慈濟傳播人文志業基金會
一滴の水は 一筋の光明に等しい
長年刑務所のケアボランティアをして思うことがある。
たとえ悔い改めた人の数は少なくても、
邪念を祓い自分を変えたいと努力する人がいる限り、
私は彼らの家族のような気持ちでそばにいてあげたい。 
 

質問:何度も服役を繰り返す受刑者は少なくありません。更生の指導をしても無駄だと感じませんか。

陳:自分の家族からもそう聞かれたことがあります。この仕事を始めた当初、夫と子供に反対されました。そのため、彼らに同行してもらって、私が刑務所で実際に何をしているかを知ってもらいました。二十年が経った今も、「随分長く続けているけど、効果はあった?」と聞かれます。
 
受刑者への更生サポートは、すぐにははっきりとした効果が見られません。ではなぜこの仕事を続けるのかというと、それは例えば一滴の水のように、わずかな力でも毎日絶えず彼らの心に注ぎ続ければ、きっとよい影響を与え、いつか効果を発揮すると信じているからです。
 
逆に、もし水を一滴も与えなければ、将来別の社会問題を引き起こさないとも限りませんし、問題が自分や家族に及ぶかもしれません。この社会は絶えず動いています。もしかしたらある日、私が彼らに話した善念が縁を結んで根づき、芽を出し育っていくかもしれません。
 
ですから、いくら困難や挫折を感じても、その水を与え続けることにこだわってきました。長年ケアボランティアをしてきて、徹底的に悔い改める人の数は確かに多くはないし、全ての受刑者が過ちを繰り返さないわけではないと知っていますが、正しい道に向かいたいと決心して頑張り続ける人がいることも知っています。五年間頑張ってきたのに、六年目に罪を犯して刑務所に戻ってきた人もいました。でも、考え方を変えれば、彼自身はよくなろうと思っていた時期があったのです。
 
暗闇にいる人に、たとえ微かであっても、光を差し向けたいのです。遠くまで照らすことはできないとしても、それは意義のあることだと思い、この二十七年間、私はこの仕事を続けてきました。
 

質問:「なぜ鉄は鋼にならないのか」と思い悩んだ時にはどうしましたか。

陳:挫折感はもちろんありました。刑務所から出た後、仕事が見つけられず、食事にも困った人がいました。彼はなんとスーパーに入ってわざと物を盗み、刑務所に戻ることを選択したのです。やっと自由を手にしても、生きていくのはもっと難しいことだと分かっていなかったのでしょう。
 
このような話を耳にすると、私は必ず率直に話します。加害者であろうと、被害者であろうと、法律違反で刑務所に入った以上、そのことはあなたの家族に痛烈な痛みをもたらしたのです、と。もちろん家族は寄り添うことで立ち直れるかもしれません。しかし、あなたが何度も刑務所を出入りすれば、そのうち心は折れてしまいますし、親が年を取り、待ち切れずに残念な気持ちを抱えながらこの世を去るのを見ることは、辛くて耐えられないことですよ、と話すのです。
 
●ボランティアのスピーチを聞いた後、勇気を出して壇上に上がり思いを語った受刑者には、ボランティアから本が贈られた。
 

質問:複雑な背景を抱えている受刑者にはどう接するのですか。

陳:初めて刑務所に入って、ステージの下の灰色や紺色の服を着ている受刑者と顔を合わせた時、思わず遠くの壁を見つめるばかりでした。彼らと目を合わせるのが怖かったのです。あるボランティアは私をこう慰めてくれました。「怖くはありませんよ。あなたが彼らに優しく接すれば、彼らも優しくなると信じてごらんなさい」
 
それ以来、私は慈済の制服に身を固め、ボランティアとして出入りをしながら、自分のよくない思い込みを徐々に克服してゆきました。今は、平常心で彼らのことを理解しようと心がけ、彼らと話をする時は、自分が話したいことを話すのではなく、相手が興味を持てるよう、分かりやすく話すようにしています。

 

質問:罪の報いを受けている受刑者に対して、どのように対応していますか。

陳:一般の人は犯罪者に法的な懲罰を与えるのは当たり前だと思っていますよね。確かにそうですが、多くの受刑者は間違いだと知って罪を犯したというより、その罪が後でどれほど深い悲しみを招くか知らずに、一時的な欲望と無知によって犯罪に走るのだと気づきました。最終的に監獄しか行き場がなかったのです。
 
多くの人は友人に誘われて薬物に手を出し、自分の自制心を過大評価しすぎて元に戻ることができず、自分の体も親の心も傷つけました。中には、モデルガンに興味を持ち、それを友人に貸したところ、友人が改造して人を傷つけたので、連帯責任者として刑に服すことになったケースもあります。
 
仏教には、菩薩は因を畏れ、衆生は果を畏れるという言葉があります。凡夫である私達は、いつも果報が目に見えてからようやく怖いことだと知るのです。
 
私は、更生支援を教育の一環として考えてほしいと思っています。彼らに悪い人間というレッテルを貼るよりも、社会復帰のチャンスを与えたほうがいいと思うのです。レッテルを取り除くことによって、希望がもたらされますし、逆にレッテルを貼ってしまえば、彼らは一生の罪の意識から逃れられなくなるのではないでしょうか。私はすべての受刑者が出所した後、自分の家庭と社会に復帰して、その生命に価値を添えていってほしいと願っています。
 
●台中の北刑務所の受刑者と話をする陳秀琇(中)と息子の鄭凱文(右)。家族の支えに感謝し、さらに勇気づけられてボランティアを続けている。
 
NO.252