慈濟傳播人文志業基金會
見えない心労
病弱の老夫婦が自閉症の孫を介護しており、
慈済は毎月生活援助金を支給しています。
家庭訪問の度に、ボランティアは、部屋はあるのに、
鄭さんの奥さんはなぜいつもリビングの椅子の上に座って眠っているのだろうと
不思議に思っていました。
 
「百年前に祖父が残した土と草で作られた家は、五十年後に老朽化が進んだため、父親がレンガ造りの家に改造しました。月日が経ち、風災に襲われ、レンガは腐敗し崩壊してしまいました。外が大雨のとき、家の中には小雨が降ります。
 
三十人以上のボランティアの皆さんが一つになって、我々が数年来抱えてきた心の痛みを取り除いてくださいました。今は風や雨を遮断し、安心して快適に住める住まいになって、本当に感謝しています。清掃の作業中、あるボランティアが私に『志願して喜びを持ってやっていますよ』と言ってくれました。実際経験しなければ、分からない体験でした。
 
心からボランティアの邱彩桂さんに感謝します。彼女が何度も足を運び、世話をしてくれたおかげで、今日の夢が叶ったのです。居住環境が完全に整えられたので、悲観的になる気持ちを棄て、ただ楽観的に他人を助けたいと思うようになりました。体を大切にすることで仕事に使う力を培い、慈済に恩返しをし、もっと大勢の人を助けたいと思っています」
 
約二千字の一通の感謝状に、台中市北屯区にお住まいの鄭さんは、この半年間、慈済ボランティアと深く結びついた経緯を詳しく綴ってくれました。
 
●1日がかりだと思われた屋根の修理の仕事も多くのボランティアが参加し、リレー式でレンガを運んだため、半日で終わった。(撮影・施龍文)
 

病人三人が頼り合う

 
鄭さんは今年六十三歳になりました。一九七五年に兵役を終えたとき、台湾十大建設という政府の政策により、南部・高雄の中国鋼鉄会社に採用されて、入社しました。生活が安定したため結婚し、娘が生まれ、ローンでマンションを購入しました。
 
仕事をして二十年が経ったところで、重症の糖尿病を患い、仕事ができなくなり、一九九四年に退職届けを出しました。同じ時期、娘が未婚で出産し、生まれた自閉症の孫を夫婦二人で育てました。
 
鄭さんは孫の世話をしながら、家のローンを返済するためにアルバイトをしました。コンピューターの修理から、レストランの皿洗い、幼稚園バスの運転手などをしました。奥さんも同様にアルバイトに精を出していました。
 
二○一三年から、鄭さんは腎臓透析をするために週に三回病院に通い始めました。腕に瘻管ができてしまったために重い荷物を持てなくなり、仕事は少なくなりました。奥さんは体の具合が悪いにも関わらす、家計のために、アルバイトを続けました。
 
二○一六年初め、家の貯蓄がなくなり、家のローンを払えなくなったため、家は差し押さえられました。また、奥さんの病気が悪化して、仕事ができなくなりました。そのため、夫婦二人は仕方なく孫を連れ、生まれ育った三合院(台湾の伝統的な建築様式の住居)の実家に戻りました。
 
●物を置いている2階と3階の天井が落ちてしまったため、ボランティアが片付けている。(撮影・施龍文)
 
百年を超えた古い家は、あちこち壊れていて、三階の屋根は台風に飛ばされてしまいました。屋内から上を眺めると「一直線に天空」となり、大雨の日は、雨水が直接入り込み、階段に沿って一階へ流れ込みます。レンガも使用期限を超えていて、完全に風化し、水が浸透してしまいます。それに雨漏りがひどく、あるだけ全部のバケツを使っても足りないくらいでした。そのため、安眠できる場所はベッド一つ分もありませんでした。しかし鄭さんの計算では、毎月七千六百元の厚生年金から生活費を引くと、もはや家を借りることは無理でした。
 
実家に戻って間もなく、鄭さんの奥さんは腹痛で地域の病院から台中慈済病院に転院させられ、腹膜炎と診断されました。手術で腸の腫瘤を取ってもらい、集中治療室で治療を受けました。
 
鄭さんは腎臓透析の日以外の時間に皿洗いの仕事をして生活費をまかなっています。しかし、「家族三人の中で、自分は透析が必要だし、十七歳の孫は精神障害者です。今まで自分を含めた二人を介護してくれ、頼りにしていた妻も癌を患ってしまった今、これからの生活はどうなるだろう」と悩んでいます。
 

