慈濟傳播人文志業基金會
蘇玉雲の毎分毎秒
 
❖台南市・蘇玉雲
 

午後の陽射しが容赦なく照りつけている。猛暑の八月は三十度を超える熱波が襲いかかり、まったくやるせない気分になるというのに、台南の頂美リサイクルセンターには一人、忙しく動き回る人影があった。たった今ガラス瓶を運び込んで分類したかと思えば、今度はビニール袋を干し、そのあとは掃き掃除。汗が上着にしみ出しているというのに、休むことはない。

「阿雲さん」と呼ばれているその人こそ蘇玉雲である。体型は百五十センチたらずと小柄だが、仕事をテキパキとこなし、応対も親切。彼女の通うリサイクルセンターをいつ訪れても、まるで働き蟻のように作業をしている。回収物を運んだり、整理したり、最も頭が下がるのは、毎日午前三時に家を出て回収を始め、夜は七時にやっとリサイクルセンターを後にするということだ。一日のうち四分の三の時間を環境保全の仕事に費やすという勤労精進ぶりなのであった。

十年前、彼女が家庭の問題で苦しんでいた時、夫やボランティアの楊桂花さんの励ましの中で資源回収を手伝うようになり、おかげで少しずつ心を開くようになったという。自分のような人間でもチャンスをつかめば意義あることができると分かったのだそうだ。それからは重いものを運んだことや骨粗しょう症も影響して腰がだんだん曲がってしまったが、彼女の中には強靭な意志がもたらすエネルギーがみなぎっている。あの腰の曲がった姿が「阿雲さん」だ、と今では誰もが分かっている。

 

母のように労を惜しまず

今年六十一歳になる阿雲さんは、資源回収幹事の任について七年になる。幹事の仕事とは、環境保全の考えを広めることとリサイクルセンターの管理である。全く報酬のない、気苦労ばかり多いこの仕事は、あまり好んでやる人はいないが、彼女は自分の意志で引き受け、率先して実行しているのだった。

資源回収車が各地を回って回収物を届けると、そこには袋がごった返す。ボランティア達はそれをさらに細かく分類していく。阿雲さんはボランティア達が毎日気持ちよく作業ができるようにと、作業が一段落した午後に掃除をし、準備を整える。それだけでなく、ボランティアの朝食、おやつ、飲み物なども準備しているのだった。ボランティアの健康と心の両方をケアしたいという気持ちの現れである。このような残業だらけで昇級もボーナスもない仕事に労を惜しまない人が、はたしてこの世にいるとしたら……。そう、それは唯一母親である。玉雲さんは正に母の真心を以て施しを行い、誰よりも早く出勤して、一番最後に引き揚げる人なのだ。

しかし母親とて毎日の家事には疲れるときもある。ましてや阿雲さんのように一人でいくつもの仕事を抱えて、一年三百六十五日、お正月にも休みをとらないならば、家の階段を上がる気力もない日があって当然といえる。疲労のため全身がこわばって体が伸ばせない時もあるそうだ。それでも消炎剤の力を借りて仕事を続けるのだという。

深夜から日の出まで

三、四年前、玉雲さんは帰宅途中の道すがら、海鮮料理の店や炭火焼の店、そしてバーやパブなどを観察してみたそうだ。これらの店ではガラス瓶を全く資源回収に出していなかったので、一軒一軒に声をかけたところ回収に応じてくれるようになった。

彼女の一日は二時、三時から始まる。五十CCバイクに乗って家を出るとまだ暗い路地を回って重くかさばるガラス瓶を集めるのだ。しかしバイクに積めるのは一回に一軒分が限度だ。だから一カ所に集めておき、後から資源回収車に来てもらうのだった。深夜から夜が明ける頃まで十何回と往復する。私たちは一度取材に訪れて共に行動しただけだが、十分大変であることが分かった。これが彼女の日課なのである。思わず質問せずにはいられなかった。「疲れていませんか?」「台風や雨の日もやるのですか?」。その答えには全く驚かされたものだ。なんと彼女は、「バイクが風で吹き倒されて使えなくなったら、その日は休みます」と答えたのである。

仲間がガラス瓶を回収してくれる

台南の頂美リサイクルセンターでは、男性のボランティアがガラス瓶などの重い物を担当している。彼らの中には、元会社社長や元警察官、アルコール中毒のため職を転々とした人など様々な人がいるが、みんな玉雲さんの奉仕の心に感銘を受けて、資源回収に関わるようになったのだという。

玉雲さんはそういう人達が資源回収車を運転して真夜中でも来てくれることがとてもありがたいと感謝する。おかげで、ガラス瓶の回収という負担が随分と軽減されたのだ。ちょうど日の出を迎える頃、資源回収車は回収所へ戻って行く。満載したガラス瓶を降ろすと今度はボランティアが色別に分類を始める。ガラスに陽射しが反射してカラフルな輝きを放つ。まるでボランティアの清らかな心そのもののようだ。ガラス瓶の回収は、利益が低いのでだれもやりたがらないから、結局ゴミとして捨てられることが多い。しかし焼却場で燃え残ったガラスは、焼却炉の寿命を縮めてしまう。実のところ頂美リサイクルセンターでは、一日平均一トンから二トンもの数が集まるが、数にすると四千本近くの瓶が捨てられていることになるのだ。台湾全土を合わせると驚くべき量になることは間違いない。

恩人の支えに心から感謝

この数年間、玉雲さんの仕事量は減少することはなかった。毎日毎日十数時間働き続けるなど容易なことではないし、たとえ意志が強くても体は疲労を訴えるものである。それでも歯を食いしばって続けてきたのは、常に人手が足りない中、自分は一人ではない、他にも一緒に作業をしてくれる人がいるのだということに気がついたからだった。そう思うと力が湧いて来て続けられるのだそうだ。

取材中、彼女は終始笑顔を絶やさず語ってくれた。「今は年を取ってしまいましたが、ずっと環境保全に関わってきました。昔の私はいつもしかめっ面ばかり、でもたくさんのボランティアさんに出って考えが変わりました。いつも笑顔でいようと思うようになりました。そのためだけに私は生きているのですよ」。言葉で表せば一言だが、その背中にはこれまでの辛い困難な道のりがのしかかっているのだろう。よほど強い信念の持ち主でないと続けてこられなかったことだろう。普通の人では乗り越えられなかったに違いない。改めて蘇玉雲さんの無償の奉仕に敬意を表し、心から感謝の言葉を送りたいと思う。彼女こそ、身を以て道を示す行動の典型であるといえよう。

 

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