生命の良能を発揮しよう。
慈済科技大学の看護学科の学生、李孟秦君は多くの医療用品や医療教学用品を発明し、特許権を獲得しました。また慈済大学医学部の陳柏威君は支援隊を組織して僻地へ奉仕に行っていました。二人ともこうした成果が認められ、台湾の大学および専門学校の優秀青年に選ばれる栄誉を獲得しました。證厳法師は、青年が社会に関心を持って公に奉仕したことは、社会に新しさと平和な力量を発揮したと言われました。
日本の有名な歌手の森進一さんは、台湾と慈済人が東日本大震災で行った援助に感動して、その感謝にこられました。振り返ってみると震災後も複合型の災難が相次いで起きており、今でも被害の影響は深く残っています。法師は「世間で起きているそれぞれのことは、みな因縁の会合によって成り立っています。数十年という短い人生の中で、この世に利益する人、あるいは悪業を造る人など、この世の諸相を見ていると、自分自身の警戒心を高め一念をよく守らねばなりません」とおっしゃいました。
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●日本の有名な演歌歌手の森進一さんは、慈済が東日本大震災で行った支援に対して感謝をのべるために花蓮へきて、證厳法師にチョコレートを贈りました。森進一さんは、「日本の人たちは震災から立ち直っても、この温情はいつまでも忘れることはありません」と言いました。
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嘉義県の中埔郷に住む環境保全ボランティアの郭桂春さんは、以前夫が博打に明け暮れて家庭を顧みなかったので、一人で三人の子供を育てました。そんな状況でも、子供たちに当たり散らすことはありませんでした。その後、慈済の環境保全センターに入って皆と良い縁を結んでいると、心が晴れ晴れするようになりました。あらゆる道には監視カメラが設置されていますが、人生においても二十四時間自分の監視カメラで一挙手一投足を漏らさずに記録しなければならないと言いました。
法師はその智慧を褒められ、皆に因縁果報を重視するよう教えられました。「空」にとらわれないことです。諸法は空といっても、万物は持っていくことができず、ただ業のみが身に付随します。善行、造悪の因子はすべて業識の中に収められ、生々世々身につきまとい、因縁が集まれば業の報いは顕らかに現れます。
現在争っているのは「我」のことと思いますが、実は「有」に捉る必要はありません。無常の人生において今日という日が無事に終わるだろうかと思案し、限りあるこの世での時間を大切にして、価値ある人生を創造することです。衆生に利益することが有益な人生です。
桃園県中壢市に住む張明人さんの夫は以前、博打による借金を抱えたうえに酒におぼれて、一家は彼女が支えていました。毎日早朝の二時に暗い山道を歩いて豆腐屋へ豆腐を卸しに行っていました。恐ろしい山道を行くのに《三十七道品》を勇気づけに唱えていたのが、時が経つにしたがって心まで変わり、占いや神頼みなどをしなくなりました。夫までが彼女の影響を受け、悪い習慣を改めてボランティアに参加し、長男も慈誠隊員(慈済の男性ボランティア)になりました。
法師は、逆境に向かった時は因縁果報を甘んじて受け、法を用いて信念を転じることと教えられています。心が善に向くと生活の中で善の力を発揮することができます。この世がいかに苦しくても、凡人の業がいかに重くても、聖人もまた凡人から修養鍛錬した結果成功したのです。ですから心して修行しなければなりません。
希望の光を灯して
インド南部のカルナータカ州は深刻な旱魃に襲われ、野生動物さえ渇きに耐えられず、全長三・六メートルものキングコブラがジャングルから集落に侵入しました。村人は野生動物救援隊員に救援を求めて観察した結果、キングコブラは喉の渇きに耐えられずに侵入してきたと分かり、ペットボトルに水を入れて飲ませると、頭を擡げて一心に飲み、体にも水をかけていました。この光景を人々は驚いてみていました。
三月三十一日の朝会の時、法師はこのニュースをごらんになって、人と動物が互いに心を通わせている光景を讃えられ、また自然環境の不調和による衆生の生命の危機を心配されました。「世の中の衆生はもともと平和に共存しなければなりません。ただ人心の不安定による環境破壊が気候に影響を及ぼしているのです。衆生の重い業が天地不調和の災難を引き起こすのです」とおっしゃいました。
国連難民高等弁務官事務所の発表によりますと、シリア戦乱が始まってから六年目、難民の数はすでに五百万人を超えており、国連は各国に難民の受け入れを速やかに行うよう促しています。法師は平穏な国土に暮らす私たちは福を知って大切にし、さらに造福して、実際の行動で愛の心を伝達しなければならないと呼びかけています。
インドネシアのバトンに住む五十一歳のアリゾさんは、長期にわたって慈済の援助を受けています。糖尿病のため足を切断されて意気消沈していました。慈済は義足を取りつける補助金を支給し、今では奥さんと店を開く準備をしています。
法師は慈済人が海外で慈悲心を発揮して、彼らが苦しい生活から抜け出し、自力更生していることに感謝されました。澎湖島に住む三十歳の阿成君は中学生の時、硬直性脊髄炎が悪化して頭を上げて前を見ることができませんでした。慈済大林病院副院長の簡瑞騰医師は硬直性脊髄炎の治療で成果を上げています。昨年、阿成君はインターネットでこの消息を知って台湾へ来て、二回の頸髄変形矯正の手術を受け、二カ月後の旧正月の前には退院し、胸を張って故郷へ帰ることができました。
退院の時は、簡副院長と看護師は澎湖島まで付き添って、生活環境を調べ、改善が必要な部分を指導しました。また後続ケアとして現地の人医会(慈済の医療ボランティアチーム)の医師とボランティアにリハビリのバトンを渡していました。法師は、医療チームと澎湖島の慈済人が真心をもって衆生を済度していた情はまるで親子のようだと言われました。
花蓮慈済病院に十七歳のチベットの少年、トテンアンプ君がやってきました。トテンアンプ君は脳腫瘍に脳が圧迫され発育が遅れ、ほとんど失明状態になっていました。三月二十七日に母親と通っている高校の校長先生につき添われて病院へ来ました。そして昨日神経外科医の邱宗朗主任がすぐに手術をしました。
法師は、校長先生が生徒を自分の子のように愛していることに感動して「病苦に苛まれている人たちが命の恩人に巡り合い、希望の灯火を灯して、前進することを願っています」とおっしゃいました。
(慈済月刊六〇五期より)
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