普通の子でも勉強できる学校に
中国四川省綿陽市は歴史ある都市で、遠い昔には涪県や綿州と呼ばれていました。その後、城址が綿山の南に位置することから「綿陽」と呼ばれるようになりました。漢の時代から群県、州府が置かれてきた都です。
中国が誕生した早期、この地は人類が居住していた所でした。ここにある邊堆山遺跡からは四千五百年前の新石器時代の石器や陶器が出土しています。中国の神話に出てくる黄帝の妃で「養蚕の母」と呼ばれる元妃(嫘祖)の故郷であるとされ、また、治水の神と崇められる夏朝の創始者、大禹が誕生した地でもあります。さらに中国医学や鍼灸の発祥地でもあり、双包山にある漢王朝の墓から出土した経脈漆木桶は、世界最古の人体経穴模型です。
古代から続く栄光は今なお不滅で、国務院より全国唯一のテクノロジー都市として認可された電子工業生産基地を擁する四川省第二の都市です。この綿陽市に位置する游仙区慈済実験小中学校は、二○○八年の四川大地震の後、慈済が支援し建設されました。建設期間は仮設の教室で授業を行い、台湾と中国の教師と学生による交流を活潑に行ってきました。
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●游仙区慈済実験小中学校の生徒は体操、サッカー、柔道、陸上競技バレーボールなどで優秀な成績を修めている。試合の前日、各団体は昼休みを利用して猛練習をする。
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游仙区慈済実験小中学校の張鯤校長は、「被災後の復興支援に当たって、慈済は一つだけ希望を提示しました。それは、游仙区域に普通の子供たちが勉強できる良質の学校を建設できるようにしてほしいというものでした。この言葉はずっと私たちにとって、貴重な教訓となっていました」と話します。さらに、「開校以降、授業の水準と質は年々向上しています。何の変哲もないかつての普通の学校は、綿陽市有数の有名校になりました」と誇らしげに語りました。
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●張校長は現在3校の校長を兼任。
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親のような心で学校経営に尽くす
游仙区慈済実験小中学校は、質、量共に綿陽市で一、二を争う学校となることを目指してきました。二○一六年、七百八十人が中学試験を受けました。そのうち二百七十一人が綿陽中学と南山中学(国家重点校)に合格し、五百九十四人が師範高校に合格しました。綿陽市の同レベルの学校のうちトップの成績を収めました。
高校入試も大学入試も、どの段階も非常に重要です。中国は小中九年間の義務教育制度で、小中は学区内の学校に通う規定があります。しかし、多くの保護者が子供の将来を考え、自宅から離れていても良い学校を選びます。
九月の新学年開始まで五カ月も前の四月の末、慈済実験小中学校の事務室には、毎日保護者が入学願書を提出にやってきます。まだ子供が小学校五年生なのに、早めに申込む親もいます。
学生募集主任の任遠慧先生は、「今学期の募集定員は千人の予定ですが、今の時点ですでに四千六百人を超えています。全員、四川省各県市の小学校卒業生です」と言いました。
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●現在、開校当時の2倍の3000人が在籍する。1クラス80人いる。 |
保護者の楊献琳は、「游仙区に良い中学校があると友人から聞いたので、北京の学校に通わせている子供をこちらへ帰らせようと思っています。転校はできますか」と尋ねていました。
開校から六年を経て、游仙区慈済実験小中学校は大きく発展しています。進学と質を保証すると同時に、特待生として芸術やスポーツの才能に長けた生徒には、音楽や体育、絵画などの修得を奨励しています。四川省の江油から来た龍木建は、こうした特殊な技能を持つ子供の才能を伸ばしてくれると聞いて、子供の賞状を持って申込みにきました。
教師は熱心に子供たちを教え、学校は教育に必要な設備やシステムの構築に全力を挙げています。コンピューター、書道、音楽、美術などの科目では、生徒が教科書の知識を得るだけでなく、さらに視野や思考力を広げる工夫を凝らした授業を行っています。
優秀な成果を修めた張校長に、教育局は新たにもう一校を管理するよう要請しました。二○一六年、張鯤治校長は忠興鎮の香港馬会中学校、二○一七年二月には新橋鎮の博愛中学校の校長にそれぞれ就任しました。
こうして三校の校長を引き受けた張校長は、重責の中にあっても強い信念で当初の計画を進め、拡張や新築などの建設許可を政府から受けることができました。慈済の人文を新しい二つの学校にも生かしたいと考えています。
優秀な大学へ行きたいなら良い高校へ行かなければならないと言います。そのため中学から高校に上がる試験は、将来の希望に満ちた生徒にとって、重要な岐路となっています。その中でも特殊な技能を具えた特待生は、順調に進学することができます。
慈済実験小中学校の体操、サッカー、柔道、陸上競技、バレーボールなどのスポーツは優秀な成績を修めています。同校に勤務する鄧礼軍先生は「この数年、子供たちが省や市の大会に出場し、優秀な成績を修めてきました。表彰台に上がった時は、自分たちを誇りに思い、自信につながります」と言いました。
学校は課外活動を設けて、卓越した技能を持つ生徒には、その特性をさらに生かせるようにしています。成績のあまり良くない子も、この機会に自信をつけることができます。毎週木曜日の最後の授業が課外活動の時間となっており、芸術や体育の特待生はこの機会に猛練習をしています。
体操の得意な張麗莎は小学校の頃から体操を始め、成績を認められて、付近の重点高校への入学が内定しています。顧洲は陸上競技の特待生で、卒業前に南山中学への入学が確定しています。体育は体を鍛えるだけでなく、進学にも大きく影響するのです。受験という精神的なプレッシャーがありません。
趙紫涵は小学三年生から舞踏を習っています。数々の賞を取っている上に成績が良く、二○一三年には台湾慈済中学の人文教育交流活動に招かれて踊りました。彼女は「毎回の試合出場ではプレッシャーを感じますが、その分勇気も増し、得るものが大きいです。誰もが挫折を体験しますが、私の場合、挫折した時はそれを挫折と受け止めず、経験と思うことにしています。そしてそれを乗り越えた時、あの時感じた挫折は大したことではないと思え、良い思い出になって残ります」と言いました。
張校長によると、課外活動はこの数年で四十種以上の科目を設けており、生徒が多くの選択肢の中から自分の未来を築く選択ができるようにさせていると言います。「この学校を卒業した生徒たちが、優れた品格と学業を兼ね備え、自分の興味を発掘し、努力して成功し、豊かな人格を備えた人間になってほしいと願っています」と張校長は言いました。
学校は慈慧文化の精神で経営し、教師は良知ある教育を生徒に与えたいと努力しています。
(慈済月刊六〇六期より)
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