夜に火事が発生、
消防隊員は飢えを忍んで懸命に消火し、
ボランティアたちは疲れを忘れて忙しく立ち働いた。
皆が我を忘れて尽力したことに感動した。
近所の人たちは私を気立てが良いと褒めてくれるが、実はとても早とちりな性格であるのを知らない。若い頃は思慮に欠けたことを口にし、無意識に人を傷つけていても気がつかず、動作の遅い人を待たなければならない時はイライラしていた。
その後、私は「理にかなう世を歩こう、理にかなわないことは寸歩も歩くことができない」ということを心掛けていた。しかし、慈済に入ってから、理に適っても心は穏やかであることと、人とは善縁を結ばなくてはならないことを学んだ。
慈済に入って二十年あまり、私は何事も気にかけてはいけないことを教えられ、人の影響を受けることなく自分の心の主になることができた。人と仕事をする時は、その人が自分の思い通りにならないからと私を責めたり、大声で怒鳴っても、怒りがこみ上げてくることはなくなった。
證厳法師は弟子たちに法を聴くようにおっしゃっている。二○一四年から晴れの日も雨の日も毎日自転車に乗ってリサイクルセンターに行き、法師の説法を聴くようになった。仏典の名前を聴いても分からない時は、「気にせず聴いている中に分かってくる」と思うと、気分が軽くなる。
七十歳近いで地域ボランティアの幹部を務めさせていただいている自分を励まし、法を聞き、慧命を充実させている。法を生活の中に生かして、多くのボランティア仲間と共に人心の浄化と善行に努めようと決心している。
菩薩道の基本試練
ある日、花蓮慈済病院でボランティアの仕事を終えて家に帰る途中、近くで濃い煙があがっているのが見え、間もなく消防車がサイレンを鳴らしながら走り去った。私もすぐに走って行って見ると、工場から火事が発生したことを知った。すぐに近隣のボランティアに知らせて、お茶と食事の用意をした。
私たちは消防士たちに飲み物と弁当をあげたが、彼らは消火で手いっぱいで食事どころではなかった。あちこちから火の手が上がる度に、ホースの位置を変えるよう叫び声が聞こえ、夜中の十二時にやっと鎮火した。
その中の一人の地域消防団員は骨髄ドナーで、「骨髄を提供した後も健康に変わりがなく、十年以上も消防団員として山にも駆け上がっていますよ」と言っていた。
火災が鎮火した後、現場を見回ったボランティアたちは、一晩濃霧の中を駆け回っていた後も片付けをしていたのだ。このように我を忘れ自分を放下したことは、私たちが菩薩道を歩く上での基本試練である。忍耐と無私の愛で奉仕したのだ。。
朝の説法の時、法師は《法華経・法師品第十》に出てくる「如来室者、一切衆生中大慈悲心是。如来衣者、柔和忍辱心是。如来座者、一切法空是」という一文を取り上げられた。法師は「鋭い利器は慈悲を以て首(主)とし、忍辱を以て基となし、説法は忘我を以て本となす。諸法を行う所に座はなく、この三法を行えば自利他利が叶う」と解釈された。
その夜、皆がすかさず我を忘れて尽力したことが何よりの実証でだった。「三法(慈悲心、忍辱の心、忘我の心)」を堅くて守ってこそ、自利と利他になることができたのだと思った。慈済の道においても永遠に道心を堅く護り、法師に追随して修行が成就することを願う。
(慈済月刊六〇三期より)
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