家族への愛、生命や健康を求める心は誰しも同じです。
骨髄提供者と骨髄提供を受ける患者の間においても、同じように共感と幸福を願う気持ちがあります。
英語教師の古小妮さんは、十年ほど前、台湾慈済骨髄バンクにドナーとして登録しました。ところが、人を助けるより早く、二○一一年、彼女自身が白血病を発症し、見知らぬ人の手助けが必要となったのです。
古さんは若い頃、香港から台湾の桃園に移住し、英語を教えていました。家族の世話と仕事に追われるなか、風邪による発熱だとばかり思っていたのが、実は急性リンパ性白血病だったとは思いもよりませんでした。彼女は他の患者と同様に、健康を当たり前のことだと思っていました。今日帰宅して明日また仕事に行く生活が続くのだと思っていました。しかし、心の準備もできないまま仕事を辞めざるを得なくなり、未来があるかどうかさえ分からなくなったのです。
そんな彼女を救うことができたのは私たち一人ひとりの力があったからです。慈済骨髄バンクのデータベースのうち、血液の型が彼女と一致した若い男性が骨髄提供を承諾してくれたのです。治療の間、ドナーは手紙で彼女を励ましました。「我たちはリレーのチームです。私のバトンはすでにあなたに手渡されました。しっかりそのバトンを握って走ってください。いつかバトンを次の走者に渡せるように」
健康を回復した古さんの血液型は元のO型から骨髄ドナーの血液型であるB型に変わりました。今年五十歳になる彼女は、顔も知らない「前の走者」のことを常に思いながら、「次の走者」を探すことも忘れていません。慈済の骨髄提供啓発キャンペーンで、彼女は術後によみがえった髪を触らせて、「骨髄移植を受けた私が、今はこんなに元気なんですよ!」と話す彼女は、愛をつなげていくために力を尽くしています。
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ボトル内の10ミリリットルの血液サンプルは、ボランティアが走り回って宣伝、採血、データ化したもの。これが骨髄提供への勇気ある第一歩となる。今では毎年国内外の数千人の患者から慈済骨髄バンクに照会の依頼がある。彼らが待ち望んでいるのはこの希望と勇気、ドナーの愛の喜捨であり、この一つ一つが命の希望のデータとなるのだ。 |
道を探し人を見つける
輸血なら多くの人が経験しています。献血は広く受け入れられ、経済的負担や健康への影響などを心配する人はいません。しかし骨髄提供となるとそうはいきません。普通の人たちにとって骨髄移植は縁遠いもので、どうやって骨髄を提供するのか、どんな病気を治療するのかなども知られていません。
造血機能がある骨髄の移植は、臓器移植の一種として扱われますが、臓器移植と大きく異なる点は、骨髄に含まれる造血幹細胞は自ら増殖して回復するということです。
愛の心は誰にでもあります。大切なのは、骨髄移植が一部の白血病患者にとって、生きるための唯一のチャンスだとさえ言えるほど重要だということを理解してもらうことです。
台湾大学血液腫瘍科の徐思淳医師は、「化学治療が症状の緩和に効果があるうちに早めに骨髄移植ができれば、移植後の生存率は四割から六割に上がる」と語ります。
近年は少子化により兄弟間で型が適合する確率が下がっていることから、「非血縁者間造血幹細胞移植」の必要性が高まっています。幸いにも医療技術の進歩で、臨床例の統計によれば今では非親族間・親族間で治療の効果や生存率は大差がなくなってきています。昔のようにリスクが高く、「治療の最後の手段」としてやむにやまれず、という状況ではなくなってきています。
「昔は電車を乗り換えた後に道が分からないような感じでした」。徐思淳医師はこう例えます。今では移植技術も成熟し、「新幹線に乗ればすぐ目的地に着くという感覚です」と話します。
たとえ医療が日々進歩して移植治療の質が向上しても、社会の中に隠れている非血縁者のドナーを見つけないことには始まりません。骨髄移植への意識をいかに高め、ドナーを増やしていくかという点に、台湾慈済骨髄バンクと台湾全土の慈済ボランティアは長年力を注いできました。
台湾慈済骨髄バンクは、華人社会では中国の中華骨髄バンクに次いで二番目、世界でも八番目の規模を持つ、命の希望のバンクです。血縁者間でHLA(ヒト白血球抗原)が一致しない患者に対して、非血縁者間の移植というもう一つのチャンスを作ります。今までに世界中の四千人以上の患者に移植を行ってきました。
世界のドナー登録者は二千九百万人を超えましたが、それでも世界の七十億人という人口のうち骨髄提供が可能な年齢層に対して、その割合は一パーセントにもなりません。台湾慈済骨髄バンクには四十万のドナー登録者がおり、提供可能年齢人口に対する割合は、世界の平均を遙かに超えています。
