一つよりも多めに買った方が安い? お買い得品は買わないと気が済まない? 「激安」「無料」などの宣伝文句に引き込まれた時、冷静に考えてみてほしい。自分は本当にこれが必要なのかと。
「ママ、ポップコーンが食べたいよ」。映画館のチケット売り場で並んでいた時、ある親子の会話がふと耳に飛び込んできた。前の列に並んでいる四、五歳の男の子がお母さんにせがんでいた。お母さんがポップコーンを注文すると、「ポップコーンとソフトドリンクのセットがお買い得ですよ」とすぐに販売員に勧められた。お母さんはその勧めに従ってセットを買い、息子も喜んで買ったものを持って映画館に入った。
私たちの番になった。見たい映画のチケットと座席を指定した後、娘も周りから漂ってくるポップコーンの匂いに誘われ、欲しいとせがむので、私はポップコーンだけ買い求めた。すると販売員は不思議そうな顔で、「ポップコーンは四ドル九十セント(シンガポールドルで約三百九十二円)ですが、もう一ドルでドリンクもつきますよ」と聞いてくる。私は「わざわざご丁寧にありがとうございます。ポップコーンだけで結構ですが」と再びお礼をして、きっぱりと断った。
それでもこの女性店員は「頑固な客だ」と言わんばかりに、「このセットなら、お子さんはポップコーンが食べられますし、喉が渇いたらドリンクも飲めますよ。本当にお買い得ですよ」ともう一度私を説得しようと試みたが、私の考えは変わらなかった。損得の計算ができない母親だと彼女は感じたことだろう。
なぜいらないのか?
後にこの時のことを友人に話すと、友人は「この販売員は多分あなたが栄養士だとは知らないのね」と冗談を言った。「違うのよ。これは栄養士だからとか、ソフトドリンクは甘すぎるからとか、あるいは一ドル多く払うからとかの問題ではないの」と私は笑って言った。「それなら問題は何なの」と友人は呆然とした。「問題はとっても簡単なの。だって、私には必要ないから」と私は言い返した。
間違いなく、答えはこんなに簡単だ。あの時、ソフトドリンクは不要だったのだ。私のカバンには水を入れたボトルが二つあるのだから、たとえ無料でくれても、同じようにお礼をした後、断っていた。
私の自宅にもいつも無料のドリンクが配達されてくる。地下鉄の駅でもティッシュなどを配っているが、私はいつもそれを断っている。理由は単純。いらない、あるいは使う習慣がないのだから。
皆さんもよくこのような体験をしたことがあるのではないだろうか。パン屋に入ったら、三個入りケーキに特別価格の値札がつけられている。三個入りだと一個当たりの単価が安い。ある日、ケーキを買いに行った時、あるお母さんが子供に三個入りを買った方が得だと算数を教えてあげているのを見た。一個当たり二十セント(約十六円)安くなると。
私は娘とこのことについて話した。本当に食べたいのなら一個だけで十分。もしも一個につき二十セント得をしたいからという理由で三個入りを買ったら、一人で三個食べたり、あるいは、本来食べたくないパパとママも無理やり食べさせられることになる、と私の考えを娘に伝えた。「ママにとってこれは特別価格でも、お金を節約することでもない。浪費なのよ」と私は言った。
自分で作ったらもっと健康
ポップコーンの話に戻ろう。ポップコーンが好きな娘のために、スーパーへ行ってポップコーンの種を買って、家で作ることにした。まず、用意したフライパンを熱し、次に少し油を入れて、ポップコーンの種と砂糖を入れ、それから蓋をして、フライパンを振りながら全部弾けるのを待つだけだ。ポップコーンの種がフライパンの中で様変わりし、ほかほかの白い花のようになったのを見て、娘は魔法を見たようにとても驚いていた。
でも、娘はポップコーンを一口食べると、「ママが作ったのは甘くないわ。映画館の方が甘くてもっと美味しいの」と言った。
私は娘に次のように話した。食べ物が美味しいかどうか、人によってそれぞれ好みがあるが、その基準はないということ。ママにとって「甘い」イコール「美味しい」ではなく、映画館のポップコーンはママには甘すぎて、水がたくさん飲みたくなると。
他の食べ物と同じく、正しく調理すれば、低脂肪で低糖のポップコーンが作れる。しかし、私たちが余計なバターや砂糖を入れたために、ポップコーンは高カロリーのおやつになってしまい、たまに少し食べることしかできなくなる。ポップコーンを作るのは、それほど難しくないが、子供のためにエプロンをつけて、フライパンを取り出す気があるかどうかの問題だ。
ある日、友人が「お金がないわけじゃないのになぜテレビを買わないの」と聞いた。その時、私はポップコーンとドリンクの特別価格セットを買わない理由と同じ、「必要ないからよ」と答えた。
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