ニューヨーク州ロングアイランドにある慈済人文学校では、ホウオウボクの開花シーズンに卒業式が行われる。そしてその時期に、学校の先生やボランティア達は、これまでの卒業生のことを思い出すのである。とりわけ、みんなの記憶に鮮明に残っているのは、アメリカ代表として車椅子テニスの世界選手権に参加した鄭傳杰(Nathan Melnyk )のことだった。彼は二〇一六年に慈済人文学校を卒業した。活潑で楽観的、勇敢に自分と向き合う彼の姿が、すぐ目に浮かんでくる。
二○○六年、鄭傳杰一家はニューヨーク州ロングアイランドに越してきた。母親の鄭瑞杏さんは双子の息子を慈済人文学校に入学させた。ところが、二○○九年、鄭傳杰が九歳の時、自動車事故に遭遇した。一瞬の出来事だったが、重い障害が残り、彼の一生を変えた。
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●2006年、初めて弟とニューヨーク‧ロングアイランドの慈済人文学校に入学した傳杰(左)は、慈済ボランティアのお姉さんと写真を撮った。
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自動車事故で負傷した傳杰は四カ月間入院生活を送った。その上、当時応急手当の際、呼吸確保のために喉に管を刺したことが原因で、丸一年間声が出なかったのだ。これは九歳の子どもにとって、どれほど苦しく辛いことだったであろうか。
両親は手厚く看護をした。ようやく危険期を乗り越えた傳杰は、身体に受けた重い障害を専門的な療法で治療するため、ニュージャーシー州のリハビリセンターに移った。彼が高校に入った時、お父さんは仕事を辞めて全身全霊を傾けて傳杰のリハビリに付き添った。
リハビリから一年後、傳杰は慈済人文学校に戻って元のクラスで中国語の勉強を続けたいと意欲を示した。クラスメートは、彼のことを宝物のように大切にした。毎年開かれる「静思歌謡曲のコンテスト」では、必ず傳杰をステージの真ん中にし、傳杰のために曲を選んで、さらには手話の動作を組み入れ、傳杰を中心とした演出に尽力した。
傳杰の人生が方向転換したことは家族にも影響を及ぼした。双子の弟の傳祺は内気な子で、いつも兄の後について行動していたが、傳杰が負傷してからは、一時も兄さんから離されず付き添うようになった。恥ずかしがり屋だった傳祺が一転して、兄さんが余計な怪我をしないようにと、先を予想して気遣うようになった。母親の瑞杏さんは、積極的に学校の愛心ママ友の会に参加していたので、傳杰を身近でケアした。瑞杏さんは、「彼はテニスの練習があるので、いつも学校を早退していますが、担任の先生にはよく理解と協力をして頂いたと思っています。同級生が傳杰の宿題を手伝ってくれたり、ボランティアがケアのために家に来てくれたり、私達一家は多くの人の愛に包まれたからこそ、無上の勇気と強い意志で、障害に立ち向かうことができたのです」と感謝をした。
傳杰は毎週日曜日にテニスのレッスンを受けていた。リハビリのためにと、病院から勧められたからであった。アメリカの国家テニスセンターでは、障害者を訓練する専門のコーチがいるので、傳杰はテニスをリハビリとして訓練を行った。身体はたくましくなり、テニスの技術も目に見えて進歩してきた。傳杰自身も自信がつき、トレーニングに一生懸命に打ち込んだ。心の中で、地獄の門の前で命拾いをしたのだから、この二度目の人生では意気消沈したり、自暴自棄になったりしてはいけないと思っていた。
傳杰がテニスの練習を休まず努力していた姿を見てきたお父さんは、勇気を出して彼の高校の校長先生とコーチのもとを訪れ、傳杰を学校のテニスチームに参加させてほしいと願い出た。瑞杏さんの記憶によれば、長い間傳杰はほとんどそばで試合を見ていただけで、出場のチャンスは少なかった。でも、傳杰は落胆せず引き続き練習を続けて自分のベストを保ち、根気強くチャンスが巡ってくるのを待っていた。
二○一六年の高校テニスの試合で、アメリカFOXテレビの記者が傳杰に目を留め、特別番組を組み、「車椅子に乗った障害者として健常者の選手とテニスの試合をした初めての人」と報道した。そして彼の堅強な精神力と勇気を褒め称えた。インタビューの時に高校のコーチは、「傳杰は絶対休みません。練習の時間になると必ず彼の姿があります。傳杰が初出場して、健常者の選手と試合をした時のことは忘れられません。強く感銘を受けました。傳杰が真面目に努力する様子はチームにも大きな影響を及ぼし、試合を頑張ろうと皆で激励しあいました」と語った。
傳杰のお母さんは、ずっと子供に付き添ううちに、「明日が先にやってくるか、無常が先にやってくるか」を考えるようになったそうだ。そして積極的に慈済委員(慈済の幹部ボランティア)の研修と育成プログラムに参加し、二○一五年に台湾に帰国して受証した。帰依した際に「慮依」という法号を授けられた。「人生は無常であり、今をしっかり把握すべきだ」という静思語が、瑞杏さんにとって大切な教えである。彼女は書道や生け花や筝など、自分の習い事を通じて、他人の輪に入り、衆生を済度する架け橋になろうと努めている。
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●2017年5月7日、鄭傳杰は、車椅子テニス少年クラスのシングルスとダブルス両種目で世界チャンピオンの座を勝ち取った。 |
二〇一七年五月、傳杰はアメリカ代表として少年の部で三人の代表者の中の一人に選ばれ、世界車椅子テニス大会に参加した。家族全員が彼に付き添ってイタリアのサルデーニャ島へ試合を見に行った。出発する前に慈済ボランティアは、彼を激励してケネディ空港まで見送った。瑞杏さんは随時スマートフォンを使ってイタリアの風景や試合の様子をアメリカにいる慈済人と分かち合った。皆も瑞杏さんの報告を楽しみにして、声援を送った。試合は非常に熱戦だった。傳杰は皆の期待に応えて、少年の部シングルスとダブルス両種目で、世界チャンピオンの座を勝ち取ったのだ。
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●2017年5月8日凱旋帰国。空港に迎えに来てくれたボランティアと記念写真。 |
優勝しても驕らず、負けても気を落とさず、傳杰はいつも陽気で自信満々に微笑んでいる。「無常に直面しても、自らの力で悲しみを乗り越え、人生の道程を歩んでいかなければならない」と覚悟している表情だ。実は、自分が勝ちたいのは、他人にではなくこの自分になのだ。
傳杰はこの九月に、ニューヨーク州立ストーニーブルック大学のコンピューターサイエンス学科に入学するが、テニスも続けたいという。これからも、彼は毅然として、自分の夢をかなえるため、勇敢に立ち向かって進んでいくだろう。
(アメリカ慈済世界二一三期より)
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