強烈な台風一号が七月八日台湾を斜めに横切り、六十年来最大の瞬間風速の暴風圏が台東に上陸した。嵐が過ぎ去った後は見渡す限りの家屋や樹木の被害に驚くばかりだった。
最も甚大な被災地は台東県太麻里郷で、ここの地形は山地が平地よりも多い。多くの古い家屋やバラックの屋根が吹き飛ばされた。同県卑南郷では一家四人が住んでいたコンテナが横転し、止まっていた石を運ぶ貨物列車の車輪はレールを離れ傾いていた。
台東の悲惨な状況を知った台湾全島の民衆は、募金や支援に立ち上がり、鉄道局は乗車料金が無料の支援専用列車を出して、ボランティアを被災地へ送った。宝島の人々の人情味に感動させられる。
花蓮にある慈済防災総指揮本部では、慈済ボランティア、福祉士や建築業者を全島各地から招集して台東へ駆けつけた。また重大な被害を受けた市街地や太麻里にはボランティアが見舞金と見舞の品々を持って訪問し、災害の悪夢から覚めやらない人たちに寄り添い慰めていた。
九日間で延べ二千人のボランティアと福祉士が五千戸以上の被災者に手渡した見舞金は、被災者にとって当座の必需品を買うのに役立った。ボランティアはさらに学校を清掃し、電気技師たちは家々の電気を修繕していた。
復興には多くの人力が必要になる。慈済は太麻里の香蘭村と被害を受けた学校で「日雇い雇用制度」を実施して、被災者が自分の手で故郷を清掃し復興するよう励ました。働くことの意義は労働の対価として得る賃金ではなく、彼らが一日も早く元に戻れるようと願うその気持ちにあった。
慈済の支援活動には以前より「日雇い雇用制度」の経験が豊富にあった。フィリピン、マレーシア、ネパール、ハイチ、エクアドルの風災、水災、地震の救済、そして本国では台湾大水害後の高雄の杉林大愛村の支援建設などは、「日雇い雇用制度」によって被災地の復興を加速させた。その間、慈済ボランティアは最後まで被災地で付き添って復興建設に携わっていた。
この度は、台東の暴風が過ぎ去って救助活動が一段落した後も、続けて貧困家庭の世話や家の修繕をして、身も心も安心らげるよう願っていた。
世界に目を向けて見ると、近頃の中国大陸、東南アジア、ヨーロッパ、中南米などの地で深刻な気候異常が起きて、天災が頻繁に発生している。気象専門家は人類の生存環境がさらに厳しくなると予測している。
證厳法師は以前から皆に、謙虚になって戒を慎み、天を敬い人を愛して、人々の造福をするように呼びかけてきた。無事であった人が受難の人々を助けてこそ幸せな宝島なのだ。
台風一号が過ぎ去った後、農業の損失は甚大だったが、幸いにして、人的被害が軽かったことは「強台軽受(強烈な台風だが、受けた被害は軽かったこと)」と言える。私たちは謙虚な心で感謝し、皆が平安無事であることが最も重要なことである。
感謝と愛は無常に対する法の宝だ。
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