生命の共同体として
一切の衆生をも愛する
人の苦を見て自分も苦しみ
人の喜びに自分も喜ぶ
人を愛するだけでなく
すべての命を護り
尊重して愛おしむこと
今年の国際慈済医会の年会は、十月三日から六日にかけて行われ、二十カ国・地域の慈済ボランティアが遠方から帰って来て花蓮に集いました。四百人の会員は異なる地域からきていますが、共同の理念を持って、各々が自分の国や居住地で人々の命を護り、愛を以て人々が健康であるよう護っています。
フィリピン慈済人医会のメンバーは、施療を実施してから二十二年になり、延べ四十万人が恩恵を受けています。白内障、腫瘍に限らず手術の必要があればただちに行って、患者の苦しみを取り除いています。
台湾からはるか地球の反対側にあるブラジルでは、少ない人医会のメンバーが、延べ十七万人の患者を治療したそうです。まことに感動しました。自分の能力を軽く見たり、わずかな力と軽視したりするのはよくありません。
年会の課程は科学、哲学、生理学、生命学にまたがり、講演者は体得したすべてを披露していました。また、各地の人医会メンバーが見たこの世の苦しみの話は、相互の励ましになっていました。ある若い医師は、この度帰ってきて年会に参加して、医療のアイディアだけでなく、さらに視界が開け、「人」としての医師について学ぶことができたと喜んでいました。
ある医師は、普通なら患者が病院へきますが、ホームケアの施療は険しい道を辿って、やっと患者の家に着きます。そこで見るのは病の苦しみだけでなく、生きていくのでさえ容易でない人、貧困や交通が不便で出てこられず、医者に診てもらえない人たちでした。たとえ診てもらうことができても、お金がなかったり、世話する人がいなかったりという状況です。
医療スタッフはこの状況を見て、感じるところがありました。ここへ来たのは無駄ではなかった、患者を診察しただけでなく、この世の多くの苦難を見て、自分の幸せに感謝し、さらに奉仕をしなければと思いを新たにしました。
毎年の中秋節には、世界中から慈済人医会のメンバーが集まります。今年の月は姿を現してくれませんが、皆の心の月はまん丸でした。名月は空中に隠れていても、この世で法を実践するために集まった人々は、法悦に満ちています。菩薩の抜苦与楽とは、衆生が快楽なら菩薩も快楽ということです。「人の楽に自分も楽あり、人の苦に自分も苦しむ」、「貴方の幸せに私は喜び、貴方の苦難に、私は忍びない」。この大生命共同体の連帯感を、皆さんは体得しているはずです。
天地の間で生息する生命の共同体は、自愛だけでなく、その愛は一切衆生に及びます。ただ人を愛するだけでなく、さらにすべての生命を庇護し、労り、尊重しなければなりません。
「無縁大慈、同体大慈」とは、無論相手と自分に何の関わりがなくても、他人が病苦を受けていることを捨てがたく思い、どんなに山深く辺鄙な所であっても肉体の疲労も甘んじて受け、精進するということです。診察が終わって、相手の心が安らぎ喜んだ時、自分も軽安自在になるのです。
この度、あなたは彼の病痛を取り除きました。その次は、彼の心身と生活が安らかになるように整え、そしていつまでも付き添うのが人間菩薩です。生活面だけでなく、衆生と温かく付き合い、真心をもった無私の愛が「覚有情」ということです。
時代は変遷しても医道は不変
病人を親のように見なし
病を師とする
フィリピンのボホール島に住む二十一歳のレージェンは、幼い時から原因不明の病に侵され、ひどい脊髄側湾曲によって心肺を圧迫されていました。彼女は父母と離れて祖母と暮らしており、貧しく病院に行くことができないのは天命だと思っていました。
二○一三年十月、ボホール島にマグニチュード七・二の強震が発生して、甚大な災害を引き起こしました。フィリピンの慈済人はただちに被災地へ駆けつけ、被災者に寄り添い慰め、救済や支援建築までもしていました。救難救助活動が終わった今でも、この縁は続いています。
ボホール島の面積は台湾の十分の一に相当し、村に住んでいる人たちの大部分は貧困者で、病気になっても医者に診てもらう経済力はありません。慈済人は施療を行う以外に、度々珍しい病気の患者をマニラの病院に送って治療しています。しかし、レージェンの脊髄は百四十度近くも曲がっており、状況も複雑なため、台北慈済病院で治療することになりました。
八月下旬にレージェンは、フィリピン慈済人の許惟楽に付き添われて、台湾の台北慈済病院に入院しました。そして整形外科の曽効祖医師によって、二段階の骨矯正手術を受けた後、八十五度の湾曲度から六十度に改善されたので心肺機能への圧迫が減少しました。体力が回復した二年後に再手術をすることになっています。
この子が天命だとあきらめていたことは、哀れでした。しかし勇敢で忍耐強い彼女は、今では真っ直ぐに立てたことが嬉しく、希望が湧いてきました。
許怡楽は十月再び台湾へ来て、レージェンをボホール島へ連れて帰りました。ボランティアたちは自分の子のように労り、見守っていました。各科の医療スタッフが治療の過程で見返りを求めない細心の世話をしていたこと、そして事ある毎に感謝の気持ちを抱いて、病人の治療をしていた自分もまた進歩したと思っていました。
医者には医者の道徳、師には師としての道徳があります。時代が変わっても、医療と教育は現在の生活に適応しなければなりません。ただし基礎の方向を変えるのではなく、原則は守らなければなりません。
生老病死は自然の法則ですが、この過程において誰も自分の生命の長短を図り知ることはできません。しかし、生命の価値を開拓することはできます。「病を診る時は親のように」、「病を以て師と為す」、「医道おいては」精進、即ち生命の深さと寛さを開拓することです。
群衆の中を道場と見なして、衆生の苦難を取り除き、人生の無常を明白に、さらに去りゆく時を大切にしなければなりません。心霊の空間を広げて生命の版図を超え、多くの生命を包容して、多くの生命の中に貴方がいることを知る。これこそが価値のある生き方です。
習気を直し
生命を転化させよう
良いことを話し
良いことをして
衆生に利益しよう
 |
撮影・李白士
|
菩薩が群衆の中に入る、第一箇条は良き縁を結ぶことです。毎日の早朝に法を聴いて、講堂を離れる時、自戒しているでしょうか。礼節を守っていますか。自分勝手に、人と争っていないでしょうか。
煩悩とは時に、わずかなことから起こります。もしも習慣的に心の中で、「この人は私と意見が合わない」「私の癖はこんなだから」、「私はいま怒っているから気が静まったら話そう」と考えていたら、癖がおさまっても、間違いはすでに起きています。情のある人になろうと思っていても、習気を直す工夫をしない限り、人を悩ませ自分も悩むのですから、菩薩行は成就するでしょうか?
