慈濟傳播人文志業基金會
近隣助け合いの価値
「慈善活動はあらゆる慈済人の本分です」と證厳法師はいつも慈済ボランティアに「聞聲救苦」(苦しみの声には直ちに救いの手を差し伸べる)ようにと励ましている。また「見返りを求めない心で着実にやるべきことを心してやるのが修行です」。これらは長年、慈済ボランティアの救済時の精神理念となってきた。
 
十月下旬、特急プユマ号の脱線転覆事故で数多くの負傷者と犠牲者が出た。事故は蘇澳行き各駅停車が停まる小さな新馬駅で起きた。慈済ボランティアはニュースを聞いて直ちに現場に駆け付け、救助人員が指定した災害現場の第二線範囲内で慰問活動を始めると共に、炊き出しと毛布、折りたたみ式ベッド、医療拠点を提供して救助人員の休憩場所を確保した。
 
その素早い行動と効率は慈済ボランティア組織の「地域化」の変革によるものである。初期の慈済ボランティアネットワークは人間関係によって形成されていたため各組が横並びに異なる地域に跨っていて、動員に時間が掛かっていた。一九九六年、台風ハーブによって中南部で海水が逆流する一方、南投県では土石流で多くの人が生き埋めになった時のことである。台北県の板橋でも重大な洪水に見舞われ、現地や他県のボランティアが支援に駆け付けたが、見知らぬ環境での活動は容易ではなかった。
 
その経験を元に、法師はそれまで練ってきた構想を提案した。ボランティアの編成を地域単位にするというものだった。それにより「里仁為美(隣近所の助け合い)」を美徳とし、労り合う習わしが隣近所に広まるよう期待したのである。
 
二十年来、慈済ボランティアは、現地に熟知し、日頃から暗黙の了解ができていてはじめて災害発生時に最も効率良く動員できることを経験を通して学んでいた。二〇一八年十二月号の「慈済月刊誌」の主題報道で回顧している当年の慈済慈善活動の足跡がそれを証明している。
 
年初に発生した花蓮地震、真夏の嘉義水害、そして最近のプユマ列車事故などの非常時において、地域ボランティアは大きな力を発揮した。適切な緊急支援が提供された以外に、ケアのネットワークが災害後の支援にも及び、被災者に寄り添って生活の自立を支援した。各地域社会に分布しているリサイクルステーションは高齢化社会に伴って長期ケアの拠点となっている。
 
上記の慈済月刊に掲載された専業会計士が認証した浄財収支報告書を見ると、五百元以下の少額個人献金の延人数が総献金者数の九割以上を占めていることが分かる。台湾各地からの小さな善の心が集まって大きな慈善の力になっているのである。
 
経済が発展するにつれ資本主義社会では消費拡大を助長する価値観が生まれ、個人的な欲求を優先するあまり、人々が疎遠になってしまう傾向にあるが、そのような発展は利益よりも弊害の方が大きいと感じ始めた人も少なくない。なぜなら、近くから遠方まで相互扶助により、人間関係が成り立つところには、愛と思いやりが活力となって取り入れられていき、互助の価値で満たされるからだ。
(慈済月刊六二五期より)
NO.266