慈濟傳播人文志業基金會
養生は発病前から始め 発病後もケアを続ける
極初期の認知症患者は、年のせいではなく、病気であることを認識し、積極的に治療を受ければ、病気の進行を遅らせることができる。
医療関係ボランティアで構成されている「慈済人医会」は地域社会をケアの拠点とし、早期発見を呼びかけている。そこでは「記憶養生クラス」を開設して、お年寄りたちの社交人生を活発にし、心身を鍛えることで彼らの明日の記憶を守っている。
 
高雄記憶養生クラスでボランティアと家族がお年寄りたちに付き添ってワラビを植えた。緑一色の中、植物が温かさをもたらした。
(攝影・張晶玫)
 

 

二〇一四年のアメリカ映画「アリスのままで」は、コロンビア大学心理学教授で言語学者でもあるアリス・ハワードさんの人生を描いた物語である。彼女が五十歳の時、早期発病型アルツハイマー病と診断され、次第に記憶を失っていった。アリスを演じたジュリアン・ムーアさんは精魂込めた演技でアカデミー主演女優賞を獲得した。その時の拍手の音は時と共に遠い記憶となったが、認知症という事実は高齢化社会が抱える直視しなければならない難題である。

衛生福利部が認知症協会に委託して行った認知症に関する調査と内政部二〇一三年末の人口統計を合わせて推測すると、台湾には百人に一人の割合で認知症患者が存在していることになる。

認知症は認知障害症の一種で、大脳皮質神経細胞が徐々に衰え、死滅していくことで認知に問題が起き、やがては患者の生理機能にも影響を及ぼしていく。患者は空間、時間に対する感覚を失い、何度も同じ動作を繰り返しているうちに昼と夜が逆になり、最終的には自立した生活を送れなくなってしまう。

多くの患者とその家族は初め、「歳だから忘れっぽくなっただけで、普通のことなのだ」と思う。患者の物忘れがひどくなって、日常生活に支障をきたすようになって初めて事の重大さに気づくのだ。患者の世話をする家族は、一日二十四時間、長期的に息をつく暇もない状況に陥る。「認知症」が生活に巨大な陰を落とす中、認知症患者は往々にして見過ごされがちな「存在しない病人」になってしまう。

 

軽度の認知障害者を求めて

 

今はまだ認知症の特効薬はないが、早期発見と積極的なケアで進行の度合いを遅らせることはできる。

認知症は軽度認知障害、軽度認知症、中度認知症、重度認知症と分けることができる。増え続ける研究報告によると、毎年十%から十五%の軽度認知障害者がわずか数年の内に認知症へと進行している。彼らは軽度認知症になる危険性の高いグループである。そして、彼らには同じような特徴が見られる。一、自分は認知症ではない。二、正常な日常生活を送っている。三、積極的に医者には行かない。彼らが認知症になるのを食い止める必要がある。

二〇一二年、大林慈済病院に認知症センターが設立された。その翌年、医療チームは地域で、お年寄りたちの極初期認知症検査記録(ADー8)を作成し、早期の患者を発見すると共に治療したり付き添うことで、根源から彼らの明日の記憶を守ることに力を入れている。

雲林、嘉義地域をケアするだけでなく、大林慈済病院は高雄、屏東の慈済人医会ボランティアと共に、二〇一四年から各地域の慈済リサイクルセンターで高齢ボランティアに記憶力の測定を行っている。

大林慈済病院臨床心理センターの許秋田主任は、「認知症の病理メカニズムとその医療に関して、『事前に見つける』方向で行動すべきであり、『患者を待つ』受け身体制ではいけません」と言った。予防と進行の遅延という両面から、検査と早期発見によって治療を行うと同時に、様々な社会参与と体力に見合った機能を鍛える活動で認知症の進行を遅らせるよう取り組んでいる。。「例えば、元来は六十五歳で発病する場合でも、このような支援によって七十五歳まで進行を遅らせたり、八十五歳で初めて発病することも可能なのです。これによって家庭や社会の負担を大きく軽減することができるわけです」

大林慈済病院認知症センターの曹汶龍主任は、積極的に地域資源及び慈済ボランティアとつながって、嘉義県の多くの町に「記憶養生クラス」を開設し、早期認知症高齢者ケアの地域モデルを確立した。

