若者の言葉で語っている。麗水街の不二堂は「コミュニティ・ティーハウス」の概念で、「混茶」遊びを勧めている。茶と茶だけでなく、酒や花、フレーバーを茶に混ぜて、自分の好みのオリジナルティーを作れる。「楽しみ方にたった一つの基準しかないのはおかしいと思います。元の味をコピーしろというのはある種のプレッシャーです。ここでは、自分の好きな味を探すことで、茶を通して自分自身と対話してほしいと思っているんです」彼は新世代の茶文化には無限の可能性があると考えている。

「手軽な茶」は若い世代の新しい選択肢である。「冶堂」の主人何健さんもそれは認める。しかし彼は色を正してこう話す。「茶には本当の味があるということは忘れないでほしい。手軽でもいいが、粗末ではいけない。気軽でもいいが、適当ではいけない」

「水で心を澄ませば、茶は法を体現する」。茶はもともと内面の修行である。茶道であれ、茶芸であれ、あるいは茶禅であれ、背景にある文化思想こそが茶を機能(飲料)から脱皮させる要素となっている。そうでなければ、茶である必要はなく、別の飲み物でもいいのである。

一九四九年に開店した双全紅茶は、台南最初のテイクアウトティースタンドだ。
京盛宇は紫砂壺で入れたテイクアウト茶に、伝統の茶と現代生活の間の均衡点を見出そうとしている。(撮影/楊子磊)
 

 

茶文化の種

 

「いらっしゃいませ!」それまで運動場を駆け回っていた小学生たちは、来客を目にするとすぐに立ち止まり、丁寧にお辞儀をして恥ずかしそうに挨拶した。この日、太和小学校では週一回の茶芸教室がにぎやかに開かれていた。辺鄙な梅山郷山区に位置するこの小学校の全校児童はたった三十七名。児童数が足りず合併の危機に直面したこともある。九割以上が茶関連の仕事に従事する梅山郷では、保護者のほとんどが茶農家か製茶業に従事している。茶に育てられた子供たちは、茶に対して特別な感情を持っている。

知育偏重の風潮の中で、茶芸文化をカリキュラムに取り入れるのは容易ではなかったが、始めてみると子供たちには目に見えて変化があった。二人の男の子を育てる陳さんはこう言う。「山の子供は言うことを聞かず、じっとさせるのが難しかったんですが、お茶を学んでからは落ち着きが出て、ずいぶんおとなしくなりました」創意あふれる茶席に小さな茶人が姿勢を正して座り、作法通りにお茶を入れ、うやうやしく勧める。周沛玲校長はこの三年の間に奮起湖、沼平駅、故宮南院でも茶芸を披露させた。山の子供たちが外国からの観光客の前で披露するのは、茶を入れる過程だけでなく、彼らの自信でもあるのだ。

茶を正式なカリキュラムに取り入れている学校には他に慈済大学がある。授業を担当するのは茶芸のベテランの李六秀先生。幼少から茶の一家に育った李先生は、父親からしつけ代わりに茶芸を教わり、知的で気品ある穏やかな女性に育った。李先生は授業中、物腰柔らかな口調でこう話した。「茶とは心を浄化する法門です。慈済では茶芸ではなく茶道と呼びます。静思茶道の背景には一つの思想体系があります。心で茶を飲み、心を伝えるのです」静思茶道は作法の中に仏法の六波羅蜜、すなわち「布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧」を融合し、作法を日常に実践し、人と人との融和と美を実現している。

教育は人類の希望プロジェクトだ。静思茶道は茶の美学と品格で無言の説法をする。「茶の水で法水を汲み、茶会で社会を和やかにする」。清浄な心は物事の源泉である。(撮影/支炳勝)
 

ふるまい茶

茶の初心に返る

 

「ご飯食べた?」「お茶でもいかが?」。これは台湾人の標準的なあいさつだ。イギリス人が顔を合わせたら「天気」から話が始まるのと同様である。一杯の茶を通じて、台湾人の人情味の「糸口」もゆっくりと引き出されてくる。

海抜三百五十六メートルの柴山は高雄人の奥庭である。三百ヘクタール余りの開けた後背地を、毎日千人もの市民が朝晩散策に訪れる。自然発生的な「ふるまい茶(奉茶)」がこの郊外の小山における最も美しいふれあいの風景となっている。三カ所のふるまい茶スポットには、ほぼ二十四時間温かいお茶が用意されている。山を登って汗だくになった後に飲む茶は、まるで甘泉のように喉と心を潤す。

ふるまい茶の起源は昔の民間のお礼参りの風習である。現在では一日百桶もの水が、茶を入れるため山上に担ぎ上げられる。それが毎日のことなのだ。ボランティアにとってはこの善行がすでに日課となっていて、多くのボランティアが「たいしたことではありません」と話す。地球市民基金会ボランティアの柯耀源さんは、「これが台湾人の愛すべきところです。ふるまい茶の文化は台湾独特の人情文化なんです」と話す。

高雄柴山のふるまい茶の伝統は1992年から現在まで続いている。台湾で最も美しい文化風景であり、台湾ならではの人情味を一杯の茶から実感できる。
 

今日の台湾では、一人当たりの年間の茶の消費量が二キログラム近くに上る(一・八キログラム)。これはイギリス(一・九キログラム)に次ぐ量で、日本(一キログラム)や中国大陸(〇・八キログラム)を上回る。つまり、台湾は茶の消費大国と言っても過言ではない。台湾の喫茶の歴史をさかのぼれば、初期の茶は完全に外貨獲得のための商品であり、平民の多くは茶を買うことはできなかった。台湾茶の輸出が衰え、内需の拡大へと転換したことで、台湾人が徐々に製茶に長け、茶を知り、茶を飲み、茶を発展させるようになったのである。

茶は社会を如実に反映している。茶を飲むことは何気ない日常であり、同時に美しい生活芸術の創造でもある。暮らしに感謝して茶を飲み、茶の初心に返ろう。心のあるところに、茶もまたあるのだ。

(経典雑誌215期より)

浄斯茶書院で若い学生が静かに茶芸を習う。茶を学ぶことは心を修めること、それにより感覚も研ぎ澄まされる。人文の奥底を体得し、茶の静かで平和な境地に至る。
 
 
 
NO.235