仏に学ぶ者は学んだことを実行するものであって、習気を改め、観念を変え、行為を変えて、人と人との関係を改善してこそ、煩悩から解脱することができます。再び無明に陥ったり、業を造ることはありません。
群衆の中に入って、衆生と善福縁を結んで、互いに喜びの心をもって、互いに尊重することです。もしも人を容認できない、あるいは他人の苦難を憐憫できず、人との福縁を願わないならば煩悩は避けられません。
あるボランティアが、「法師、どうして私たち皆は貴方様をこんなにも愛しているのでしょうか」と聞きました。その時、私は「なぜならあなた達が私を愛する以前に私はあなた達を愛していましたから」と答えました。私には衆生のため見返りを求めないという願があります。私にできることは皆にもできます。仏に学ぶからには、仏がされたことを学ばなければなりません。
にっこり笑った微笑み、やさしい一言も良い事になります。それを積み重ねて模範に習い、大小問わず、日常生活の中では善に向かって衆生に利益することです。
災難が絶えない時
人心は警戒心を以て
天を敬い地を愛し
生態を復元すること
八月下旬にハリケーンハービーが米国のテキサス州を襲い、甚大な被害をもたらしました。各州の慈済人は順番にヒューストンへ救済に訪れ、政府関係者と話し合って、被災者が何を必要としているか了解した後、十月一日から二十七回の配付を行い、一万二千世帯に現金カードと毛布、生活必需品を配付しました。そして、救難救助が終わっても、なお被災者に寄り添い、慰めていました。
慈済がテキサスで救済活動を行っていた時、今度はカリブ海を台風が続けざまに襲い、米国南部のホースセントマーティンなどの地域が被害を受けていました。ニュージャージー西部に住む済弘・慮容夫妻は、ヒューストンでのハリケーンハービー被害の救済に参加し終わって家に着いた途端、マイアミがハリケーンイルマの襲撃を受けて、多大な災害があったことを知りました。しかも、当地のボランティアは少ないので済弘夫妻は、被害調査と配付活動に行こうと思っていました。
私は済弘に、もう年ですから二、三日休んでから行きなさいと勧めました。そして九月二十一日、彼はマイアミの被災地へ急ぎ、慮容は国を超えてメキシコの震災被災地の調査に行きました。
九月十九日、メキシコで強烈な地震が発生して、しきりに余震が襲う中、人々は恐怖の中で過ごしていました。現地は貧富の差がひどく、治安も理想的ではありません。慈済調査隊は当地で慈済支援を手伝う人を探して教え、一緒に被災者を訪ねて、詳細に彼らの需要を聞いた上で、配付物が無駄にならないように注意していました。この過程では大変な苦労はありますが、人々がこの誠意を感じ取って、復興の力と希望になることを願っていました。
十月十二日から十六日にかけて、六百人近くの米国慈済ボランティアが花蓮の静思精舎へ帰ってきて、精進研修会に参加しました。各州の人たちは奉仕する中で経験したことを話し、皆はその優れた点を学んで欠点を改善したいと考えたようです。また、この風災支援と募金などの経験も分かち合っていました。米国のボランティアたちは帰ったらすぐに被災地へ入って、助けを待っている多くの被災者のために長期援助の計画を立てると話しました。
ボランティアたちは慈悲の心を立て、精進しながら絶え間なく衆生を労り、寄り添っています。分秒分かたず着実に慈悲の心を以て行い、生命の良能を発揮しています。
台湾に滞在中、東北の季節風と台風二十号が共に影響し合って、東部に豪雨が絶え間なく降り続きました。そのような状況の中、米国慈済人と台北慈誠委員の研修員や職員約二千人が活動していました。二日間の活動範囲には限りがありましたが、豪雨の中での困難な作業を克服して楽しくやっていました。
この豪雨は宜蘭、花蓮、東部に氾濫や山崩れ、土石流災害の被害を引き起こし、驚くばかりでした。米国ボランティアが台湾へ帰ってくる前夜も、北カリフォルニアで森林火事が発生して、近隣の住宅地が八万六千ヤードも焦土と化し、四十人が犠牲になり、五千七百棟が損傷して十万人以上が避難していました。
地、水、火、風の大自然の威力に、人の力で抵抗することはできません。絶えず発生する災難はさらに警戒が必要です。どんな力が災難を防げるでしょうか。「一善は千難を破る」と言われます。普段から善念を積み重ねて、和の力を凝集させ、心を調和して正の方向へ歩いて行かなければなりません。
「大生命共同体」という連帯感を持って、天を敬い地を愛し生態を大切にして多病の地球を元に戻してあげましょう。皆さんの精進を願っています。
(慈済月刊六一二期より)
|