高雄慈済人医会も早期認知症ケアに力を注ぎ、二〇一三年からケアボランティアの養成を始め、地域での検査や異常と認められた人の医療への橋渡し、在宅患者の訪問などを行っている。また、地域にケアの拠点を設立する手伝いや各種クラスを設けてお年寄りの社交生活を活発化し、体力、能力、精神面での適応能力を鍛えている。

今年、高雄人医会は楠梓區と高雄靜思堂で記憶力促進クラスと記憶養生クラスを開設し、大林慈済病院と高雄長庚紀念病院、中正大学体育部が共同で地域のお年寄りの記憶を保つと共に健康を守っている。

高屏区慈済人医会は高雄静思堂リサイクルセンターで健康ケア活動を催し、看護師たちがお年寄りたちの認知症検査を行った。(撮影・上の写真/林志明・下/許振峯)
 

家族全員が生活と心構えを変える

 

高雄静思堂記憶養生クラスは今年三月に開設したが、四月末までに九回開かれた。四月八日に初めて野外活動を行い、平均年齢七十歳を超えた十人のお年寄りが慈済人医会ボランティアの付き添いの下、郊外の鳥松リサイクル教育センターで太鼓を鳴らす経験をした。センターのボランティアは前もって甘酸っぱいパイナップル汁粉と香り豊かなエリンギダケの炒め物を用意して待っていた。普段はビニール袋の分類に使っているコンクリート敷きの広場に十個の太鼓が置かれてあった。

お年寄りたちは恐る恐る太鼓の前に輪になって座り、少し強ばった手でバチを持ったが、どうしていいか分らなかった。突然「トン、トン、トン」と七十九歳の曾添福が太鼓を鳴らし始め、「小さい頃、廟の祭りで叩いていたのさ」と得意げに言った。横から止めるのが間に合わなかった友人の許瑋芸が笑い出し、曾添福の予想外の行動で楽しい時間が幕開けした。

「さあ、バチを高く上げて、私の後について言ってください。『一頭の象さん』。続いて力強く叩いてください。トン!」。まだ若い許家禎が先生になって皆で遅いテンポから早いものまで練習した。太鼓を鳴らすのはこのお年寄りたちにとって初めての経験であり、拍子がはずれるのは仕方ないことである。他人と違った間合いで叩いてしまった時は、間違ったことをした小学生のようにバツが悪そうな笑顔を見せた。しかし、周りを取り囲んでいたボランティアは惜しみない拍手を送った。

中度の認知症を患った邱お爺さんは妻と息子、娘の付き添いの下、太鼓クラスに参加した。お爺さんは真面目な顔つきで先生の号令に従って口で拍子を数えていたが、手に持っていたバチは空中に止まったままで、打つのを忘れていた。息子の邱芳傑がこっそりと父親の後ろに廻って腰を屈めて抱きつくようにし、両手で父親の手を持って太鼓を打った。お年寄りは息子の手を借りて元気に太鼓を鳴らすと共に、拍子を一層はっきりと数え出した。息子に抱かれた老いた父親は始終、無邪気な笑顔を浮かべていた。慈済が和やかな環境を作り、父親がいとも簡単に仲間に入れたから、こんなにも泰然と自在な心でいられるのだと邱芳傑は思った。

いつのことだったか、子供の目には「スーパーヒーロー」と映った父親が子供たちの手を借りるなければならなくなった時、邱芳傑は釈然としなかったことがある。父親が病気になってからは自分の気持ちを調整する必要が出てきた。幸いにも家族は短期間に心を整理し、お年寄りに合った生活をするようになった。彼が中心的存在になり、「どうして言うことを聞かないの?」という考え方を捨てた。「父が認知症になっていなければ、恐らくこれほど親密に接する機会はなかったでしょう。自分の父親です。父に何かしてあげられて感じるのは喜びと感謝しかありません」と邱芳傑が言った。

高屏区慈済人医会は地域ケア拠点で民衆に健診サービスを行った。ボランティアは55歳以上のお年寄りたちが「ADー8極早期認知症検査表」を書く手伝いをした。(攝影・黄瓊慧)
 

明日のことは誰にも分らない

 

