慈濟傳播人文志業基金會
指先の力が弱くなったのは年を取ったせい? それとも中風のせい?
さまざまな原因により、
手が麻痺したり足が痛んで、
次第に力がなくなったりする。
もしも転んだら、
神経が圧迫されていないか
検査を受けるべき。
正しい治療を受けて
改善しなくてはならない。
 
 
今年の元旦過ぎ、ある画家が私の診察所を訪れて、自作の年賀状を下さいました。
 
真紅の年賀状には今年の干支の鶏の絵が描かれていて、すみっこには古い文字がまるで絵のように書かれています。羽を広げたクジャクの羽毛の鮮やかな色彩、そのクジャクの王は今にも絵から抜け出さんばかりで非常に見事でした。
 
画家の字は相変わらず美しいです。新年を過ぎて八十六歳になった彼は、鄭立福(私の名前)としたためてくれました。
 
画家は私の患者でしたが、今回は受診ではなく新年の挨拶のため来てくれたのでした。そして九十歳までは創作を続ける意欲を語ってくれました。私はかつて彼の症状をすぐに見極め、適切な処置をして、痛みを取り除くことができたのを誇りに思いました。

 

転んで起き上がったその後は?

 
二年前の十二月末、画家で教授の楊英鏢氏が、私の診察室に来て一枚の絵を下さいました。「鄭先生、私の書いた字はお好きですか? 最近私は手の力が弱くなったようで筆をしっかり握れず、字が震えるようになりました」と気落ちした様子で言いました。
 
そして、教授は右手を伸ばして私に見せました。いくつもの賞を受け、世界的にも名の知れたその画家の手は、言うことを聞かず筋肉が萎縮していました。闘いに敗れた雄鶏のように意気消沈しており、奥さんも心配していました。
 
画家は「年を取ったからでしょうか? それとも中風でしょうか」と心配そうに聞きました。私は、原因を探ろうと質問しました。「いつごろからこの状態は始まったのですか? 何か思い当たることはありませんか?」と些細なことでも思い出すように聞きました。
 
教授は創作のため、時々国外旅行をしています。「そうだ。一年前に中国に行った時、転んだことがあった」と。それが思い出した唯一の「事故」でした。
 
「どのように転んだのですか?」と聞くと、「転んだ時は右手を地面に着けて、かすり傷だけで済み、骨折もなく気にしませんでした。その後、絵を描く時何だか指に力が入らなくなり、字が以前のように書けなくなりました」と答えました。
 
神経内科で受診した際、神経の圧迫と診断されて整形外科に回されたのでした。私は手の治療の経験が豊富でした。
     
「一本の神経に損傷があるようですね。しかしどこでしょうか?」。そして頸髄は不快ではありませんかと聞きました。実は私は五年前、勤務中の姿勢が悪かったため頸椎間板ヘルニアと狭窄で神経を圧迫したことがありました。首と左側の肘にひどい痛みが起き、その上左手の力が入らなくなり親指が麻痺し、首は曲がって姿勢を正しく保つことができませんでした。その後、頸椎手術と神経圧迫の手術を受けて、左肩と肘の痛みがなくなり、左手の力もだんだん回復したのです。
 
教授はこれに似た症状ではないと言うので、神経科の検査手続きをして圧迫している場所を確かめることにしました。もしも肘なら、全身麻酔による手術を行なわなければなりません。もし手首なら局部麻酔で済みます。教授は健康そのものですが、私は教授が高齢なため全身麻酔を避け、麻酔の危険を少なくしようと思っていました。
 
検査の結果、神経損傷は手首の内側にありました。転んだ時、ここを地面について体重を支えたのでした。手の関節の軟らかい場所で転んだ時の体重を受けていたのです。尺骨神経が圧迫を受けた小指と薬指が麻痺し、筋肉が萎縮して鷹の足のように爪が曲がるのです。
 
これは私の医者人生の三十年目にして初めて行う手首尺骨神経の減圧手術でした。手術の数日後、教授の右手はこれまでの状態が嘘のように、以前の状態に戻りました。指を握れるまで回復し、だんだん力がついて自由自在に手を動かせるようになりました。

お年寄りは転倒に注意を

 
ある人が、お年寄りは転んだら、すぐに病院へ検査に行くべきでしょうかと聞きました。私は検査をした方がいいと思います。お年寄りに転倒に注意するように、また骨密度を維持して転倒を予防するように呼びかけています。
 
お年寄りは骨粗鬆症になっているので、転んだ時に神経が傷つくことが怖いです。万一転んだ時は、負傷した所をレントゲンで確認するべきです。教授の場合、転んだ後、骨に痛みもなく体も何の不自由はなかったのに、日が経つにつれ神経が受けた圧力損傷が明らかな症状となって出てきたのです。尺骨神経圧迫を例にとると、もしも時間が経過すると圧迫現象がひどくなって筋肉を委縮させ、手術やリハビリをしても元に戻らないため、慎重に処置しなければなりません。
 
よかったことに、教授は再び絵筆を握ることができるようになり、数カ月後には新作を発表したとの喜ばしい知らせが届きました。誰もが絶賛する繊細な作品を創作する意欲、その教授の笑顔は「九十歳までは大丈夫!」という自信に溢れていました。
(慈済月刊六〇五期より)
 
NO.247