❖台中市・翁所明
今回訪問したのは台中は烏日在住の慈済ボランティア、翁所明さんである。生まれも育ちもミャンマーで今年四十五歳の所明さんは、もう二十年以上台湾に住んでいる。この日もいつものように仏像の前に水を供えると、靴を脱ぎ、裸足のままで大地に立ち、両手を合わせ、深々と頭を下げて礼をする。ミャンマーにいる家族の平安と世界の人々の安楽を願うのだそうだ。
ミャンマーの話を向けると彼の顔はやるせない表情に変わった。「私の家は貧しく、明かりさえ買えないほどでした。住まいは竹を組んで建てた小屋で、ボロボロになっていてもお金がないので修繕もできませんでした。ある大雨の日に家が浸水し、壊れた床板の裂け目から、当時一歳だった兄が落ちて溺れ死んでしまいました」。昔の出来事は彼にとって永遠に消せない記憶として心に刻み込まれている。
生活をよくするために収入を得ようと、二十歳になった時台湾に行って働こうと思い立った。しかし、頼る人もなく、言葉も不自由な中では辛酸を嘗めるしかなかった。屋台を出したこともあり、野菜の運搬、腐ったエビ釣り池の清掃員、工事現場でも働いた。その当時は本当に辛かったが、仏教への信仰心が彼を支え、乗り越えることができたのだった。そんな中で慈済と出会ったことをこのように話してくれた。「苦しみに耐えているからこそ道が見つかるのだと思います。その道とは『善』であり、『善』こそ仏の歩いて来た道なのです」
貧しさを体験したからこそ感謝できる
収入を増やすため所明さんは仕事の合間にペットボトルを拾って売ることにした。一日中拾って、五百~六百元の収入になる日もあったという。そして十年前のある日、彼は大愛テレビの番組で上人が話しているのを聞いた。慈済環境ボランティアの活動と世界で起きている災害にどう向き合うかという課題についての開示だった。その内容に深く感銘を受けた彼は、集めていたペットボトルをすべて慈済に寄付した。
所明さんが「お母さん、お父さん」と呼ぶのは慈済ボランティアの呂源和夫妻である。呂夫妻は、善良で正直な彼の性格を知り、台湾で孤独に耐えながら働く彼に寄り添い、家族のようにケアをしているのだった。夫妻は所明さんの資源回収に対する熱心さを称賛する。商店街の路地で回収するだけでなく、資源回収車を運転して住宅地へも回収に行くし、慈済の拠点では進んで分類の手伝いをする。慈済の環境保全活動に欠くことのできない優秀な人材なのだという。
貧しさを体験したからこそ、貧しい人の気持ちが分かる。所明さんは稼いだお金で親孝行をし、自分も節約を心がけているのだ。貧しい人を見かけると惜しみなく布施を行う。自分ができることは何でもするのだった。ある慈済ボランティアが語った次の言葉を所明さんはまさに実践している。「人はこの世にいる間、お金を借りているのと同じ。死ぬ時に持って行くことはできないのだから、お金を持っていない人のことを考えるのは当然だ。衆生は平等であり、誰か一人に偏るのはよくない。人々は平等であるべきである。また、今の自分を支えてくれるすべてに感謝すべきである」
ミャンマーのベジタリアンフード
ある日所明さんは、上人が開示の中で菜食の重要性を話すのを聞いた。菜食をすれば生態系の保護だけでなく、地球全体の環境にもよく、健康のためにもなる。彼は自分自身に言い聞かせた。「いつか自分の店を持ってベジタリアンフードを広めたい」。その願いは叶い、所明さんは調理師になって自分の店を出した。レシピを研究し、故郷の味を取り入れたベジタリアンメニューを考案した。一度味わったら忘れられない美味しさだ。
所明さんの店は通学路に近いので、子供や学生も食べにくる。ベジタリアンフードに興味がある人には、安くしたり、量を大盛りにしてあげたりする。ご飯も多めによそう。だからいつも夕方になると、多くの学生で店は溢れている。小さな店だから席はすぐなくなるのだが、その店にはルールがある。食べ物を大切にしてほしい、ということである。もし食べきれないときは持ち帰ってほしいと思っている。
所明さんは私たちにこう話す。「今の時代は天災がたくさん起こっていますが、私たちが地球のことを考えれば、地球も私たちを傷つけようとはしないはずです。私たちは自分のことだけを考えて自然を破壊したりしてはなりません。私がベジタリアンフードを作るのはそういう気持ちからなのです」。人と大地が相互に依存していること、仲良くしていくことの必要性を指摘している。
母のチャーハン
所明さんの取材から帰って写真を整理していると、私たちのために大盛りの五目チャーハンを作ってくれている所明さんの写真を見つけた。その時脳裏に浮かんだのは彼の優しさだった。訪問すると所明さんは必ず私たちに尋ねるのだ。「食事はすみましたか? まだなら待っていてください。すぐチャーハンを作りますから」。そんな彼の言葉に私たちはいつも心温まる思いだった。所明さんは、料理は母親から教わったことが多いという。十歳になると母親からおかずの作り方とご飯の炊き方を習ったそうだ。その後間もなくすると、ご飯作りは彼の役目になった。だから料理は彼にとって子供の頃の大切な思い出であり、愛に満ちた母親との思い出そのものといえる。
所明さんの母親は、子供の教育にも熱心だったそうだ。ものを大切にすること、お米は一粒でも落としてはならない、落としたら拾って食べることと教わった。もし食べ物を無駄にすれば鉄拳が飛んでくる。今は彼が自分の子供にこのような食べ物を大切にする観念を身を以て教えるようになった。また、来ている服と靴も無駄にすることはなく、破れれば縫い、靴底は貼りつける。三回はがれた靴でもまだ捨てる気にならないという。何度修理をして底が破れてはけなくなって初めて、泣く泣く捨てるのだった。
なんとも信じられない話だが、このような倹約の考え方は今の社会では後回しにされてしまう。物を大切にするだけでなく、買わないことを考え、ゴミを減らす。このような彼の姿こそ、上人の切なる願い、「源から清浄になる」ことを実践する模範的な姿ではないだろうか。
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