日々の一秒一秒を無駄にしてはならず、
この世での人生を価値あるものにすべきである。
誰もが真理を理解し、より多くの人が善行に賛同すると同時に、
共に菩薩道を歩むよう人々を導かなければならない。
毎年、歳末のこの時期になると、慈済大家族は新たな人々を迎えます。今年も台湾だけでなく、三十一の国と地域から二千人のボランティアが精進研修会に参加するために、慈済の発祥地である花蓮に戻ってきました。その中の二十四の国と地域の千五百七十人が花蓮、三重、板橋及び台中で慈済委員の認証を受けました。これら新たに発心した菩薩たちが心して無量に増える種を植えてくれることを願っています。
私は十一月十二日に出発して十二月九日に花蓮へ戻り一回目の認証式と歳末祝賀会を終えましたが、毎回、慈済人は整然としていました。この二十八日間、多くの年配の古参委員たちと集うことができましたが、健康そうだったのが年をとって病気に苛まれている人もいました。その人たちを見ると複雑な気持ちで、喜びと共に感傷に浸ります。また皆の話しを聞いていると、感動の中にも苦しみを感じ取ることができます。
毎回、式典で私は、価値のある人生になるよう、日々の一秒をも無駄に過ごすことがないよう呼びかけています。体が動き、口を開くことができれば、話をし、行動しましょう。人生を無駄に過ごさないことです。
今回も多くの年配の環境保全ボランティアに会うことができて安心しました。彼らは健康、頭脳明晰でテキパキしていました。そして皆、五十歳を寿命銀行に預け、今は二十歳、三十歳、四十歳と口々に言いました。お年寄りたちの心は単純で智慧に溢れており、私の言うことを信じて、子孫を愛し、地球を守る信念は堅く「やれば間違いはないのだ」と言いました。彼らには豊富な人生経験がありますが、社会を利する善行に投入する姿勢を目にすると、若者よりも若く感じられます。
年をとると関節などの痛みからは免れられず、コルセットを付けて仕事に来ます。腰が曲がって猫背であっても、真っ直ぐに仕事をし、体のどこかが痛くても続けるのです。彼らは「長期ケア」されるよりも奉仕することを望み、地球を大切にし、それを伝承させていこうとしています。彼らが回収したペットボトルは毛布に再生されて世界の苦難に喘いでいる人たちを温め、彼らに生命の価値を悟らせています。
環境保全ボランティアの精神理念と環境保全の成果は世界でしっかりと見届けられています。二〇一八年十二月にポーランドで、COP24:国連気候変化問題会議が開かれ、慈済ボランティアが参加して各国団体と交流しました。大林慈済病院の林名男副院長は、自分が身に着けていた衣類は全てペットボトルから再生されたもので、慈済ボランティアが分類回収したものを各種生活用品に研究開発していると紹介しました。また、菜食と気候変動の関係を強調しました。
国連食糧農業委員会の統計によると、肉食者の口の欲を満たすために毎秒二千頭余りの家畜が命を落とし、毎日一億もの命が人類の口の欲のために消えているのだそうです。こんなに多くの家畜を養うにはどれだけの土地と水資源や飼料が必要でしょうか?また、その過程では大気と大地までも汚染されてしまいます。気候変動関連の会議の中で、ある専門家が、大地を守り体を健康にしようとするなら、最も簡単な方法は菜食だと言いました。
あらゆる生命は、動物にしろ人類にしろ、生き延びようとする欲望があるため、捕捉されたり殺害されると恨みや憎しみが生じます。萬物の霊と言われている人間は動物を庇護して当然です。動物として生まれたからには人類に食べられて当たり前と考えてはいけません。あらゆる生命を尊重し、生命を食の犠牲にしてはならず、恨みや憎しみを持った生命を呑み込んではいけません。
国連の会合でも科学的実証からも、これから生活形態を変えなければ、気候が悪化し、異常な気象現象の回数が更に増えると言っています。この世は苦難が多く、苦難に遭遇しても目覚めず、目にしても恐れを知らなければ、とても怖しいことになります。欲望をなくそうとせず、一時の欲念による快感にとらわれていれば、絶えず悪業を積み重ねることになります。全般的な人がそうであれば、「共に悪業を造成し、共に悪の報いを受ける」ことになります。
もし誰もが自分の利益ばかりを顧みて、共知、共識、共行することを願わず、経済の高度発展で工業化を持続させたり、心の持ちようと生活習慣を変えなければ、地球全体を危険に陥れることになります。
「共知」、「共識」を持たなければいけませんが、取り入れると同時に、最も重要なのは「共行」する方法です。今年の歳末祝福会では、皆に「生命を尊重する愛に感謝し、和して尊敬し合い争わなければ、共に福縁が訪れる」というスローガンを与えました。あらゆる人や物ごとに対して感謝するのです。人を尊重し愛護するだけでなく、一切の衆生を大事にし、衆生と平和裡に共存しなければなりません。
菜食して殺生せず、お互いに好い言葉を掛け合うべきです。この社会で一番怖いのが、口論に始まって容易に人災を引き起こすことです。人と良縁を結び、法を用いて導き、喜びと共に一緒に善行して福を作ってはじめて互いに福縁を作り、この世は平和になり無病息災で災難も無くなるのです。
「因縁果報」の道理は、人々に「共知」してもらうと共に、好いことを更に多くの人に「共識」してもらい、人々を導いて菩薩道を「共行」するのです。心して精進しましょう。
(慈済月刊六二六期より)
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