慈濟傳播人文志業基金會
患者のもとへ出向く病院
今年2月19日、慈済ボランティアはいつものように新北市平渓区で施療を行った。医療人員は遠隔地へ往診に行き、お年寄りと四方山話をしたり、健康に関する話をした。
 
各病院の医療人員と薬剤師、技師及び支援ボランティアで構成されている「慈済人医会」。メンバーは慈済の慈善志業と手を携え、社会の暗がりで貧困者や病人を世話し、遠隔地で衛生教育を行っている。この二十年間で台湾で行動する医療ネットワークを作り出した。
 
 
暑い初夏だが、金門島は涼しい風が吹いていた。一行八人は金城町東社の曲がりくねった路地を拡声器を担いで歩いていた。「住民の皆様、こんにちは。私たちは台湾本島から来ました慈済人医会の者です。今日と明日の二日間、東林地域で無料診察を行います。眼科、歯科、胃腸科の診察にぜひお出でください」。またボランティアは、「交通の不便な方には漁業組合の前でお迎えの車を用意しております」と付け加えた。
金城町東社公民館の側の家を借り、入り口に長机を置いて受付台にした。住民はここで手続きを終えたら中に入る。屋内は一部屋ごとに各科の診察室になっており、小さな薬局もある。施療に訪れた人たちが口々に「ここは病院だ」と言うのにはわけがある。
離島の金門島はあらゆる方面で進歩し続けている。医療関係のハードの部分は充分な状態にあるが、ソフトの方はまだ行きわたっていない。二〇〇〇年から台湾慈済人医会のボランティアは半年毎にここで施療を行っている。毎回百人近くのメンバーが参加して、大量の器材や薬剤を携え、飛行機、車、船とあらゆる交通手段を使ってこの島に集まり、医療ボランティア活動を行う。すでに十六年間続けられている。
歯科の診療室には患者が絶えない。ある患者は歯を舌で舐めながら「きれいに洗ってもらったら、歯が小さくなったみたいだ」と言った。「歯が小さくなったのではなく、歯に付着すべきでないものを洗い流しただけですよ」と歯科医が言った。都会では歯医者の診療所がたくさんあり、すぐにかかることができるが、遠く離れた離島や山間地区では数が限られている。住民に保健の習慣を身につけさせるのは非常に難しい。
一九九六年十月、台湾全土から集まった医療人員で構成された「慈済医事人員懇親会」が設立され、翌年から施療が始まった。一九九八年初め、證厳法師は「慈済人医会」と名称を改めた。二十年近く彼らは慈済と協力して辺鄙な村落で施療や往診を行ったり、体の不自由な人や病人に治療を受けさせる手伝いをしてきた。医療と慈善の結合は慈済特有のものである。二〇一六年の統計によると、台湾だけで医療奉仕の対象は延べ三万七千人を超えている。
今、世界には一万七千人の慈済人医会医療人員とボランティアがいる。この二十年間に行った施療は一万一千回を超え、延べ約二百五十万人に奉仕してきた。
経済的弱者が医療を十分に受けていないことを、慈済ボランティアは訪問ケア活動の中で発見した。医療費を負担できないことを心配するケース、病院への道程が遠いケース、体が不自由で送り迎えしてくれる人がいないケース、複雑な病状で治療をしても徒労に終わるかもしれないと考えるケース、入院したら家の年寄りや子供の世話をする人がいないケース……など、諸々の原因で治療に最適な時期を逃してしまい、心身の苦痛を増加させているのだ。
慈済ボランティアはこれらのケア対象世帯に根気よく話をし、「治療をあきらめてはいけません。病状が改善すれば自立した生活ができ、家族の世話もできるようになリます」と励ましている。彼らが了承して初めて、人医会ボランティアに往診の可否を評価してもらい、慈済病院やほかの病院で治療することを相談する。退院後はボランティアが交替で世話をする。また、社会福祉補助金と慈済の社会福祉関係の支援で、一人病苦に悩む人を再び立ち上がらせ、人生に新しい希望を見出させている。
施療環境は診療所の設備よりは劣るが、患者は医療人員に抱きかかえられた時、拠り所と安心感を感じる。医療人員にとっては、患者の生活をその目で見ることで困難な状況をより深く理解できる。そこから生まれる思いやりと慈悲心は、薬よりももっと効き目のある処方である。(資料の提供・黄沈瑛芳)
 
NO.245