《無量義経》の「法義展転無量」に、「一種子より百千万生じるが如く」と記されている。
初冬の時節、證厳法師は四方から帰ってくる海外新任慈済委員たちの認証の席で、「大心願を立て百千万の種子を生じさせ大樹に育てるよう」と励まされた。
慈済は一九九一年より国際慈善援助を展開してきた。これまでにその足跡は地球を半周している。五十六カ国に支部や会所を設置して、ネットワークを展開している。證厳法師の慈悲済世の立願は善意の人々の共鳴を引き起こし、一粒一粒の種に滋養を与え、海外に根を下ろしている。
この種は主に台湾人ビジネスマンや華僑が主で、法師の「頭上に人様の天を頂き、足元に人様の地を踏むからには、その土地で得た物へのお返しをその土地にしなければなりません」との教えに従い、現地の貧困家庭に関心を寄せ、必要に応じて救済を行っている。民族、文化、宗教の違いを克服して、誠意ある正しい行いによって信任を得ている。彼らはさらに現地の人々にボランティアに参加するようにも導いている。
一から百千万に増えたこの慈済の種の間には、社会的地位の差も存在しない。今年台湾へ認証を受けにきた千人近くのマレーシアの慈済委員(慈済の幹部ボランティア)の中には、かつて貧困や病気のために慈済の支援を受けたことがある人や、腎臓病で慈済の透析センターに通っている患者がいる。彼らは生活が自立した後、感謝し恩返しをしたいと、自分たちが支援を受けた経験を活かして、苦難の人たちを労わっている。
海外から台湾へ認証を受けにくる現地ボランティアの数は近年増加している。例えば、他民族国家であるマレーシアでは、インド系マレーシア人のボランティアが現れた。この人は二〇〇四年、スリランカのインド洋大津波の後、慈済の支援と関心を受けて、家族を失った心の痛みが徐々に和らぎ、今では楽しくボランティア活動に励んでいる。
ミャンマーのボランティア、ウー・ディントンは二〇〇八年のサイクロン・ナルギスの後、慈済が配付した種もみを受け取りにきた時に慈済を知った。度重なる天災と害虫の被害で畑は何度もめちゃくちゃになったものの、今では農薬を使わずに大地を保護している。そして竹筒精神(慈済設立初期、各家で竹筒に硬貨を貯めて救済募金にした)に習って、村の人々に一日一握りの米を「米貯金」として蓄えるよう奨励している。経済的に豊かでないオーストラリアの現地ボランティアは、慈済人の環境保全の行動に感動して参加するようになった。
大愛精神を実践する方法は違っても目的は同じである。ローマ教皇は二〇一六年を「いつくしみの特別聖年」と定められ、積極的に各宗教の代表と対談された。十一月初め、バチカンは宗教対談に慈済人の参加を要請し、教皇は「慈悲」と「愛」は万物に滋養を与える母性愛のようで、今の世の中はとくに必要としていると言われた。
證厳法師が五十年前に三人のカトリックのシスターと話をしたことが、慈済を創立したきっかけの一つだったことを、證厳法師は今でも忘れない。当時、発願した慈悲の心はその後四方に向かって種を撒き、深く耕し、今では菩提の林に生い茂り、苦難の人々の拠り所となって平穏と情けを与えている。
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