慈濟傳播人文志業基金會
清水のしずくが沢を潤すように
刑務所は人を閉じ込めるだけでよいのか。それも老いるまで……。 
 
法務部(法務省に相当)の矯正署の統計によると、台湾の刑務所の収容人数は定員を超えており、管理上数々の問題が生じ、補導指導の実施にも困難をきたしている。
 
受刑者の半数近くは麻薬常習者で、そのうち再犯者が半数以上に上る。彼らは出所後、社会に受け入れてもらえず、昔の悪い仲間のもとへ戻って、さらに深刻な違法行為に走ることが多い。また、若い頃から刑務所への入出所を繰り返し、高齢になった者もいる。
 
受刑者を取り巻く環境を詳しく調べると、多くが問題のある家庭に育ち、幼い頃から劣悪な環境と向かいあっていた。また、もともとはごく普通のサラリーマンで、心身をより一層強壮にして仕事に励み、家族を養いたいと思っていたのが、知らぬ間に薬物に染まっていたというケースもある。
 
学者の陳恵敏氏が、長期にわたって刑務所の問題をくまなく観察したところ、受刑者は入所前、「自信がない」という心理状態にあったことを発見した。彼らは人の言葉や表情に敏感で、ごく普通の社会と隔たりを感じている。彼らの社会復帰を支援するためには、「自分は受け入れられている」と感じさせることが重要である。
 
「慈済月刊」編集部には時々受刑者からの投稿や手紙が届く。封筒の中に百元(一元は約三・五円)のお金を入れて、寄付したいという人や、大愛テレビや「慈済月刊」で慈済が骨髄寄贈や国際支援を推進していることを知って、自分も参加したいと手紙を静思精舎によこす人もいる。こうしたことから、人は誰もが潜在的に善良であることが証明されているといえる。
 
本号のテーマ報道の中で、宜蘭刑務所指導員の頼文玲さんは、「刑罰とは社会大衆が求める正義理念だろうか」という疑問を提起している。宜蘭刑務所の謝昆奇所長は、「多くの人は愛に感動した体験によって善に回帰する」と言った。この愛の力は宗教と慈善団体からきている。
 
長年、慈済ボランティアが専任指導員の欠員を補い、素晴らしい輔導の効果をあげ続けている。
 
慈済人の刑務所ケアの歴史は二十年を越え、台湾全土にわたっている。刑務所から要請を受けると、地元のボランティアがチームを組織して刑務所を訪問し、関心を寄せ、励ましている。読書会や手話教室、仏教経典を扱った演劇を行い、その中で受刑者が自らの力で悟り、習気業力を改めるよう支援している。
 
自分もかつて受刑者だったというあるボランティアは、自分の経験を話して、多くの受刑者の模範となっている。ボランティアはまた、受刑者の実家を訪問して、彼らの状況を聞き、受刑者と家族の関係が元のように円満になるよう架け橋になろうと努めている。
 
刑務所という場所は、誰もが恐怖を覚える場所だ。だが、宗教の情熱と感動は、人に恐怖をのり越えさせるほどの影響力を及ぼすことを、多くのボランティアが感じ、悟っている。まるで一滴一滴の清らかな水が集まって、無数の心田を潤しているかのようである。さらに多くの人々が受刑者に関心を寄せ、この善の行列に参加するよう願ってやまない。
(慈済月刊六一一期より)
NO.252