しかし台湾がこの栄光を維持するのは簡単ではありません。一般に五十五歳未満の人なら骨髄を提供できます。しかし、六十歳を過ぎると、その人はデータベースから「定年退職」します。一定の適合率を持つドナーの数を維持していくためには新しい登録者が必要です。慈済骨髄データベースが設立以来二十三年間、たゆまずドナー登録希望者への採血、データ作成を続けてきたのは、まさにこの「新陳代謝」を行うことが必要だからなのです。新しい血が入ってこないために古い血が滞り、骨髄データベースが萎縮してしまうことのないようにするためです。
慈済骨髄バンクはHLAの適合の精度が高く、事務管理の効率も良いため、最も適合するドナーを見つけて移植手術を成功させたいと考える韓国や中国といった海外の患者の主治医からも、しばしば協力依頼が寄せられます。
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ドナー登録者の血液サンプルは慈済免疫遺伝子実験室のスタッフの手による分離、抽出、増殖、DNAシークエンシングなどの非常に精密な手順を経て、ようやく有効なデータが完成する。
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見返りを求めない利他的行動
骨髄ドナーの勇気と喜捨の精神は、救うすべのない命を救うことができます。慈済骨髄バンク医務主任の楊尚憲医師は、「非親族間の造血幹細胞提供は、『利他主義』の極致と言える」と話します。
しかしながら、ドナーと患者が提供と移植を無事終えるのは簡単ではないのです。台湾のドナー登録者が四十万人を超えていても、やはりドナーが見つからない場合はあります。また、見つかっても様々な都合で骨髄を提供できないことや、患者が移植を待たずに亡くなるなど、非常に悲しい状況にも直面させられます。
二○一六年、基隆の患者が十七人のドナー候補を見つけました。そのうち十三人は都合によりドナー提供ができず、残りの四人は血液の再検査の結果、HLAが完全に一致していないことが分かりました。
高雄慈済ボランティアの施明珠さんは、十年以上にわたりドナーと患者のケアサポートをしてきました。二○一六年、四人の患者が無菌室で治療を受ける前に感染し、移植を一時中止するということがありました。患者たちは施明珠さんに対して「ドナーに申し訳ないと伝えてほしい」と繰り返したそうです。
施明珠さんは、患者は病状のせいで気落ちしているだけでなく、骨髄ドナーに対して申し訳ないという気持ちを抱いていることを知っています。また、時には「ドナーが急に提供したくなくなるのではないか」といった心配も出てきます。そのような焦りや苛立ちは、ドナーの造血幹細胞が体内に注入されるまで続くのです。
骨髄移植病棟で働いて十九年になる台湾大学病院血液科の看護師の張喬芳さんは、患者の多くがドナーの健康を気にかけており、骨髄を提供したせいで体を壊すのではないかと心配していると言います。彼女はいつも患者に対してこう答えます。「心配いりませんよ。骨髄提供で身体を壊すことはありません。ドナーが様々な手続きに協力して造血幹細胞を提供してくれるのは、ありがたいことです。慈済のボランティアがお金を出して彼らのために料理を作り、栄養を補っていますし、ずっと採血で健康をチェックしていきますから大丈夫ですよ」
また、患者はよく「いつドナーと『喜びの対面』ができますか。あと何年待つのですか」と尋ねます。直接ドナーに感謝を伝えたいからです。
日本では患者とドナーを会わせることは決してありません。アメリカではよくニュースの生中継でドナーと患者との驚きの対面が企画されます。慈済では、毎年一回「骨髄ドナー喜びの対面の会」を開き、患者とドナーが対面する機会を作っています。
慈済ボランティアはドナー登録者、移植を待つ患者の間の調整に奔走して「移植の機会」を作るだけでなく、移植後も長い間連絡を取り合って「対面の機会」を作っています。手術前には命をつなぎ、手術後には心残りを残さないためです。
造血幹細胞のやりとりという角度から見れば、ドナーも患者も誰かの子どもであったり一家の主であったりします。ですから肉親への愛情や生きたいと願う気持ちは同じなのです。ドナーと患者の対面イベントは、ドナーにとって、患者と家族にとって、奔走したボランティアたちにとって、また社会全体に愛の心を育む上で、特別な意義があるのです。
慈済骨髄バンクの楊国梁主任は、こう話します。「『喜びの対面会』の背景には、実は数多くの悲喜こもごもがあるのです。助かる道のない失望とやるせなさ、移植成功後のよみがえった喜び、対面会を開き公開することで、社会の人々も私たちの活動を知り、支えてくれることを期待しています。
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