一人も欠かせない

 
「神様はどうしてこのように私たちを苦しめるのでしょうか。なぜ、まるで窓がすべて閉じられたように、息もできないほど苦しいのでしょうか。もう先は真っ暗だ、家族三人ここで終わりにした方がいいのかもしれない」と夫婦二人は医薬費を払えないことで絶望していました。そのことを慈済病院のソーシャルワーカーが知り、鄭さんに提案をしました。「重大疾病の証明を申し込めば、健康保険から医療費をもらえます。足りない部分は、台中の慈済病院が慈済基金会に援助金を申請しましょう。そのほか、二十四時間の介護サービスも自己負担なしで利用できます」
 
鄭さんは、こんな助けがあって、生き返った気がしたと話してくれました。「神様はやっと私たちのために一つのドアを開けてくださいました。私たちはやっと外へ出て行って、新鮮な空気を吸うことができるようになりました」。奥さんが入院中の生活は、まるで生気がなかったそうです。「三人は運命共同体です。一人も欠けてはいけません。慈済の助けによって、妻は無料の医療を受け、生きていく意欲を取り戻しました。飲んだ薬も効いてきたようです」
 
鄭さんの奥さんが退院すると、慈済台中支部のソーシャルワーカーの通知を受けた台中北屯区の慈済ボランティア、邱彩桂と訪問グループが、二○一六年十月から鄭さん家族のケアを始めました。毎月一万五千元の援助金を提供しました。
 
邱彩桂が家庭訪問をすると、部屋とベッドがあるにもかかわらず、鄭さんの奥さんがいつもリビングの椅子の上で寝ていることを不思議に思っていました。後になってその理由が分かりました。鄭さんは八人兄弟の四番目です。十数年前に父親が亡くなり、兄弟は各自に家庭を作り、事業を始めたので、続々と古い実家から引っ越していきました。九十一歳の母親には唯一雨漏りしない部屋に住んでもらい、介護ヘルパーを一人雇いました。そのほかの部屋はもう荒れて住めないので、鄭さんの家族は小さいリビングに縮こまって寝起きしていたからなのでした。
 
●修繕が完成した後、ボランティアは足りなかった家具を足し、家族が安心して療養できるようにベッドを用意した。(撮影・施蘇玉珍)
 
それを知った邱彩桂は心が痛み、ボランティアの仲間と相談して、鄭さん家族全員が安らかに暮らして病気を療養できるように、ソーシャルワーカーと建設の専門家に自宅まで来てもらって、部屋を検査し、修繕の見積りを手配しました。
 

 幸せだから なおさら奉仕する

 
鄭さんの兄弟全員が家の修繕に同意する署名をした後、慈済は工事の準備を進めました。邱彩桂は関連の手続きの申請で多忙のときに、自分の八十七歳の父親が末期の癌に罹ったことを知り、悲しみに打ちひしがれました。しかし彼女はそれが自然の法則であり、ボランティアの仕事を通じて死は誰にも訪れることだと理解していたので、気持ちを落ち着かせて修繕関連の仕事を進めました。
 
今年五月二十一日の午前八時から、約三カ月の修繕工事は始まりました。当日はまず屋根のレンガを交換するのですが、当初二十人のボランティアを希望しましたところ、最終的には四十六人が来てくれました。大工の手伝いをする人、整理と掃除をする人、食事を用意する人など分担しました。
 
大工は屋根の上に上がり、風化して水が浸透し、すすだらけになったレンガを外し、慈済のボランティア達に手渡しで一枚一枚下まで降ろしました。師兄(慈済の男性ボランティアへの呼称)は皆完全装備、帽子やマスク、手袋をつけて、日差しの下でキビキビと、屋根の上では慎重に仕事を進めました。
 
大工の予想では一日がかりの仕事が、人手が十分にあったので、四時間で完成しました。
 
そのほかにもう一つのグループのボランティア達は二階と三階の荷物の整理を担当しました。十年以上誰も住んでいなかったし、雨や風で壊れたため、埃だらけで、乱れていました。ボランティアはマスクをつけて、埃の嵐の中で、書籍や生活用品や落ちてきた床の屑を袋に詰めて一階に集めました。使える机は綺麗に拭きました。整理された部屋は、明るくなり、快適になりました。
 
七十四歳になる慈済ボランティアの黄阿瑞は、首にマフラーを巻き、両手でゴミ拾いをしています。汗水を拭くひまもなく、服は汗で濡れたままです。彼女は頑張って腰を曲げて仕事をしていました。少しも疲れを見せません。「奉仕しているときは嬉しいし、いろんな人に会って、福を大切にすることを知りました。この年まで生きられて、このように動くことができるから、できるだけ体を動かしたいです」
 
