慈済大事記六月
6月2日
◎フィリピン・マニラのリゾートワールドマニラで2日、銃撃事件が発生し、30人以上が死亡した。フィリピン慈済ボランティアは報道を聞いて葬儀場を訪れ、犠牲者のため助念(8時間念仏を唱え死者の冥福を祈る台湾の風習)を行うと共に家族を見舞った。犠牲者には4人の台湾人が含まれており、ボランティアは台湾駐フィリピン事務所に協力し、駆けつけた遺族をサポートした。遺族が帰国した後も、台湾慈済ボランティアがサポートを引き継いだ。
◎梅雨前線と南西気流の影響で、台湾全土が豪雨に見舞われた。各地で浸水や土砂災害が起き、とくに基隆北海岸や内湖、雲林で甚大な被害が発生した。慈済基金会は2日午前9時に防災指揮本部を立ち上げ、各地でも合心防災協調センターが設置され、支援活動を開始した。動員されたボランティアは被災者を慰問し、自宅の清掃を手伝ったり、炊き出しをしたりした。
6月4日
◎5月26日、スリランカ、カルタラ県パリンダヌラ地区で大雨による土砂災害が発生した。慈済ボランティアは避難した住民を見舞い、ウェディアバンダラ学院で毛布と多機能福慧ベッドと食器や鍋、布巾などの物資を44世帯に配付した。
◎慈済基金会は豪雨被災者を見舞うため4日、台湾全土でボランティアを総動員した。北区では398人が40カ所以上の地域に分かれて安心家庭訪問活動を行った。基隆、内湖、石門、万里、南投、嘉義、雲林、彰化などで慰問金と物資を配付した。この日合計で1408世帯を訪問し、863世帯に物資、311世帯に慰問金を配付した。
6月6日
慈済基金会は6月2日に発生した豪雨災害のケア活動を行ってきたが、災害が一段落したため、この日花蓮防災指揮本部と各地の合心防災協調センターを閉鎖した。その後の支援は各地のボランティアに委ねられる。12日までに延べ3516人が動員され、3783人分の炊き出しと88世帯の清掃、1591世帯への安心訪問ケアを行った。実質的なケアは1244世帯に及び、慰問金は417世帯、物資は960世帯に配付され、新たに42世帯が長期救済対象に指定された。
6月7日
午前11時頃、新北市五股工業区の産後療養施設に食事を提供する工場でガス爆発事故が起き、12人が負傷、亜東病院、淡水馬偕病院など7つの病院に搬送された。現地の慈済ボランティアはただちにケア体制に入り、各病院に駆けつけて負傷者と家族を見舞った。9日までに延べ25人が動員され、緊急災害支援慰問金を4世帯に届けた。
6月10日
花蓮県豊浜郷の農場に空中撮影をしていたヘリコプターが墜落し3人が死亡した。その中には世界的に著名なドキュメンタリー映画プロデューサー、齊柏林さんも含まれていた。慈済基金会は知らせを受けてただちにケア体制に入り、静思精舎の師匠たちと慈済ボランティアが葬儀場を訪れ、犠牲者への助念と遺族の慰問を行った。12日、遺体は台北に運ばれ、北区のボランティアが引き継いで家族に付き添った。
6月13日
桃園慈済ボランティアは3月から桃園刑務所で「慈悲水懺で心を啓発する」活動を開始、読経や受刑者が参加する手話劇の練習を行っている。2カ月を一区切りとして週1回行われている。期間中に8人の受刑者が毎月切手を寄付し、慈済の会員になった。6月から9月まで4日間8回の公演が行われ、受刑者が出演して懺悔の意を表す。この日初回の公演が行われ、150人の受刑者が参加した。
6月16日
◎慈済基金会と法務部矯正署の新店薬物依存更生施設が合同で「薬師琉璃光如来本願経」を基にした手話劇を施設の中正堂で催した。出演した21人を含む124人の受刑者と52人のボランティアが参加した。
◎花蓮市中原小学校の卒業式が、慈済が支援建設した新しい講堂で行われた。同校は生徒数が増え、旧校舎に入りきれなくなったため、特別クラスと美術クラスは防空用の地下室を使っていた。しかし風通しが悪く、学習に支障をきたしていたため、慈済はその学校を「減災希望工程」の一つに指定し、2016年2月から新校舎の建設を始め、2017年5月に竣工した。これで子供達は健康的で安全な教室で学べるようになった。
6月17日
◎台中市大智路に近い忠孝路の民家で火事が発生、近隣の住宅8戸に延焼し、母親と娘が犠牲になった。慈済台中支部は15人のボランティアを動員して慰問に駆けつけ、被害が大きい6世帯に慰問金を届けた。
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