認知症患者や家族は日々、失望感が深まると共にストレスが倍増していく。
彼らは助け以上に励ましの声を望んでいる。
主婦の許瑋芸はいつも家の中を塵一つなく、窓も曇りがないほどに清潔を保っている。テラスの植木鉢の植物は葉が全て油を塗ったように光り、棚には彼女と夫の曾添福の慈済に帰依した証書が整然と並べられている。今日の応接間にはピーナッツとビスケットの皿と正方形に切られたバナナとリンゴが盛られた大皿が置かれ、台所ではごぼう茶が温められていた。
「故郷から出て来た人が訪ねて来るのかね?」と曾添福はそれらを見ながら、ゆっくりと台所に行き、妻に聞いた。もう何度も同じ質問をしていたので、彼女はそれに答えなかった。彼は「慈済人医会の葉添浩医師と慈済の師兄や師姐たちが来るのよ」と妻が答えても、その一分後には忘れてしまうのだ。
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リサイクルセンターで「家電医師」と呼ばれているボランティアの曾添福は、慈済人医会のボランティアが訪ねて来るのをとても喜んだ。
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専門スタッフが訪問してアドバイス
もうすぐ八十歳になる曾添福は四年余り前に認知症を発症した。ここ数年は薬で記憶力の低下を抑えており、病状は安定しているように見えるが、側で世話している家族にしか知らないことがある。それはお年寄りの記憶が少しずつ失われ、取り戻すことができないということ。
許瑋芸は夫の行動が全く気にならないまでには寛大になれない。「どうして一分前に言ったばかりのことを忘れてしまうの?」とか「どうしていつも昔のことを繰り返すの?」と言ってしまう。夫が病気であることは分かっているが、何事も徹底して追い求める彼女は、いつも気が急いて腹が立つが、どうにもならないため、ストレスが頂点に達してしまう。それ故、葉添浩医師たち一行の家庭訪問を心待ちにしていた。
高雄地区慈済人医会は九回、「記憶養生クラス」を開設し、頭と体を使った活動と社交活動によって、認知症のお年寄りの記憶力低下を遅らせようとしているが、もう一つの目的は患者の世話をしている家族に寄り添うことである。「患者よりも家族の方が大変なのです」と葉添浩医師は常にそう思っている。それ故に、人医会は医師、看護師、ボランティアで構成されたチームが記憶養生クラスに参加している全ての人の家庭訪問を計画をした。その一軒目が曾添福である。
「葉先生、主人が飲んでいる薬を見てくれますか?」。葉添浩医師たちが応接間に通され、座って間もなく、許瑋芸は間を置かず聞いた。葉添浩はそれを仔細に見てから説明した。「これはB12で、神経を修復する薬です」「こっちはアルツハイマー症に対処する薬で、摂取量が多過ぎると、嘔吐などの副作用が出やすくなります」。葉添浩医師の説明を聞いて、許瑋芸は「本当です。主人が薬を飲んだことを忘れてまた飲んでしまったことがあり、その後ひどく吐きました。私と息子はびっくりしました」と言った。
葉添浩は携帯電話で薬の表示を全て写真に撮った。そして、「家庭訪問することで認知症の進行過程をより深く理解することができます。慈済チームのケアはそうやって全方位的になるのです」と言った。
賞賛と激励で
深い記憶を掘り起こす
「添福師兄、今日は何曜日か分りますか?」と看護師の黄寶燕が試しに聞いてみた。曾添福は長い間考えていたが、結局、あきらめたように首を振った。
「夫はこういう調子です。しばらく前、旧正月の時も、過ぎたばかりなのに、お年玉をあげると言い出して騒ぎました」。許瑋芸は我慢できず、いらだった生活の一部始終を思い出した。慈済ボランティアの陳美月は許瑋芸の気持ちを察して手を握った。「 添福師兄、あなたの側に座っている人は何と言う名前?」と黄寶燕がリサイクルセンターでいつも彼に付き添っている蔡迺榮師兄を指差して聞いた。曾添福はじっと彼を見てから、ゆっくりと「蔡…蔡師兄。知っているよ」と答えた。
曾添福の答えは再び皆に希望を与えた。時間の感覚がなくなり、現実が分らなくなったとしても、彼の最も好きなリサイクルセンターと回収された扇風機の修理に関することは彼の頭にはっきりと刻まれているのだ。
薬剤師の陳紅燕は許瑋芸に、何か家事をさせて思考させたり動き回った方が、何でもしてあげるよりいいのでは、と提案した。「夫にはできないと思うし、きれいに茶碗を洗えないのが心配です」と許瑋芸は慌てて言い訳をした。それまでは黙って皆の話を聞いていた曾添福は、くるりと体の向きを変えて妻の額を軽く叩いた。そして、「お前は私の悪口ばかり言う」と言ったのだ。
皆、一瞬呆気に取られたが、すぐに彼のこの仕草に笑い出した。認知症を患ったこのお年寄りは何も分らないのではなく、励ましや称賛さえあれば、自分自身に対して自信を失って益々、自分の殻に閉じこもることはないのだ。「『維持は即ち、進歩』であり、もっと楽観的になるべきです」と葉添浩が言った。
「元々、彼は穏やかな性格で全然怒りません」。許瑋芸は人生を共に歩んで来た伴侶を見ながら、語気の中に愛おしさを滲ませて言った。たとえ夫が二週間前の「記憶養生クラス」で粘土でイチゴと唐辛子を作ったことを忘れてしまっても、許瑋芸は彼の作品を大事にガラスケースの中にしまっているだろう。これからの歳月の中で、彼がもっと多くのことを忘れるようになっても、いつまでも家族にとってかけがえのないメンバーなのだ。
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曾添福は妻の世話に感謝してお菓子を差し出すと、妻の許瑋芸も思わず笑顔に。 |
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