もう一人、脳卒中に罹って十二年になるお爺さんは車椅子に座り、話すこと、左手、左脚、左耳の機能を失った。太鼓の前に座っても無表情で、他の人とも接触したがらない。しかし、横にいたボランティアの穏やかで絶え間ない励ましによって、やっと右手で二本のバチを持ち上げ、叩く真似をした。「お爺さん、バチは右手に一本、左手に一本持つんですよ!」。何お爺さんが文句を言う前に、彼の両側にいた二人のボランティアが彼の手を持って太鼓を鳴らし始めた。お爺さんはその動作につられ、思い切って「イーイーアーアー」と拍子を取りながら太鼓を鳴らすようになった。

曾添福と邱お爺さん、何お爺さんの後ろにはそれぞれ一緒に人生を乗り越えて来た妻たちが座っていた。夫たちは老いたが、彼女たちも老いた。夫たちが発病してから、彼女たちは誰を恨むことなく世話してきたが、心身共に憔悴している。しかし、鳥松リサイクル教育センターでは、いつも夫の後ろにいたこの女性たちはこの時ばかりは一時的に夫の病から解放され、太鼓棒を持って自分たちも喜びに浸りながら太鼓を打ち鳴らした。

一緒に同行した慈済人医会の葉添浩医師は、リサイクルセンターが珍しく活気に満ちていたのを見て、「太鼓は細胞を生き生きとさせ、気持ちを奮い立たせてくれます。お年寄りたちの笑顔を見るのが最高の楽しみです」と嬉しそうに言った。一人ひとりの顔が午後の太陽に照らされ、輝いていた。

認知症患者の記憶は美しい蝶の儚い命に似て、いつかは消えてしまう。しかし、一概にそれが悲しいことだとは言えない。この世での毎日をしっかりと生きてさえいけば、蝶のように美しく充実した生命の旅を送れるだろう。

高雄の「記憶養生クラス」は3月5日から4月30日まで9回行われ、気功やツボマッサージ、太鼓、数珠通し、園芸などを通して、お年寄りたちの認知機能を強化した。(攝影・張晶玫)
 

 

大林慈済病院認知症センター

隣近所のお年寄りをケアする

 

◎文‧劉秋滿(大林慈済病院認知症センター患者個別指導担当医師/訳・済運

 

台湾はすでに高齢化社会である。嘉義大林慈済病院が世話できる雲嘉地区でも年々高齢化が進んでいる。何年も前、大林慈済病院神経内科の曹汶龍主任はお年寄りの認知問題と老化現象に気づき、認知症患者の世話をする専門の部門と外来を設立すべきだと考えた。それが起点となって、大林慈済病院は二〇一二年九月に認知症センターを開設した。

当時は外来だけだったが、次第に認知症患者に対する世話が家族にとって重荷になっていることに気づいた。そこで、病院で家族との座談会を設け、協力を申し出た。このような縁で、医療チームは家庭訪問を通して、認知症患者を世話する家族が求めているニーズと必要としている資源の範囲や量をより深く理解することができた。私たちもその過程で家族が世話してきた経験とその方法を学び、それを同じような境遇の家庭に提供している。

認知症を患う人口が増えるにつれ、ケアする範囲と地域が日増しに広がって行った。二〇一三年、認知症センターの曹汶龍主任は衛生福利部の「長期的資源が不足している遠隔地の認知症患者に対するケア計画」を受け入れ、嘉義県渓口郷游東村公民館に拠点を置いた。

私たちはこのような地域サービス拠点は早期の認知症患者にとって効果があることに気づいた。住まいの近くにある音楽や運動、歌、料理や手芸などの活動に参加すると、情緒指数やいらだち指数が改善された。そして、認知障害の進行が安定し、急速な悪化は認められなくなった。これも私たちが地域に力を入れる重要な後押しになった。

私たちは地域と結合する方法を模索し始め、数多くの専門家にも意見を聞いた。その結果、各地の慈済支部と地域の村長たちと共同で行う方法に辿り着き、地域での検査や家庭訪問を始めるようになり、少しずつ地域ケアの拠点を増やしてきた。

目下、認知症センターの地域拠点は雲嘉地方から高雄まで八つあり。地域のお年寄りのニーズがあれば、将来、もっと多くの拠点を設けるつもりだと曹汶龍主任は言う。

 

 
NO.235