今から四十五年前、證厳法師は長年慈善奉仕に尽力してきた経験から、「貧と病」は双子のようだと深く感じ、「貧民施療所」を設立された。近隣の医療関係者が協力を申し出てくれ、定期的に社会的弱者に治療を行っていた。
施療所が十四年間続いた後、一九八六年に花蓮慈済病院が開業した。台湾の医療水準は日増しに向上し、また一九九五年に全民保険の実施に伴って民衆の健康も改善され、保障されるようになった。しかしながら慈済の施療はまだ終わることはなかった。
法師が当時見た貧と病の悪循環の現象は、時代が進歩した今もなくなっていない。貧と病は時代の変遷に伴いその内容も変わってきた。医療従事者から成る「慈済人医会(慈済の医療ボランティアチーム)」は、法師の唱える「医療を普遍化する」の激励のもとに結成され、現在、台湾国内のみならず、海外にまで赴いて活動している。
国民健康署が統計した研究によると、医療が普及している台湾では、顕著な経済的な差があると言う。低所得者層では心臓や血管の病気、血液腫瘍などによる死亡率、また新生児が病気にかかる割合が高くなっている。原因として、職業によって病気にかかる危険が高いことがいえる。また、教育水準が医療や健康に対する知識の取得と関わっている。
こうした医療の枠から漏れた社会的弱者のために、人医会のメンバーは過疎化が進んだ山間部や僻地にある無医村を毎月巡回し、村人の医療ケアを行っている。さらに定期的に慈善訪問ケアのボランティアと各世帯を訪問し、服薬や衛生観念を説明するほか、生活環境が病気の原因になっていないか観察している。
身体障害者の人が虫歯にかかる比率は高く、口腔ケアを行わねばならない。ある人医会のメンバーは日本へ視察に行って「衛生訪問ケアボランティア」を養成し、地域で奉仕している。
台湾の労働環境は変わり、外国人労働者が増えている。彼らの経済状況はよくなく病気にかかりやすいが、言葉が分からないため診察の時にうまく意思表示ができない。人医会は通訳ボランティアの力を借りて、彼らに施療を行っている。また、移民署の収容所に収容されている不法滞在の外国人にも医療サービスを提供している。そのほか日々増加するホームレスにも定期的に施療を行っている。
人医会の中には電気関係に精通した人がいて、施療の現場で電気を取りつけたり、歯科の器材をコンパクトに収納する手提げカバンをつくったりして、施療チームの機動力を高めている。
法師は「苦難の人が出てこられないなら、幸せな人がその人たちの所へ行って、抜苦与楽をしてさしあげなくてはなりません」とおっしゃっている。自分から貧しい人や病に苦しむ人の家に行って診療する医師たちは、喜捨の中で無量の智慧を得ている。
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