ボランティアの蕭さんは若くて力持ちで、重い荷物があれば、いつも積極的に運んでくれます。彼は荷物を一つ一つ三階から下へ運び続けます。それからまたレンガの運搬を手伝っています。休憩せずに仕事を続ける理由は、「過去にも師姐(慈済の女性ボランティアへの呼称)達が来て、我々を世話してくださいましたから、これからは私も同じように人を助けたいのです」
 
科学技術印刷会社を経営している林衍束さんは、奥さんの廖玉琴さんと、子供の光宸さんと恩瑜さんの家族全員で手伝いに来ています。子供二人は大人に劣らない精神力の強さで廃棄物を集め、何回も行ったり来たりしては屋外へまとめています。
 
林衍束さんは自分の子供が汚れるのもかまわずに仕事に没頭しているのを見て、こう思いました。「子供は奉仕の概念を普段から理解しているわけではないし、自分もボランティアをたくさんやっているわけではない。この機会に有意義なことをやりたいと思ったのです。家でテレビやコンピューターを見るよりも、子供達が今日感じ取った嬉しさはさらに深みがありますし、実りがあると感じました」
 

古家のリフォームが完成

 
慈済のボランティアの邱彩桂は毎日病院で父親を世話しています。工事が始まる当日に、彼女もやってきて、掃除の仕事を手伝いました。「鄭さんとはお互いに信頼しあっていますから、安心させるためにここにやってきました。責任を果たしたいので」。数年間の家庭訪問を通じて、邱彩桂は「慈悲の心のほかに、忍耐力も必要です。支援を必要としている人にさらに実質的な支援を提供していきたいと思います」と語った。
 
彼は翌日三階の屋上と床を修繕しました。水槽を交換したり、ペンキの塗り替えもして、連続三日間工事は続きました。古い家は新しい服に着替えたようでした。鄭さんは透析患者なので、きつい仕事はできませんが、頑張って携帯電話で修繕工事の経過とボランティアが汗を出して奉仕している姿を撮影し、写真に残しました。「以前の環境から今の新しくなったことを家族や友達に伝え、子孫にも残してやりたいです。ボランティア達の大変な奉仕は、計り知れないほどの価値があります」
 
六月一日に、ボランティアは鄭さんのために新しくなった家で入居記念パーティーを行いました。二十人以上のボランティア達は不足していた家具を運んできてくれました。張慧君さんも団子をつくり、皆が健康であるよう祝福しました。
ソファーのセットや、机、テレビセット、ガラステーブル、棚、電動ベッドは二台のリサイクル車によって搬入されました。ボランティアは鄭さんの指示に従って、一つ一つを搬入して、置く場所を決めました。
 
ボランティアは電動ベッドのリモコンの使い方を教えます。それから気をつけながら、マットレスや布団をベッドの上に敷きました。王漪芬が鄭さんをベッドに案内したところ、鄭さんはすぐに「このベッドはとても柔らかくて寝心地がいいです。背骨に優しくて、すばらしいです」と言ってくれました。
 
●慈済ボランティアの王漪芬さんは、鄭さんの奥さんの隣に付き添い、話を聞いている(撮影╲施蘇玉珍)
 
慈済ボランティア達はベッドを囲んで祝福の曲を歌いました。鄭さんは両手で感謝状を持ち、丁重にチームの組長である胡嘉樺と汪宗斌に手渡しました。鄭さんの奥さんも体を支え、ベッドの上に座って、嬉しさにむせび泣きながら合掌して感謝の気持ちを表しました。
 
修繕の工事を担当した慈済ボランティアの羅立勝は、深く感動しました。「外からでは、鄭さん一家が緊急の助けを必要としていることに気づくことはできませんでした。相手を思いやることで、やっと彼らの心の苦しみを感じたのです。我々が彼らを助けることができて、私も大変嬉しく思いました」
 
王漪芬は、「天井を見ただけで嬉しく感じます。以前の生活環境はとても湿気が多くて、ゴミで汚かったです。今はもう明るくなって清潔になったから、気持ちも変わりました」と慈済にすべて支えてもらい、言葉では言い表せないほど感謝しています。
 
王漪芬は、證厳法師の法話を奥さんに話しました。「患者を自分の親のように、自分の家族のように思えば、自分の心も柔らかくなり、さらに優しくなれますよ」と。
 
鄭さんも王漪芬に、「何日もかかってやっと完成した感謝状は、自分の心にある感謝の気持ちを文字にしたものです。全てのボランティアの方に差し上げたいです。慈済は私達にとって生まれて初めて出会った大恩人です。私達に生きていく力を与えてくれました。体が丈夫になったら、孫を連れて慈済のリサイクルステーションに行き、一緒にボランティアをしながら、慈済のご尽力に恩返しをしたいと思います」
NO.252